第26話 「……そうですね。どこかの背の高いボクっ子のおかげかも……」

 南高校2年の橋本真帆はこの日の組み合わせ表を見て閃いていた。


『相手は初出場の1年生……これは出会い頭にガツンと行けば主導権を取れるね』


 ───西山月子。聞いた事もない名前が、畠山高校という薙刀部のなかった筈の高校から出動する。


 段位持ちなのは気になったが、それでも初戦の緊張を揺らすには十分。緊張し固くなっている所に出バナの面打ちは例えポイントにならずとも効くだろう。


 そんな腹づもりで仕掛けた橋本の作戦は決して悪くはなかった。


 しかし、この聞いた事もない1年生もそれを黙ってただ受けるような実力ではない事が計算違いだった。


「はぁーっ!めぇーん!!」


 開始早々気合いと共に、橋本が月子に向かって飛びかかって来た。


 薙刀が縦に振り下ろされる───が、あっさりと月子はその攻撃を“知っていた”かのように、薙刀の下部分である柄で受けるとそのまま流れるような澱みのない動きで反撃に移行した。


「スネっ!」


 橋本もなんとか反応してかわそうとしたが間に合わない。月子の一撃は的確に彼女の足を捉えた。


「スネありっ!」

 

 審判の旗が三本ともに上がる。綺麗な一本だった。


「ん……今の見たね。美咲」


 月子のその一本を自身の試合待ちの中見ていた中央高校2年の川辺百合子かわべゆりこがお団子ヘア後輩、大野美咲おおのみさきに問いかけた。


「はい、見てました先輩。上手いですね。まるで、段級とる時の“仕掛け応じ”みたいな完璧なカウンター」


「それだけじゃなかよ。1年生が初めてのインターハイ予選で、いきなりの攻撃ば捌いてあんなキッチリ動けんって普通。あの子ただもんじゃなかよ。稽古ばそうとう積んどるし、実戦経験もかなり豊富なはず」


 さすが中央高校の2年と言うべきか。一つの攻防を見ただけで月子の力を見抜いたようだった。


「あれがクラブのみんなが言ってた“明日香の隠し玉”か……」


 美咲はどこか複雑な表情を浮かべた。


「橋本……気張らんとその1年にやられるよ」


 川辺は主導権を握るつもりが、逆にペースを乱された格好の橋本にアドバイスするように言った。


(な、なんねこの子?本当に1年?落ち着きすぎやろ!)


 一本を取られての仕切り直し。月子と薙刀を合わせながらも、橋本の思考は混乱していた。


(あの出バナを防いだだけじゃなか!その後の動きも全然緊張しとらん!)


 ポイントを先行された。それを取り返すべく橋本は必死に攻撃を続けていた。


(うん……大丈夫。場所や名前は変わっても、薙刀は変わらへん!)


 月子はふつふつと湧き上がる闘志に押されるように、スムーズに身体と薙刀を動かし続けている。


「真帆、まだまだ!足を使って!」


「月子ちゃん、頑張って!」


 両方の陣営から声援も飛ぶ───しかし、月子は崩れない。橋本の懸命な攻撃も一つ一つ丁寧に受けていく。


 しかも取ったポイントを守るために防御に徹しているというわけでもない。防御をしながらも合間にきっちりと反撃を挟んでいる。




 そうしていると当然時間だけが進み。ポイントで不利を受けている橋本の心には当然焦りが生じてくる。


 焦りは技のキレを鈍くし攻撃を単調にしてしまう。残り時間40秒を切った時それは顕著に表れた。


「コテっ!…スネぇっ!」


 橋本の連続技。だがいささか甘い。取り返すべく動き続けた疲れもあるだろう。


 月子はスネ打ちを足を抜いて避けて、そのまま橋本の手首へと薙刀を振るった。


「小手っ!」


 橋本の手首に衝撃と痛みが走り、すかさず審判の声が響いた。


「小手あり!そこまで!」


 旗が上がり月子勝ちを告げられ試合が終わった。月子も橋本も礼をして下がる。


 試合場から出てタスキを返すとじんわりと遅れてやって来る疲労と勝利の実感、そして喜び。


(……よしっ、まずはS県で一勝や…お父さん見てくれてたかな?)


 目線だけで周囲を見回すが、上部の観客席に父武史の姿はパッとは見えない。


(まあこれだけ人のおったら、探しきれへんのもしゃあないよね……)


 月子がそう思いながらふうっと息を吐くと、山口とドリンクを持ったひよりがやって来た。ちなみに面をつけたまま飲めるようにストローが刺してある。


「西山、やったな!鮮やかだったぞ!」


「月子ちゃん、お疲れ!凄かったねえ!私感動しちゃった!」


「……ありがと、先生、ひよりちゃん。応援、ちゃんと聞こえてたで」


 ひよりに礼を述べながらストローからスポーツドリンクを吸い上げる。冷たい甘味と酸味が口と喉を癒す。


「いや本当凄いって!特に最初の橋本さんの攻撃防いで反撃した所とか!まるで分かってたみたいやったもん」


 ひよりは生で初めて見た薙刀の試合と仲間の勝利に興奮して頬を紅潮させていた。


「ああ……まあ何となくね。いきなり出バナで仕掛けてくる人って目つきや肩にちょっと力が入ってるから…もしかしたらとは思ってたんよ。それに背もあるから来るなら面かなって」


 水分補給をしながら月子は試合の時の考えを語った。あの攻防の裏にそんな観察と考察があったのかと、ひよりは感心しきりという様子で何度も頷いている。

 

「……そっかぁ、そういうとこまで見てるんだなぁ。本当さすがだ…」


 称賛されていても月子は特に表情を変えずに、ただ「ふう」と息を整えた。


「おっ、橋本と川辺の試合が終わりそうだぞ……このまま行けば西山と川辺の勝った方

が本戦トーナメント進出だな」


 山口が言うようにインターバルを挟んで開始された川辺と橋本の戦いは現状ポイントでリードしている。


 対する橋本は先ほどの試合の心身の消耗がそのまま出ているのか、どこか動きが重い。


「大丈夫です。この試合もちゃんと見てますから」


 ひよりと話しながらも月子は眼前の試合をきちんと見ているようだ。



「そうか、俺はそろそろ始まる白川の方に行ってくる。新谷、頼むな」


「はい、先生」


 慌てて山口が明日香の試合場の方へ去って行った。


 やがて時間と試合は進んでいき、川辺も橋本もポイントがないまま試合終了を告げるブザーが鳴った。


「決まったか……体力の公平のためにすぐ次の試合ではないけど、集中を切らすなよ西山」


「大丈夫です、先生。大会だとよくある事ですもんね」


 月子は山口に答えながら面紐を指で整える。その声は良く落ち着いていた。幼少期から中学までの経験のたまものだろう。



「畠山高校、西山選手。タスキを付けておいてください。次も赤です」


 係員の声がかかる。


「はい…ひよりちゃん、また頼むわ」


「うん、分かった。任せて」


 ひよりの指はもう慣れた手つきでタスキを取り、月子の背に回る。月子はただ静かに待つ。


 タスキが締まると、すっと背筋が伸びる。面越しの狭い視界の先に待つのはコートと審判と次なる相手。


「月子ちゃん、頑張れ!」


「百合子先輩!ファイト!」


 お互い仲間からの声援を受けて立つ。そして呼び出しがかかる。


「白、中央高校、川辺選手!」


「はいっ!」


「赤、畠山高校、西山選手!」


「ハイッ!」


 互いに元気よく呼び出しに応じ、中央線を挟んで視線が交差する。


「はじめ!」

 

「オオっ!」

「いやぁっ!」


 開始の合図に合わせて両者声を張り上げる。月子も川辺もオーソドックスな中段の構えだ。


 大きな声を出した割には、川辺も月子もゆっくりとした立ち上がり。


 じりっじりっと少しずつ慎重に、まるで互いの呼吸を合わせるかのように間合いを詰めていく。


(………この川辺って人。さっきの橋本さんより、強い…!)


 まだ打ち合ってもいないが、眼前で見ていた試合と実際に対峙した事で月子は強くそう感じていた。そしてそれと同時に───。


(…さっきは何か久しぶりの試合ってだけでどこかフワフワしたまま勝った…けど、この人はそうはいかへん!)


 苦戦の匂いも察していた。





「おおおっ!!」

「たああーっ!!」


「白川!気持ちで負けたらいかんよ!」


 一方月子と川辺の試合が始まる少し前。明日香の試合も始まっていた。


 相手は南高校2年生の堀川ほりかわすみれ。体格に恵まれているようで月子より背の低い明日香からすると不利な戦いだったが、彼女は懸命に食らいついていた。


「……っう……白川もよく粘ってんだけどな…決め手が…」


 月子の試合が終わり移動してきた山口が呟いたとおり、明日香は健闘しているが未だにポイントはなし。相手にもないがやはり歳上という事もあるのか手数では負けている。


「センセ!景気の悪か事言わんで!白川ー!まだまだよ!」


「めんっ!」


「スネっ!」


 明日香と堀川がほぼ同時に打突を繰り出すが、どちらもズレて当たったため審判の旗は上がらない。


 パァンパァンと薙刀が2人の身体に当たる大きな炸裂音が響く。


 明日香も堀川も疲労からかそれとも焦燥か緊張か。今ひとつ打突にキレがない。やがて中途半端な間合いを嫌って身体を預けるように接近してきた。


「ぐうっ!」


 当然薙刀を合わせて両者の全身を使っての力比べのような状態になる。


「剣道の鍔迫り合いみたいだな…体格やパワー差があるとキツいんだよ」


「良くやられとるんよアレ。わざとなんかな?」


「やめっ!離れて」


 静止の声がかかり、2人は中央まで戻される。


「はぁっ…はぁっ…」


 息を切らせる明日香。堀川の作戦かどうかは定かではないが、彼女の方が体力の消耗が激しいようだった。


(負けたくなか……いや、勝ちたい!月ちゃん

が勝ったのは聞いた……だからこそ!)


「はじめっ!」


「いやあああぁっ!!」


 ここが攻め時と判断したのか、堀川は猛然と明日香に襲いかかってきた。激しい連続技が彼女にぶつけられる。


「めんっ、こてっ、めん!」


「白川!動かんね!」


 志穂も声を張り上げる。こんな攻勢に晒されてはまずい。それを明日香も頭では分かっている。


(だけど……だけど、どうにも……月ちゃんなら、防ぎながら応じ技ば出せるやろうけど…!)


 仲間の事がつい頭に浮かぶ。確かに防御と対応に優れた月子ならそれもできるだろう。


(足も…手も、重い……!月ちゃんが頑張ってくれとっとに…誘った私が、主将の私がこのままじゃ…!)


 あの日手を取ってくれた唯一無二の仲間に応える為、そしていずれ並んで立つ為──真摯な思いはあるが中々身体はついてこない。


「すみれー!そのまま決めんね!」


 相手側からの檄も飛ぶ。本当にそのまま堀川の勢いに飲まれてしまいそうだったその時、会場の喧騒と熱気をかき分けて一つの声援が明日香の耳に届いた。


「頑張れ明日香!トリオの意地を見せて!」


「…っ!!?」


 その声を聞いた時、明日香は明らかに顔色を変えた。目を見開き息を上げつつも、堀川の攻撃を薙刀で防御しながら恐れずに前に出た。


「おおっ!?」


「そうだ白川、相手が一気呵成に来てる時はそれも一つの対処法だ!」


 山口が思わず拳を握りながら褒めた。剣道でも似たようなやり方があるのだろう。


 一方景気良く攻め続けていた堀川は、防戦一方だった明日香が間合いを詰めてきたのに驚き思わず身体を横に逃した。


「スネぇっ!」


 明日香がそれに合わせたように反撃する。旗こそ上がらないが、反転攻勢に移り当然同じように仕掛けてくる堀川と打ち合いの状態になった。


「おおっ!」


「やあっ!」


 先程以上の疲労感が明日香を包み、有効打にならない堀川の打突が腕や脚に当たるが彼女は止まらない。


(バカ馬鹿ばか……!まだトリオとか言いよる…!自分の試合もある癖に、ば気にしてどがんすっと!また恵子に怒られるよ?)


 闘志を全面に出して体格も年齢も上の相手と真っ正面から叩き合う。面を通して打ちつける音が明日香の耳を満たす。


(……けど、嬉しかった………嬉しかったよ!やっぱり私、あなたの励ましは気合いの入るけん!)


 どちらも被弾覚悟の必死の打ち合い。普段の冷静さからは考えもつかないほど全力な熱い薙刀。


「いやああああっ!!」


 もう残り時間もほんの少し。技術でも体力でもなく精神がモノを言う数秒間。


 明日香も堀川も譲らず手を出し続けている中、明日香の切先が堀川の左手を捉えた。


「っ……小手ェェ!」


 乱打戦の中の決め手に見えた一撃。問題は判定だが3本の旗のうち2本が上がった。


「小手ありっ!」


 主審の宣言のすぐ後、ブザーが鳴り試合が終わった。悔しそうに堀川は顔を歪め、明日香はどこか虚脱したような表情だった。


 その時数秒間目で、“あの声援の主”を探したが見つからなかった。


(終わった………勝った?本当に?……ありがと…)


 ふうふうと息を切らせながら、ゆっくりと試合場を出る明日香。すかさず志穂が歩み寄り座らせた。


「白川!やったばい!!西山に続けて連勝たい!ほら、飲まんね」


「い、一条さん……ありがとうございます…山口先生は?」


「センセは西山んとこ戻ったよ。もう始まるけんね………いや、そいにしても凄かね!これな本当の薙刀の試合とね!ウチ、感動したけん。なんかこう…ヘソに力の入るというか…」


「それはそれは………少しはキャプテンらしい所を見せられたみたいですね…」


 ドリンクを飲みながら、志穂に明日香は安心したような顔で言った。


「最後の方、相手にバシバシ来られてヤバか!って思ったけど、よう盛り返したばいね!やっぱ気合いの入ったとねあそこ?」


 志穂のその質問に、明日香は一時黙るとイタズラっぽく笑う。


「……そうですね。どこかの背の高いボクっ子のおかげかも……」


「は?なんね、そいは?」


 戸惑う志穂に明日香は「なんでもありません」と答えてまた視線を試合場に戻した。

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