因果律とは

相対メタ時間において2つの異なる状態A、状態Bに対して

A→B,B→Aとなるそれぞれの経路ABと経路BAが考えられます。

このとき経路ABとなる相対原点ABO'と経路BAの相対原点BAO'が存在します。

2つの相対原点ABO'とBAO'は同じ相対原点にはなりません。(nA<nBならばnB<nAは成立しない、nB<nAならばnA<nBは成立しない)

つまり経路ABと経路BAは必ず別の過去を経路に持っていると考えることができます。

ただし経路ABと経路BAのどちらが正しいのかは相対原点を決めない限り決められません。

経路ABをBならばA、経路BAをAならばBが成立すると考えるとわかりやすいです。

0は偽、1は真として

A B AならばB BならばA

0 0 1 1

0 1 1 0

1 0 0 1

1 1 1 1


AとBは同値ではありません。このときBならばAという経路が成立するとき状態Bから出発して経路のゴールが状態Aとならない場合は存在しません。AならばBという経路がある成立する場合についても状態Aから出発して状態Bにならない場合は存在しません。

状態AとBが異なるとき経路ABが成立するとき経路BAは存在せず、経路BA成立するときに経路ABは存在しません。

つまり経路ABと経路BAは排他的と言えます。


何が言いたいのかというと因果律は単に経路が排他的であることを言い換えているだけで因果律だけでは状態A、Bのどちらが過去なのか決定することができないということです。

因果律は、どちらかを過去と決めればどちらかは過去より後(現在か未来)であることが決まると言っています。


これは観測するということ(A)と観測結果がある(B)と考えるとわかりやすいと思います。

観測結果があるから観測することができる。と決めたとき、観測できた以上は観測する前から観測結果が存在していることになります。

逆に観測することができたから観測結果があると考えたとき、観測結果がある以上は既に観測することが行われています。

これは観測することと観測結果があることに因果を決めていますがどちらが要因でどちらが結果なのかつまり観測することと観測結果があることのどちらの向きに時間が進んでいるのかは人が定義しなければいけないということです。

量子力学的立場と通常の力学的立場を統合するとき、因果律に対する勘違い(過去は自然と決まる)が難しくしています。

それぞれの立場が考えるメタ時間の範囲が違う(別の相対時間領域)である以上はそれぞれの理論が別のメタ時間の範囲において成立しないことを考えても仕方ないと捉えられます。

つまり観測と観測結果のどちらが先で無ければいけないかという議論は理論が対象とするものから外れています。それは定義するべきことであり定理ではないのです。

どこが過去かというのは自然と決まるものではなく定義であり、どの状態をどう変化させて望む状態にするかを考える科学理論において過去は絶対的には決定できないものなのです。


すなわち因果律は過去を決定するものではありません。

過去あるいは現在(未来)は相対的に決まるものであって過去が過去であることを証明することは不可能であるということです。

通常の時間の向きや大きさは常に相対的であり時間がどう扱われるかを決めるのは常に人なのです

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る