夜の音を聴いていたいから
季都英司
第1話:少年と夜の音
何も無い夜。こんなときは夜の音がとても心地よく耳に届く。
暗く、静かで、余計なもののないシンプルな世界。
遠くにかすかに見える星のかすかな光だけが、かろうじて僕のところへ届くけど、この角度じゃそんな星もほとんど見えない。
残るのは、ただ宇宙の闇。
静かで明るさを寄せ付けない、真の闇だけがそこにある。
僕はこんな闇の夜が大好きだった。だって闇は見えないから。
この夜、目に映るすべてのものは世界から消え失せる。
残るのは音だけ。
全てを包む夜の音。
時には大地が鳴らす草原の音。それは星の生命が奏でる優しい音。
時には海がつま弾く波の音。それは星の鼓動が奏でる強き音。
時には空が鳴らす風の音。それは星の息吹が奏でる過去と未来をつなぐ音。
そして、時には自分の音。それはこの星に生命がいるという存在証明の音。
自分がここにいること、ここにいてもいいと言うことを教えてくれる暖かい音。
夜の音たちが奏でる星のハーモニーは、この星に住むただ一人の人間である僕のために演奏される、たった一つの贅沢な音なんだ。
音が世界を構成している。
聞こえてくる全ての音は溶け合い、複雑に一つの世界を奏でている。
そんな夜の音を僕は愛していた。
この星の夜は、ただ僕を包んでくれているから。
星の光のように視界を圧倒してくることも、月の光のように存在を主張してくることもない。
この夜を聴いている時間は、僕にとっては最高の時間だった。
ただ、僕を許し優しく包んでくれる。それだけの余計のない空間。
僕のいるこの星は、とてもとても小さな星。
僕と、僕の家と、少しの畑と、ただそれだけの小さな星。
どこかの暦で何年か前に、この星に一人移住してきた。
誰もいないこの孤独な星が気に入ったからだ。
夜が好きで、昼が嫌い。
人の多い賑やかな喧噪が嫌いで、静かな空間にいることが何よりも心地よい。
星も月の光も無いこの星を、何も無いからつまらないと言う人がいるだろう。
人の営みが無く音も無いこの夜を、怖いと言う人がいるだろう。
ああ、そう言う人がいるのはかまわない。
きっとそっちの方が普通の感覚なんだ。それはわかってる。
でも、僕はそう言う人とは相容れない、それだけのことだ。ただそれだけで、決して交わることのない世界の住人がいる。たったそれだけのこと。
さみしくはない、悲しくもない。
ただ、住む世界が違うだけ。
どこか全く別の星系にいる宇宙人と気持ちが通じないからって、悲しくなることなんてないだろう?
僕にとっては、この星が、この夜が、ただそれだということ。
僕がこの星で何より気に入っているのは、夜の音がとても綺麗だってことだ。
耳を澄ますと聞こえてくる静かな音、宇宙の闇がそのまま奏でているような、それはそれはとても静かで綺麗な音なんだ。
闇の中に音があるなんて最初は思ってもみなかった。ただそこには何も無く、無音で虚無でただ静かなんだとそう思っていた。
でも、この星の夜を最初に迎えたとき、それは間違っていたと知ることができた。
夜の音はかすかだけどふわんと耳に届いて、ぎゅっと心をつかむ。
本当に本当に優しく世界を奏でていた。
僕はきっとこの夜の音を求めて、この星に来たんだと今は思っている。
だから僕は夜になると外に出て、椅子に座りただ闇を眺めて夜の音を聴く。
毎日毎日飽きることなく。そしてこの先も飽きないだろう。
そんなある日のことだった。
僕の星に贈り物が届いた。
いや、贈り物って言うのは語弊があるかも。
それは、どこからか流れ星のように僕の星に墜ちてきたものだったから。
それは、両手で抱えられるくらいの奥行きの薄い直方体の箱で、いちばん広い面の両側には小さな穴が無数に開けられた丸いエリアを構成されている。そして箱の横には丸いつまみが一つ、箱の前にはそのつまみに連動した、ゲージが一つ。ゲージには所々数字が振られている。さっきのつまみはダイアルなのだろう。
そして箱の上には取っ手と、金属製の伸び縮みする細い棒が左端に点で連結されている。
昔の文献で見たことがあった。
これはラジオというものだ。
どこかの誰かが垂れ流した電波を拾い、そこに乗せた声や曲を聴くための機械。
僕はラジオ番組なんてものを聴いたことが無かったから、ひょっとして何か聴けるだろうかと、とにかくいろいろとさわってみた。説明書なんてもちろん無いから、全てが手探り。
幸いにも、ラジオの構造はとてもわかりやすくて簡単で、できる操作ややるべきことはすぐにわかった。
最初にやったのは、ラジオのスイッチだろうボタンを操作すること。
いきなり、サーッという大きな音が流れてきて、僕は思わずラジオを放り投げてしまったよ。なんとか壊れないでいてくれたけど、本当にびっくりした。
そこから流れてくるのは、ただのノイズ。
特に意味は無く、中身も無い音の集合体。
どうやらダイアルで受信する周波数を変えるのだと気づいた僕は、とにかくダイアルをぐるぐると回してみたけど、どの周波数からも意味のある音は聞こえてこなかった。
それはそうだろう。こんな辺境の星に届くラジオ放送なんてあるわけがない。
そんなものが届かないようにこの星に移住してきたんだから。
結果として、このラジオはどうやら壊れてはいないってことだけはわかった。
正直がっかりしたところは少しあったけど、ほっとした自分もいた。
ラジオがもし聴けて、それによろこんだ自分がいたとき、ここにいる夜の音を聴いている僕はなんなんだろうって、たぶん思ってしまうだろうから。
僕はラジオをスイッチを入れっぱなしにして、ノイズが聞こえるままにしておいた。理由はなんとなくだ。
何も意味の無い音、でも空虚では無い音。
波の音のように揺らいだりもしない。質のよい紙をなでるような、吹きっぱなしの風のような自然には無い音。
そんな音がどうしてか僕にはとても心地よかったんだ。
いつも聴いている夜の音を邪魔しなかったし、それどころかこのノイズも夜の音に溶け込んでいるような、そんな気すらしていた。
それからというもの、僕の日課にはラジオを聴くことが加わった。
より複雑になった夜の音のオーケストラは、思いのほか気分がよく、がらにもなく鼻歌なんかを歌う日だってあったくらいだ。
このラジオの音は僕にとって何だろう? そんなことを考えた。
ただの雑音。そうかもしれない。
夜の音の邪魔? そうではない。
じゃあ、なぜこの音は心地いいんだろう。と考えたところで、ふっと答えが降りてきたような気がした。
そうか、ラジオのこの音は、宇宙の音なんだって。
星の外からやってくる電波がラジオを通して音になって、こうして星の音と混じり合って新たな交響曲を奏でているんだ。
そう思ってからは、僕の夜はさらに広がった気がしたんだ。
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