第3話
「どっちにしろ先輩もその庇われている後輩も口を割らないだろうから物証を突き付けるしかないね。例えばなんだけど,新聞部の方で是枝先輩の後輩が事件当日職員室に踏み入っていた,なんて情報は入ってきていない?」
「ないですね。新聞部には内部進学組が多いんですけどその手の情報は入ってないです」
窃盗犯かもしれないのに,態々自分から名乗り出ないだろう。実の所新聞部の情報網を試す意味合いが強かったのだけど,この辺りが限界らしい。学園内で流布する膨大な情報を日々取り扱う彼らが把握していないとなると,そもそも誰も目撃していないか既に忘れてしまったという結論に至る。この情報が今後上がってくる見込みは低そうだ。
「……こうして事件を振り返ると,やっぱり蓋然性の低さが気になります」
身を乗り出しわたしのメモ帳を覗き込んだ真守ちゃんは眉を顰める。カウンターの天井近い高さに掛けられた時計を見ると,分針は文字盤の8の辺りを指している。移動や準備にかかる時間を考えれば長くても後5分が限界だろう。肩に掛かる髪を払い除けその疑問に応じる。
「そうね。鍵や目撃の点に関しては勿論そうなんだけど,そもそもの話を言えば川端先生が席を立ったのも恣意的に思えてしまう」
「ただご存じでしょうが先生は学察の顧問を務めており,席を立ったのも学察の人に経理等の書類へ記名を頼まれ学察本部に向かったからだそうです。会費を盗み出した生徒に共犯者がいて先生を連れ出した可能性も考えてみたんですけど,それもなさそうですね」
形式上学察は一部活動だ。顧問を置く必要があるけど学察の性質上教員が積極的に活動へ関与するのは好ましくなく特に技能が求められるわけでもないから,顧問として選ばれるのは若手の教員ばかり。要するにお飾りだ。
「つまり状況から考えると偶然金庫の鍵を掛け忘れたまま会費を管理する先生が席を離れ,偶然あの日職員室に入った生徒がそれに気付いて偶然誰にも犯行を目撃されないまま会費を盗み出したってことになる。全くありえない話じゃないんだろうけど,確率はかなり低いだろうね」
かなり低いなどと表現したけど,実際の所それは殆ど0に近いくらい起こり得ない確率だ。だけどそうでないと考えた時の困難さに行き当たったのか,真守ちゃんは小さく呟く。
「仮にお兄ちゃんが誰かを庇っているとしても,真犯人を突き止めるには具体的なトリックを見破る必要があります。でもどうすれば鍵の掛かった金庫から誰にも目撃されることなく会費を盗み出せたのでしょう。それも封筒は残したままに,です」
そんな犯行を完遂する難しさを考えると,まだしも偶然が重なる機会を待っていた方が現実的な気もする。白昼堂々誰にも目撃されずあっさり金庫を破るその犯行は鮮やかかつ大胆不敵で,まるで小説の中に出てくる大怪盗のようだ。
物語にはそれを追い詰める名探偵が登場するものだけど,あの探偵君は今どこで何をしているのだろう。
「……そろそろ授業が始まりますね」
考え込んでいたわたしは控えめな真守ちゃんの声にはっと我に返る。時計を確認すると確かにそろそろ移動し始めた方がいい時間帯だ。メモ帳を閉じながら立ち上がる。
「取り敢えず,是枝先輩外の誰かが会費を盗み出した線で調べてみるね。真守ちゃんの方でも新しい情報が入ってきたら教えて」
「先輩,あの」
「ん? 何?」
「……お兄ちゃんは,本当に無実なのでしょうか」
消え入りそうな声で零れ落ちた言葉を何とかわたしの耳は拾い上げる。けどその言葉以上に,こちらを見上げる不安そうな瞳が雄弁に彼女の心境を物語っていた。
兄が事件に関与しているのではという不安からその手がかりとなり得る記事を湮滅しようとした子なのだ,先輩が犯行を申告した時に彼女が受けた衝撃は計り知れない。それに身内が窃盗犯であるという形で事件は解決してしまったため,周囲の対応もすっかり様変わりしているだろう。信じ続けたいのに本人が犯行を認めた上,冷ややかな視線に晒され続けた結果精神が擦り切れてしまったのだ。
湿潤な瞳に,かつての自分を見た。
気付いた時には両手で彼女の手をそっと包み込んでいた。真守ちゃんの手は小さく,夏だというのに冷気に中てられたせいか指先が冷たい。
「大丈夫。他の誰が何を言おうとわたしは先輩が犯人じゃないって信じてる。真守ちゃんと同じようにね」
自分でも必要以上に感情的になっていることが分かった。それでも真守ちゃんに今必要なのは兄を信じ続ける支えとなる言葉だと思ったし,わたし自身先輩が窃盗犯でないと確信していたからこの言葉に嘘はない。
真守ちゃんは涙を堪えるように瞼を震わせ頷いた。
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