学園探偵

阿久井浮衛

第1課

第1話

「ここか……」

 わたしは「物理学教室」と書かれたプレートを一瞥して,それからその下にあるドアの取っ手を見つめる。そもそも文系学部志望で物理という科目を大学受験で利用しないわたしに,この教室はただでさえ縁遠く感じられる。

 どうしてこんな所にいるのだろう?

 そう嘆いてみるものの,やはり答えは明瞭過ぎて気を紛らわすことはできそうにない。溜息を吐いて,そのドアをノックした。

 事の発端は,わたしが所属している学校の組織にある。

「加賀。例の不審火の件,お前の担当だよな?」

 昼休みに書類の整理をしていると,直属の上司である時田さんがそう話しかけてきた。その発言の奇妙さに思わず手を止めたわたしは思わず先輩の顔をまじまじと見返す。

「そうですけど……そもそも先輩がわたしに任せましたよね?」

「ん。まあ,そうなんだがな……」

 いつになく歯切れの悪い時田さんに,わたしは内心ひやりとする。また学察長はお冠なのだろうか。

 学園警察。

 通称学察と呼ばれる組織にわたしは所属している。その捜査員であるわたし達はその名の通り,私立松羽島学園で起きたありとあらゆる事件の解決を目指す。

 こう言えば生徒会か何かの格式ばった組織に思えるかもしれないけど,形式上は部活動と同じ。だけど実際の扱いは部活でも生徒会の所属でもないときたものだから,なんとも宙ぶらりんではある。

 その割には,と言っても校内においてだけれど,学園警察は重宝されており(紛失物の捜索など,便利屋扱いされている面もあるが),学察の略称と共に我が校独自の組織として新入生への宣伝に使われたりしている。

 そんな掴み所のない立ち位置にいる学園警察だけど,その設立に関しては良く分かっていない。実を言うと,所属している捜査員にも知らされていない。その成立過程を知りたくて捜査の傍ら各方面に探りを入れているのだけれど,思うように関連する資料すら見つかっていない。試しに学察長や先生方に聞き込みを行っても,顰め面をされるか怯えられるかといった反応が返ってくるだけ。

 そんな状況でどうにか集めた断片的情報から推測するに,どうやら設立に関与したのは10年以上前の生徒会長で,設立のごたごたで当時の先生方は大変な目に遭ったようだ。そんなダークな歴史は組織内において当然タブー。当時からこの学校に勤務している先生方にとってはトラウマにも匹敵する,何としてでも忘却の彼方へ追いやりたい古傷といったところらしい。

 いつかその真相を突き止めたいと思っているものの,日々の事件に忙殺され調査は滞っているのが現状だ。

「あー。そのヤマ,手掛かりなくて難航しているだろ。だから学察長も立場が苦しくてな」

 時田さんは相変わらず言い辛そうな,そして何故か申し訳なさそうに続ける。

 学察長に絞られて発破かけにきた,ってとこかな?

 わたしはそう推測してみる。でも先生方も生徒会も持て余してここに回してきたはずだから,あまり強く言われることもないだろうけど……。

 宙ぶらりんな組織ではあるけれど,この組織を目指して学園を受験する生徒が少なくないことからも分かるように,学察は意外としっかりした組織だ。学園学察長をトップに置き,その下に捜査第1課から第3課までの課が設けられている。1つの課につき課長1名,課長補佐3名が任ぜられ,その下に10人程度の捜査員がいる。

 各課の役割分担も厳格で,わたしの配属された第1課はいわば実社会での刑法犯を取り締まる。第2課では,教員だけでは対応しきれない生徒個人から依頼された問題を専門に取り扱う。第3課の役割は科学分析を専門に行うことによる他の課のサポート,つまり各県警でいうところの科学捜査研究所にあたる。

 高等部だけで生徒数が1000を超えるこの私立松羽島学園で起きた事件を,たった50人程度の学生だけでは持て余すのではないかと思われるかもしれない。だけど只でさえ偏差値が軽く70を超えている学園においても学察に入れるのはほんの一握りの生徒だけだし,役職に就く者は基本的に,学年で10本の指に入る成績の生徒ばかりだ。そうした生徒の集団だから教師からの信頼も厚く,そこにいくつもの事件を解決してきたという実績が加われば「況や豈軽んぜられん哉」という具合だ。教師からの信を得て,権力関係で言えば生徒会すら上回る学察がそうそう口を出されることはない。

 わたしが任されている事件とは,高等部の新聞部保管庫で起きた不審火だ。認知と共に捜査を開始した学察と異なり,職員会と生徒会は原因追及を早々と学察に任せ,自分達は防火対策の拡充に力を注いだ。そんな彼らからとやかく言われる筋合いはない。

 もし,口を出されても仕方ないとすれば,それは進展しない捜査状況についてだろう。

 事件が起きたのは1週間以上前の5月12日。当初はただのぼや騒ぎと思われたため,経験の浅いわたしは場数を積む意味で時田さんからこの件の担当に指名された。けれど捜査を続けてわたしが明らかにしたことと言えば事件の難解さのみ。一向に事件解決の兆しが見えてこない捜査状況に痺れを切らした生徒会が責付いてくることは考えられるけれど。

 呑気にそんなことを考えていたわたしは,時田さんの苦虫を噛み潰したような表情を見てようやくひやりと肝が冷える。

 苦しい立場って……まさか打ち切り?

「学察長と課長級が集まって会議してな,その結果,この件への処置が決まった」

 ヤバイヤバイ,嘘でしょ? わたしのせいで,捜査打ち切り……

 目の前が徐々に暗くなり,サーっと頭から血の気が引いていく。だけど時田さんが告げた言葉はその予想を超えるものだった。

「『探偵』へ依頼することになった」

 へ?

 先ず,最悪の事態だけは免れたらしいことに安堵してほっと息を吐く。次に,考えようによってはより厄介な事態になったかもしれないことに気付きサッと青ざめた。

「って待って下さい! わたし1人でもやれます!」

「悪いな,俺らにも立場がある。さすがに生徒会長レベルから催促されたら,ちんたらやってらんねぇ。それでお前に『探偵』への依頼持ち込みとその補佐の任に就くよう決定が下された。投げ出した時点でプライドも何もないが,面目は残っているからな。学察がいない所で事件解決されるわけにもいかない。だからお前は学察代表として『探偵』について回れ」

 ついでに事件解決のいろはを盗みにな。そう時田さんは付け加えた。だけど正直,わたしはその言葉を聞いていなかった。

「待って下さいよ。『探偵』って,あの変人ってことで有名な?」

「そ,俺らに倣って『学園探偵』とも呼ばれている,あの『探偵』だ」

 それって,要はわたしじゃ解決できないって断言されたに等しいんですけど。それにあの有名な「探偵」に依頼?

 ずーん。と今にも背後から効果音が聞こえてきそうだ。

 ふと,向かいの机で書類整理をしながら耳を欹てている同じ課の梓に気付いた。彼女は気の毒そうに眦を下げながらも,口許には隠し切れていない笑みを浮かべて手を振った。

「ファーイトっ!」

 ……他人事であんたはいいよなぁ!

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