余計なお世話だ

@sahara_ritu

余計なお世話だ

 バレンタインに手作りチョコなんかいらないし、ホワイトデーに高級スイーツも返したくない。お洒落なディナーよりも駅前の立ち食いそばが落ち着くし、カフェラテよりも缶コーヒーがありがたい。

 

一度だけ、バレンタインに凝った手作りチョコをもらったことがある。ラッピングもやたらと豪華で、「ここまでやる?」って思わず呟いたくらいだ。だけど、それを開けて食べる頃には、もらった瞬間の感動なんてどこかに消えていて、ただただ「甘いなぁ」としか感じなかった。


帰りによった自販機から出てきたホットの缶コーヒーを両手で包み込む。じんわりと伝わる温もりは、豪華なチョコレートには決して真似できない慰めだった。

 

高級スイーツなんて食べる機会もないけど、想像するだけで重たく感じる。結局のところ、口の中でホロホロ崩れる駄菓子みたいなクッキーが、自分にはちょうどいい。駅前の立ち食いそばもそう。湯気がふわりと立ち上るそばをすするたび、心にへばりついた曇りが少しずつ剥がれ落ちるような気がした。それはささやかな癒しで、豪華な食事には到底真似できない贅沢なのだ。


「ほんと、祐介ってつまんないよね」

彩子が呆れた顔で言う。

「余計なお世話だ」

「だってさ、そんなんじゃ彼女だってできないでしょ?」

「お前に言われたくない」

「えっ、私、ちゃんと恋愛くらいしてるけど?」

彩子はどこか挑発するような笑みを浮かべた。グラスを傾けながら、焼き鳥をつまむ手を止める気配はない。口元に焼き鳥のタレがついているのが目に入ったけど、指摘する気にもなれなかった。


 

詩織と会うようになったのは数か月前の同窓会がきっかけだった。


同窓会の案内が届いたとき、正直行く気はしなかった。久しぶりに顔を合わせる同級生たちと何を話せばいいのかわからないし、思い出話に花を咲かせるようなタイプでもない。だが、幹事をしている別の友人に無理やり引っ張られ、会場に足を運ぶことになった。


あの日、同窓会の会場は妙に気取った雰囲気だった。場所もオシャレな居酒屋で、BGMにジャズなんかが流れている。高校時代の面影を残した同級生たちが、ネクタイやヒールで小洒落た大人を装っていた。


俺は端っこの席に座りながら、苦手なビールをちびちび飲んでいた。居心地の悪さに耐えきれず、早く帰ろうと時計を何度も確認していたのを覚えている。


「あれ、祐介じゃん。なんか変わってないね」

その声に顔を上げると、そこには詩織がいた。

「詩織か」

「あんた地味すぎて最初気づかなかったわ」

相変わらず口が悪い。高校の頃もこうだった。

「ま、座りなよ」

仕方なく隣に詩織を招く。彼女はグラスを手に取ると、一息で飲み干した。

「はー、飲み会って疲れるよね」

「珍しい」

「そりゃあね、みんな社会人ぶってさ。私みたいな学生は肩身が狭いのよ」

詩織は大学3年生、俺は高卒で社会人になって3年目。立場も生活も違うけど、こうして並んでいると、なんだか高校時代に戻ったような気がした。

「で、祐介は何してんの?」

「つまらない仕事さ」

「どんな?」

「工場でライン作業してる」

「あー、意外と向いてそうじゃん」

「余計なお世話だ」

詩織がケラケラと笑う。その声が周りの喧騒に紛れず耳に響いた。




「ねえ、連絡先交換しない?」

帰り際、詩織が唐突に言った。

「なんで?」

「楽だから」

「はい?」

意味不明な返事だったけど、断る理由もないからその場で連絡先を交換した。




それからというもの、俺たちは月に何度か会うようになった。


いつも決まっての高円寺の居酒屋だ。お互い特別なことを求めるわけでもなく、ただ会って話すだけ。それだけなのに、心のどこかで少しずつそれが心地よくなっていくのを感じていた。



詩織がカシスオレンジを一口飲み、テーブルの上に置く。少し赤くなった頬に、酔いが回り始めているのがわかる。

「でもさ、」と詩織が言った。

「祐介、そういうの全部自分から避けてない?」

「どういうことだよ」

詩織は少し考えるようにカシスオレンジを回しながら、ふと昔話を始めた。


「覚えてる?高校のとき、文化祭で私がめちゃくちゃ頑張ってたのに、祐介だけ手伝わなかったの」

「そんなこともあったな。お前、一人で動き回ってて、壊れかけた風車みたいだったじゃん」

「は?壊れかけた風車ってなにそれ」

「力任せに回ってる感じ。見てると危なっかしくて仕方なかったわ」

「祐介って、自分のペース崩さないよね」

「悪かったな、協調性なくて」

「……いや、なんか、それがちょっと羨ましいだけ」

詩織の言葉に、俺は返答に迷った。一瞬の沈黙の後、彼女は軽く笑ってカシスオレンジに口をつける。


「サプライズも旅行もフレンチも、最初から全部ダメって決めつけてるでしょ?人生なんて、どっちみち消えていく火花みたいなもんじゃん。だったら一瞬くらい派手に弾けたっていいじゃんって思わない?」

「面倒くさいんだよ、そういうの」

「またそれだ」

詩織は呆れたようにため息をつく。

「でも、なんだかんだ一緒に飲みに来てくれるんだよね」

「別に嫌いじゃないからな」

「ふーん」

詩織の笑顔は、どこか強がりと安堵の中間に浮かんでいた。それは、真っ直ぐには言葉にできない感情を、そっと飲み込んで、瞳の奥に影を落としていた。



「祐介ってさ、ほんとに恋愛経験ないの?」

居酒屋の帰り道、詩織が不意にそう聞いてきた。夜風が少し肌寒く感じる中、彼女の視線が俺に突き刺さる。

「ないことはないけど……まあ、続かなかったな」

「へえ、なんで?」

「なんでって、そりゃ……」

理由を言葉にするのが難しい。自分が悪かったのか、相手に期待しすぎたのか。それとも、ただお互いに飽きただけなのか。

「詩織はどうなんだよ?」と逆に聞いてみると、彼女は少し視線を逸らした。

「うーん、私もそんなに続かないタイプかも」

「意外だな」

「意外って、失礼じゃない?」

「いや、なんか、お前は何でもうまくやれそうなタイプに見えるから」

「そんなわけないでしょ」

詩織は少し笑った。だが、その笑顔にはどこか影があった。

「実はね、私、ずっと頑張りすぎてたんだよね。尽くすことが自分の価値だって思い込んでた。でも、鏡を見たら、そこにいたのは誰かの笑顔を埋め合わせるためだけに動いてる私で、自分の声なんてどこにもなかったの。頑張るのをやめるのも怖かった。でも、何も期待しないまま終わる人生って、もっと怖いんだって思ったんだ。」


詩織の話を聞きながら、俺は彼女が本当にそんな「置き忘れた声」を取り戻せたのか、疑問に思った。笑顔の裏に隠れている静かな疲れ。それを見抜けるほど俺は繊細じゃないけど、少なくとも今の詩織が無理をしていないなら、それでいい。


居酒屋を出て、少し歩いたところで、詩織が静かに呟いた。

「こういうの、ずっと続けてたら、どうなるんだろうね」

「こういうの?」

「私たちみたいにさ。付き合ってるわけでもないけど、一緒にいるみたいな」

「どうなるんだろうな」

俺は立ち止まり、少し考えた。いつも通りの無難な返答をするつもりだったが、夜風の中、詩織の横顔がいつもより遠く感じた。

「でも、悪くないだろ」

「………かもね」

詩織が空を見上げる。都会の街灯の光に消されながらも、いくつかの星が見えた。


「ねえ、祐介って、自分のこと好き?」

「いきなり何だよ」

「いや、なんとなく。自分のこと嫌いそうに見えるんだよね」

詩織の言葉に、俺は返答に詰まった。確かに、自分のことを特別好きだと思ったことはない。けど、嫌いかと言われると、それも違う気がする。

「別に、好きでも嫌いでもない」

「………祐介ってさ、期待しないほうが楽だって思い込んでるだけでしょ?」

「期待するとかしないとか、もうすでに忘れた気がするんだけどな」

俺は苦笑いで返したが、呼吸が少し浅くなる。

「それ、できないって決めつけてるうちは、できるチャンスだって、きっと遠慮しちゃうんだよ。だって、扉を開ける前から鍵をかけてるみたいなものじゃない?誰だって入るのをためらうでしょ。」

詩織は笑いながら言った。その笑顔を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。


俺は昔から、「面倒くさいこと」を避ける傾向がある。それは何も、楽をしたいからとか、怠惰な性格だからというわけじゃない。むしろ、そういう派手な行動や特別な瞬間を求める人たちを見ると、どこか羨ましいとさえ思うのだ。

だけど、俺はそういう人間にはなれなかった。学生時代、クラスメイトが青春映画のような部活の思い出を作る横で、俺は静かに図書館で本を読んでいた。友達が夏祭りに浴衣姿の女の子を誘い出す勇気を出す中、俺は屋台の金魚すくいを冷やかしているほうが気楽だった。

自分に期待しないこと。薄いガラスの板を自分と世界の間に立たせて、傷つきもしない代わりに、誰かに触れることもない。ただ、そのガラス越しに映る景色はいつもどこかぼやけていた。

詩織は、透明なガラスの面にひびを入れるような、静かな衝撃だった。表面はそのままでも、内側でゆっくり歪んでいくのが感じられる。傷がついたことを認めたくなくて、触れたくないのに、じわじわとそのひび割れが広がっていく。それが痛みでもなく、ただ静かな感覚として残る。それをどうにかしようとするのも、放っておくのも、どうして中々、心地がよいのだ。


詩織と話していると、ふと自分が少し変わりたいと思うことがある。それは、派手なことをしようとか、目立つ人間になろうというわけではない。ただ、自分を変える「きっかけ」があるのなら、それを掴む努力くらいはしても罰は当たらないのではないか。

「また今度、どっか飲みに行こうぜ」

「いいよ、でも今度は祐介のおごりね」

「なんでだよ」

「だって、私ばっかりじゃん。たまには男らしいとこ見せなさいよ」

詩織の言葉に苦笑いだけを返す。


夜風が頬を撫でるたび、街灯の光がぼんやりとにじむ。その淡い光に包まれると、心の奥底に溜まっていた曇りが、そっと撫でられるように少しずつ溶けていく気がした。隣を歩く詩織の足音は、控えめなリズムを刻むように耳に響く。その足音が未来の道筋を、かすかな明かりで照らしていて。次の一歩が、これまでより少しだけ軽く感じられる。

「余計なお世話だ」

そう笑った俺の声が、夜の静けさにやわらかく溶けていった。


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