黒いサンタクロース
木田里准斎
1
クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
冬の夜幼なき
萩原朔太郎『クリスマス』
ケーキが食べたかった。
ホールのケーキだ。フルーツやチョコ細工でふんだんにデコレートされ、スポンジとスポンジの間にもオレンジやキウィがたっぷりと挟み込んであるやつだ。
もちろんクリームは生クリーム。はるか昔の小学生高学年のときにクリスマスケーキがバタークリームから生クリームに変わったとき、沢渡和史はそのまろやかさと濃厚さに驚愕したものだった。
ケーキをホールで食べてみたい。それは彼のかねてからの願望だった。当時、テレビの特撮変身ヒーロー番組で、人間態のヒーローがホールケーキを一人で箸を使って食べているシーンが出てきた。宇宙からやって来たそのヒーローは地球征服を企む宇宙人と正体を隠して日夜戦い続けていたが、異邦人であるがゆえに地球人とは感覚や言動の異なる部分が多々あった。ホールケーキを箸を使って一人で平らげるという行動も、そういった部分の表れだった。
そのシーンが妙に印象に残っている。それから四十年以上経った今でもそのシーンは覚えていて、しかも自分も同じことをしてみたいという当時から抱いていた願望は今もそのままだった。これまでそのような「大人食い」ができるようになってからもそんなことをしなかったのは、やはり自分がいい歳をした大人だという意識が働いたからだろう。しかし逃亡者となった今、そんな分別めいたものはもはや無意味だった。
街は明後日にやってくるクリスマスイブを前にして、ひときわ賑わっていた。ホールケーキを食べたくなったのはそのせいだった。沢渡はケーキ屋を探した。
彼の記憶ではヒーローが食べていたケーキは直径三十センチぐらいの大きさがあった。十号サイズのケーキだ。大の大人が七、八人でシェアして食べるような大きさである。ケーキ屋を何軒かあたってみたが、そのぐらいの大きさだと予約なしでは売れないとすべて断られた。食品ロスを防ぐためにそういうお達しがケーキ業界に出ているのかもしれない。
ホールケーキを食べたくなったのはほんの気まぐれだったので当然、予約などしていない。あちらこちらの街を点々と渡り歩き、十軒以上断られたあとに入った店でようやく手に入れた。
そこは沢渡の実家に近い商店街の中にあるケーキ店だった。逃亡生活をする人間からすれば実家のある街は避けたかったのだが、もしかしたらそこなら売ってくれる店があるかもしれないと思って行ってみたのである。
「いらっしゃいませ」
ケーキが並んでいるショーケースの向こうから白いコックコートを着た中年女性が声をかけてきた。
沢渡は入店するなり、イチゴが乗っている十号のホールケーキを注文した。幸い断られることもなく、沢渡はケーキをゲットした。
中年女性の顔に見覚えがあるような気がした。少年時代を過ごした街の駅前近くの商店街だったので、同級生の女性なのかもしれない。小綺麗にメークをした顔は五十代半ばから後半といった感じで、沢渡と同年代のようだ。
思い出した。中内頼子だ。面影があるどころか、髪に白いものが混じっている以外、今もほとんど変わらない。中学三年だったときのクラスメートだった。細面で妙に大人びた色気のある顔をしていた。
沢渡は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。昔の事を思い出したのである。恥ずかしい思い出だった。
授業中、ふと気がつくと彼女の顔をぼんやりと見つめていた。学園ドラマやコメディ映画に出て来る初な少年そのままに彼は中内頼子の顔に見とれていた。
授業中ばかりではなかった。学校にいる間、視線の届く範囲に中内頼子がいると、自然と彼女の顔に目が行った。ダメだ、いけない、やめろと自分自身を叱りつけながらも、気づけば彼女の顔を見つめていた。向こうもこちらのそんな様子に気づいていて、ときどき不思議そうにこちらを見返したり、流し目で見ながら薄笑いを浮かべたりした。
あの頃のことを思い出すと自然に顔が赤くなった。いたたまれないような気分になったが、いきなり逃げ出すわけにもいかない。
「保冷剤はどうされますか?」
中内頼子が訊いてくる。冬場なので保冷剤は必要ないと思ったが、沢渡は今、そこから電車で一時間近く離れたところにあるビジネスホテルに数日前から泊まっていた。念のため一時間分の保冷剤を入れてくれと言い、ケーキの代金を払うとそそくさと立ち去った。
向こうは気づいただろうか。いや、気づくはずがない。今の沢渡は三十代半ばの男性だった。顔もテレビドラマや映画に出て来るモブキャラかエキストラのように目立たないものに変わっていて、元の顔とは似ても似つかない。リアルでは頭髪が薄くなった五十路後半のオッサンだったが、年齢も面相も今の沢渡はまったくの別人と化していた。気づくわけがないのだ。
それでも気づかれたのではないかという不安があった。それほど中内頼子は彼の中で印象深い存在であり、そして癒やすことのできないトラウマでもあったのである。
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