お題短編「愛の原点回帰~掛け替えの無いもの~」

木村 瞭 

第1話 「お前、麗華は嫌いか?」

 野上亮治は高校を卒業した後、錺簪職「花簪家」へ就職し、亀山豊一親方に師事して錺簪師の道を目指した。

「花簪家」は江戸時代から百五十年以上も続く老舗で、主に歌舞伎の髷や浄瑠璃の人形に使われる伝統芸能用の錺簪を注文に応じて誂えていた。豊一親方の腕に対する世間の信用は厚く、工房は繁盛して忙しく賑わっていた。職人の数も、既に独り立ちした職人や修行中半の職人、見習いの新人などを加え合わせると、ざっと三十人もの数に上った。

 錺簪は金、銀、銅、真鍮などの金具で作られる簪で、四季折々の鳥や花をあしらった粋なものや縁起を担ぐ意匠など、その小さな飾りの中に物語が潜んでいるようであった。

最初の頃は身を守ってくれるお守りの役目があったということであるが、元々、自然の草花には強い生命力が有り、それを身につけていると魔を払って貰えると人々は信じていた。そんな草花を色んな材料を使って形にし、髪に差すようになったのが簪の始まりであり、様々に形を変えて髪を結いあげるようになった江戸時代には、簪は飾り品として益々その華やかさを増していった。又、簪の先の部分は耳かきと呼ばれるが、昔は耳を掻く使い途のほかに頭を掻いたり髪を整えたりする為のものでもあった。幕府のお上から贅沢禁止令が出されたりすると、錺職人たちは「これは道具であって装り物ではない」などと言い逃れをしたのである。

 亮治は小さい頃、父親や兄たちと一緒に山や川に出かけ、山では虫や小鳥を捉まえ、川では鮒やザリガニ等を捕って遊んだので、山川の生き物には早くから興味を持ち好きにもなって居た。そして、何日の頃からか、生き物の絵を描いたり紙や粘土でそれらを創ったりすることが上手くなっていた。亮治が花や鳥などをあしらう錺簪の職人になりたいと思うようになったのも、自然の成り行きだったのかも知れない。腕に職をつけて将来独り立ちするなら、どうせやるなら、好きなものを観てそれを形にする仕事がしたい、亮治はそう思ったのだった。

 

 丸十年もの修業を経て、彼は腕の良い錺簪職人になった。

今かかっているのは新春恒例の顔見世興行に使う歌舞伎や人形浄瑠璃の錺簪を創る仕事である。使われる鬘が異なる毎に配役に合わせて一つ一つ違う簪を創らなければならないので、二つとして同じものは無い。その注文が入ると、豊一親方と工房で一番腕の良い職人の二人で、凡そ二ヶ月係りでその仕事に取組む。納める期限が迫って来ると居残りや徹夜で仕上げなければならない。品格の高い高貴な簪を創る一年の内でも最も大事な仕事の一つであり、去年も一昨年も亮治が親方と二人でそれをやって来た。

「亮治、其処を片付けたら、ちょっと奥へ来てくれ」

立ち上った豊一親方が工房を出しなにそう言った。珍しいことだった。

 仕事を仕舞って道具を片付けると、亮治は母屋の方へ行った。母屋の住居に通されるのは盆か正月かで、特別のことが有る時だけである。応接間に入ると掃き出しの向こうに庭が白っぽく暮れかけていた。

ドアがノックされて親方夫人が料理の膳を運んで来た。

「今夜はゆっくりして頂戴」

夫人はにっこり笑ったが、亮治は恐縮するばかりで、意味を掴みかねた。それが解かったのは、豊一親方と差し向かいで酒を飲んだ後だった。

「実は、他でもないが・・・」

親方は普段のむっつりした貌を何処かに置き忘れて来たかのようなにこにこ顔で言った。

「娘の麗華のことなんだが・・・」

「はい」

「考えてみると、彼奴ももう大学を出て三年だ。年頃だし、そろそろ婿を探さなくては、と思って、な」

「・・・・・」

亮治が、誰か心当たりでも居ないか?と問われるのかと思った時、親方が言った。

「お前、麗華は嫌いか?」

亮治は仰天して豊一親方を見た。亮治はこれまで、そういうことを考えたことは無かった。

「花簪家」の世間での信用は堅く、親方の腕も秀逸で、暮らしは豊かだった。麗華はその一人娘として何不自由無く裕福に暮らし、女子大も卒業している。顔も十人並み以上の美貌で容姿は整っていた。色白の頬に笑窪が刻まれ、ほっそりしているのに胸や腰には豊満な線が浮き出ていた。「花簪家」の職人達は皆、親方のこの美しい娘に恋い焦がれていた。若い頃の亮治も例外ではなかったが、彼は、自分とは住む世界が違っている、と考えていた。婿を取るにしても、何れ同業の然るべき家から修業を積んだ次男坊でも貰うに違いない、と思っていたのである。

「親方、それは、ちょっと・・・」

亮治は狼狽えて答えた。

「どうした?この話は気に入らないか?」

「とんでもありません。勿体無い話だと思いますが、然し・・・」

「お前の腕は、自分では気付いていないかも知れんが、大したもんだよ。時々、儂にも出来ないような細工を見せて、此方が吃驚することが有る。俺の後継ぎとしちゃ不足はない、と思っている」

「然し・・・」

「待て、待て。この話は、無論、麗華も承知している。どうだ?うん、と言ってはくれないか?」

亮治は呆然として親方の顔を見つめた。

あの麗華が俺との結婚を承知していると言うのか?・・・

亮治は信じられない気がした。

「少し考える時間を頂けませんか?」

親方は不満そうな顔色を浮かべて言った。

「ま、両親に相談もしなければいかんだろうし、出来るだけ早い内に返事を聞かせてくれ、な」

 亮治は早々に親方の家を後にした。

道を歩きながら亮治は、麗華との縁談は断わり難いかも知れないな、と思った、が、気持は弾まなかった。彼には、この縁談はどう見ても不釣り合いだ、と言う思いが拭い切れなかった。出自が違う、育ちが違う、家格が違う、学歴が違う、金回りが違う・・・環境も境遇も余りに違いが大き過ぎた。不釣り合いは不縁の元だ・・・

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