第2話

 元宮家は、割と由緒正しい家である。

 没落しないで頑張ってきた華族であり、父親は古式ゆかしい大企業の社長だ。聞いた話によればここら一帯を牛耳っていると聞いた。なので、僕の住んでいる家もそれなりに大きく、まあ一般的に言えばお坊ちゃんなのかもしれない。

 かといって別に親の跡継ぎになるつもりは全くなく、親の七光りでこの先生きていくことも考えていない。

 両親は僕に継がせたいようだが、頑張れば弟に継がせることもできるだろうと思う。つか、社長に継ぐも何もなさそうだが、それでも我が息子ならば我が社の社員になるべきだと期待されているようだ。まあ、きっとなったらなったで楽なんだろうけど。


 だが、家のことで少し気になることがあり。


「ああ、兄貴、お帰り」


 家に帰ると、弟の忍が居間でくつろいでいた。忍は一つ年下の同じ高校に通う一年生で、部活や委員会には所属していないため、僕より帰りが早いことが多い。僕の場合はあのあと図書委員の仕事があったから、いつも少しだけ遅いのだ。まあ、件の桐ヶ谷との仕事である。


「ああ、ただいま。飛鳥は今部屋か?」

「多分そう。出てきたの見てないから」

「うんうん、おかえり順ちゃん。ひょっとすると、お兄ちゃんって言った方が萌えるかなっ?」


 忍の声に混ざる曲者の声。


「……桜庭……お前、とっとと帰れ」


「だって行くって言ったじゃん? 私、約束は守るから」


 その約束は守らんでええねん。そして、桜庭が隣にいるのに平然としている忍にも突っ込みたくなるが、桜庭は一時期我が家を毎日のように訪れていたため、家族同然なのである。忍も、桜庭姉さんと呼んでおり、姉さんの字が時々養姉さんに変わっていたりする。マジでやめてほしい。


「ほらほら、飛鳥ちゃんたちのためにお菓子持ってきたんだよ」


 よく見ると、居間のテーブルの上に丁寧にラッピングされたクッキーが置いてあった。


「お菓子がなんだ」

「私が自分で作ったとしても?」

「なんか思わせぶりに言ってるけどお前の手料理であろうが工場で大量生産された料理であろうが変わらねーから。それにさっきも聞いたわそれ」

「やったー、順ちゃん、ちゃんと私の話聞いてくれてるんだねっ。じゃ、明後日のデートに関してなんだけど」

「デートじゃねえって言ってんだろ」


 僕と桜庭の不毛な言い合いを横目に、忍は桜庭クッキーをもぐもぐと食べていた。うちの弟はよくできているので、やかましい痴話喧嘩に割って入ろうとしない。面倒なことは避けるタイプだった。

 そうこうしているうちに、桜庭はまたいつものように擦り寄ってこようとする。もういっそ受け入れてしまえば楽なのだろうが、なんとなくそうしてしまえば本当に終わってしまうような気がしてかれこれ十年間こうして彼女の愛情を拒んでいる。


「あ、桜庭姉さん、このクッキー本当に美味しいですね」


 かつては僕も忍もはすみちゃんと呼んでいたが、あえて今は桜庭と呼んでいた。忍に関しては僕が呼ばせたのだが、苗字呼びはなんとなく他人行儀な感じがするので、突き放すにはうってつけである。まあ、それが本人に効くわけではもちろんなかったのだが。


「え、でしょでしょ? ハーブクッキーにしてみたんだけど、自信作なのっ。ほらほら順ちゃんも食べなよ」


 桜庭はクッキーを勧めてくる。


「媚薬が入っている可能性が高いのでやめておく」


 僕はそう言って、逃げるように二階の自室へ向かった。ようにどころか逃げるためなのだが、まだ制服のままで荷物すら置いていない状態だったので、とりあえず着替えたかった。


「あ」


 階段を登っているところで、僕はこの家に住むもう一人のきょうだいに遭遇する––––長い黒髪を下の方で二つに結んだ、パーカーにショートパンツといった出立ちの少女だった。肌は雪の様に白く、太陽の下に出れば文字通り焼けてしまうのではないかと思うほどだ。


「飛鳥、ただいま」


 元宮飛鳥。

 忍とは二卵性双子の関係性にある、僕の妹だった。贔屓目なしに見ても整った顔立ちだが、今はその顔をムッとした仏頂面にして僕を睨んでいる。


「……二度と帰って来なければよかったのに。それも、あの女なんて連れて」


 飛鳥は、小さくそう呟いた。小さいのに、ナイフのような切れ味の発言だった。刃物の攻撃力に大きさなど関係ない、どれだけ尖っているかが重要なのだ。刃さえあれば、それだけで武器になる。


 そして、露骨に嫌な顔をしたまま、二階に戻っていった。多分自分の部屋に行くのだろうが、飛鳥は今確かに下に降りようとしていたはずだ。それなのに、僕を見て逆方向に行くだなんて––––明らかに、僕を避けている証拠である。


「待ってくれ、飛鳥……」


 そう言ってみたものの、飛鳥は戻ってきそうもない。


 飛鳥は不登校だ。


 小学六年生から今まで不登校で、かろうじて高校には合格したものの、それでもまだ数回しか行っていない。部屋では何やら色々やっているようだけれど、不登校になってから家族と距離を置くようになってしまった––––それも、僕に対してはひどく。


 それもそのはず、飛鳥が不登校になった原因は僕にあるのだから。


 飛鳥はいじめられていた。僕はそのことをわかっていた上で、何もしなかった。僕が見てみぬふりをしたせいで、飛鳥は学校に大きなトラウマを抱えてしまった。


 忍は飛鳥のいじめをどうにかしようとしたみたいだが、その努力も結局は無意味で、飛鳥は不登校になることで負の連鎖を断ち切った。今はもう学校も変わっている

からいじめなんてないのだろうけれど、人間関係自体が嫌なのかもしれない。


 だから、僕は飛鳥にこっぴどく嫌われている。そのことに何か反論はないし、思うこともない。どうにかしたいとは思っているが、あの調子じゃどうにもならないのではないかと半ば諦めている。


 忍も両親も、飛鳥は生きていればそれでいいといった甘々な見方だし––––由緒正しい家なのに、その辺は優しいのである。古式ゆかしい、悪く言えば老害的な考えは、親戚との集まり程度でしか発揮されない。そもそも僕らの血筋はどちらかといえば分家寄りなわけだから、そこまで厳しくはないのだ。


「あいつ、桜庭のことも嫌いだしな––––」


 話を戻すと、飛鳥は、僕だけでなく桜庭のことも嫌っている。嫁いびりじゃないと信じたいが、桜庭は半分以上僕が連れてきたようなものなので、最初っからツンツンしていた。連れてきたというか勝手に来たの間違いなのだが。


「小さい頃はべったりだったのにな……」


 昔は本当に、お兄ちゃんなどと猫撫で声で追いかけてくれてきたものだ。当時は桜庭もいたが、桜庭はすでにこんな感じだったので、桜庭と僕の取り合いをしていた記憶がある。あの頃が一番モテていた。思えば、不登校になる前後あたりからそれもなくなったように思える––––いや、飛鳥は不登校になった頃から僕のことを嫌いになったのだから、取り合いがなくなって当然だ。今更気付いたような言い方をするのはよくない。


 制服から部屋着に着替え、憂鬱ながら下に戻る。このまま籠城していても良いのだが、それも億劫だった。それに、おそらくそろそろ夕飯の時間だろう。この家にはお手伝いさんが来ていて、両親が食事を作ることは滅多にない。両親は仕事で忙しいため、家を留守にしていることが多いのだ。とはいえ桜庭が懲りもせず来るので、心細さは微塵も感じたことはないのだが。そもそも両親も放任主義なことだし。


「あ、順くん。お夕飯の準備はできてますよ。はすみちゃんも一緒に召し上がるそうです」


 一階に戻ろうと階段を降りようとしたところで、ちょうど階段を上ろうとした人物が一人。エプロンドレスを着た女性で、トレーに乗せた食事を手に持っていた。


「飛鳥への夕飯?」

「はい。念の為さっき聞きに行ったんですが、やっぱり飛鳥ちゃん、はすみちゃんや順くんと一緒にご飯を食べたくないみたいで」


 彼女は萩天音といい、例の如く我が家に住み込んでいるお手伝いさんである。社長の仕事で家を空けがちな、というかほとんど帰ってこない両親に代わって、僕たちをここまで育て上げてくれた女性だ。


 体格は小柄で、一見すると中学生くらいに見える容姿を持ち、成人女性だというのに僕の妹に勘違いされることもある。おっとりした優しそうなタレ目に、童顔、短い栗毛をおかっぱにしているという部分も影響しているのかもしれない。


 メイド服を着ているのは、僕の母親の趣味だ。本当に意味がわからない。それに従う萩さんもおかしい。幼少期から我が家にはいて、僕は歳の離れた姉のように思っており、萩さんも僕たちのことを妹や弟のように可愛がってくれていた。だからこそ、飛鳥の件はショックだったようだ。


「よかったら、順くんが飛鳥ちゃんの部屋まで運びますか?」

「何言ってるんですか……飛鳥は、僕のことどう考えても嫌ってるじゃあないですか。僕が行ったら、さらに怒るだけですよ」


 僕は自嘲的に笑って見せた。精一杯の強がりだ。どうしたって萩さんには看破されることだろう。それでもやっていないといけなかった。


「そんなふうに言わないでください。飛鳥ちゃんは––––」


 萩さんは何か言いかけたものの、途中で止め、俯きがちに下唇を噛んだ。僕に気を使ったのか、飛鳥と萩さんの間に何か秘密にしていることがあるのか、多分両者だろう。いや、気なんて使ってないかもしれない。飛鳥は、昔からそうだった。


「じゃあ、行きますので」

「はい。はすみちゃんにも優しくしてあげてくださいね。そして、奥様と旦那様に元

気なお孫さんの姿を見せてあげてください」


 萩さんはさっきまでの表情が嘘だったかのように、ペかー、と笑った。この人は、昔から僕と桜庭をくっつけようとしてくる。基本的にいい人なのに、僕はこの歳で実家に帰るとまだ結婚しないのと詮索される気分を毎日のように味わっている。萩さん、それ以外はいい人なのに。


 少々複雑な心境になりつつも、居間に戻る。


 我が家の食卓には、実は桜庭の席がある––––桜庭があまりにも我が家に入り浸り過ぎていたからだ。


 桜庭にも普通に両親がいて、なんなら我が家と家族ぐるみの付き合いだけど、一時期––––小学校中学年から、中学二年生くらいまでだろうか––––半分以上我が家で暮らしていた。僕は毎日桜庭に起こされていた。幼馴染に起こされるシチュエーションは喜ぶべきものなのかもしれないが、堂々と添い寝してくるし貞操を狙ってくるので迷惑極まりない。


 ということで、桜庭は我が物顔で自らの席に座っていた。忍も自分の席に座っていた。そこに両親の姿はなく、たった一人の妹の姿でさえない。


 なんとなく、それを再認識すると虚しい気持ちになった。こういうことを桜庭あたりに相談すれば、これほどいい相談相手はいないのだろうけれど、僕はそれでさえ億劫だった。


「わっ、順ちゃんおかえり。やっぱり萩さんすごいねっ。私も料理教えてもらおっかな」

「桜庭姉さんは今のままで十分だと思いますよ」

「だとしても、だよ。順ちゃんや忍くんは萩さんの料理を毎日のように食べてるってことでしょ。だったらその分、舌も肥えてるはず。なら、私だって頑張らなきゃ飽きられちゃう」

「『はすみちゃんに花嫁修行とかどうかなあ』とか、萩さん言ってましたよ。やってみたらどうです? あの人、エリートなので」


 忍と桜庭は、食卓で普通に談笑していた。その前には、萩さんお手製のカレー。うちはお屋敷のようだが、萩さんの得意料理は家庭的な料理なので、豪華な食事はあまりでない。僕たちも庶民思考なのでそれで満足している。

「そうだ、兄貴。桜庭さんのクッキーに媚薬は入ってなかったよ」

 忍は長いこと僕の顔を眺めたと思えば、桜庭と目配せをして、そんなことを言い出した。


「……あ、まあ、そりゃそうだよな––––なんだよ、突然」

「まあ、代わりにトリカブトは入っていたけど。ハーブじゃなくてね」

「死ぬじゃねえか! 媚薬よりひでえ!」

「ちなみに私も食べたから、みんなで地の果てまで一緒に行けるよ! ささ、今すぐクッキーを食べなさい! ザ・無理心中!」

「やるなら合意の上での心中にしろ!」


 桜庭はヤンデレ寄りだからやりかないのが怖いところである。


「よかった、順ちゃんのツッコミがキレキレだ。なんだ、普通じゃん。なんか沈んだ顔してたから、何かあったのかと思って心配しちゃったよ」

「冗談だから真に受けるなよ、兄貴」


 しかも桜庭と忍が同じタイミングで冗談を言い出したので、どうにもこの二人は息ぴったりだ。嫉妬する余地はない。


「元気ならよかったよかった。順ちゃん、どうでもいいことで落ち込むからね。ささ、食べよ食べよ? 萩さんもそろそろ来るだろうから」

「どうでもいいことって……」


 飛鳥のことはどうでもいいことではない、はずだ。


 ただどうにもならないことなだけで。


 僕はそう思いながら、桜庭の隣に座った。


 桜庭の笑顔は、やはり昔と何も変わらなかった。

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