久しぶりの戦い
修は散弾銃を構えて、男を撃ち殺した。散弾がその男の胴体をえぐり、臓物をまき散らす。後に残ったのは血の香りと原型を留めていない死体だけだった。
その男の名前は藤堂雅彦、与党である日進党の政治家で、大戦後の日本経済復興案として亜空間通信事業を推進し、その立役者と言える人物である。
ここは彼の別荘で、森が深まった山の中に作られている。その存在は一部の人にしか知られておらず、その建設費の詳細は不明である。雅彦の死体は巨大なリビングルームに大の字で倒れていて、その傍らには家族の死体もあった。リビングには巨大なガラス壁があって、闇の中でうっすらと見える木々の輪郭がその向こうに続いていた。
もともとは美しい現代建築だったが、いたるところで警告灯が点滅し、死体が散乱して白い大理石の壁は血と弾痕に汚れていた。まるで戦地のようだと修は思う。
死体の多くが警備員のもので、彼らはイデアガン使いだったが戦いには慣れてはおらず、修にとっては肩慣らしにもならなかった。
「修!行くぞ、早くしないと敵が来る」
そう、秋人が叫ぶ。おそらく政治家を守るイデアガン使いが近くに待機している。もし、それが次元警察庁の能使たちなら、戦いに慣れている修たちでも、苦戦を強いられるだろう。彼らは「巡礼者」を連れている。そのため、残されている時間はなかった。
だが、修にはその言葉は聞こえていなかった。その光景に混乱していた。自分がなぜ、人を殺してしまったのか。ふと頭に思い浮かぶ。自分は普通の高校生のはずと。
その時、彼はポケットに何かが入っていることに気が付く。取り出すとそれは学生証だった。その中にはまぎれもない自分の写真が入っていて、自分の名前が書かれていた。
「樋口修…これは僕だ」
しかし、修の疑問は収まらなかった。
「僕普通の高校生だ。それにもかかわらず、なんでテロ行為なんか……」
自身の過去を思い出すがそれはどう考えても、今、目の前にある事実と矛盾してしまって、自分を形作っている全てがまるで夢のように感じた。
「おいっ!聞いてんのか、修。早くいくぞっ!」
と秋人は言って彼の肩を掴む。だが、修はそれを振り払った。
「何だよっ!修、どうしたんだよ…」
その不安そうな声は、修に果たさなければならない責任を思い起こさせる。だが、その時には、もう修は自分を見失っていた。まるで夢のようにすべての記憶は曖昧だった。
「秋人…奏はどこにいる?」
「それは…お前も知っているだろう。あいつは俺たちの最後の希望だ」
そして秋人は諭すような視線を修に向ける。憐みと憎しみとの間で揺らぐその眼差しは、心に深く入り込み、修に鋭い傷をつける。だが、修はそれに対して、ただ怒りをぶつけることしかできなかった。
「希望だとっ‼何が希望だっ!奏は普通の高校生のはず。誰かの希望なんて背負ってない……」
実に子供じみていた。修は、どうしようもない現実にただ怒り散らすことしかできない、自分を呪った。修のイデアガンはゆっくりと血の赤色の中に消えた。
「修…お前は…」
そう秋人が言ったその時、雷のような轟音が響き渡り、別荘全体が震えだす。壁に何かを打ち付けるような音がそれを追うように広がり、巨大なヒビが壁に一筋の走ると、吐き出された閃光と共に炸裂した。
粉塵が立ち込め、前が見えなくなる。修は一心不乱に壁を探し、その中を彷徨い歩いた。飛び散った破片が体のいたるところに刺さり、微かに痛む。それは幻肢痛のように現実味がなく、彼はその奇妙な感覚の中で足を引きずりながら、この不条理の意味を問うた。
「なんでこんなことに…」
と思わず言葉が漏れる。心は絶望にかき乱され、進もうとする足は棒のように固まった。
「へぇ…テロリストがそんな弱音を言うんだ」
突然、そんな言葉が耳元で囁かれる。ハッとして振り返ると粉塵は跡形もなく消えていて、スーツを着た女と怪物がそこに立っていた。女の髪は長く、灰色に染められている。自信に満ちた眼差しと鋭い切れ長の目筋は、彼女がただの警備員ではないことを表していた。それは、明らかに死線をくぐり抜けてきた者の目だった。
怪物の肌は青く、体はふくよかな女のようで幾何学的な黄金の模様が入っている。顔は美しい女のもので、目をつむり、安らかに眠っている。その表情は動くことがなく固まっていて、生物の頭ではなく何かの芸術作品のようだった。
「まさか驚いてる?君は…まさか初めてかな?」
と女は微笑みながら、首を傾げた。まるで、子供を相手にしているように。
「初めて?何がだ?」
そう、修が聞くと女はクスクスと音を立てて静かに笑った
「ホントに、ここに。中性空間に潜るのは初めてなんだ。じゃあさ、君、イデアガン使いでしょ。ちょっと私に向かって、撃ってみてよ」
「撃つ?あんたは死ぬぞ」
「別にどうだっていい。でも、あんたにとってはどうだってよくない。だってこのまま何もしなかったら、君は私に殺されるんだ」
修は吹き出した唾液を飲み込む。心臓がドクンと音を立てて拍動し、緊張で手が震えた。
しかし、行動しなければ現実は変わらない。このまま、緊張に震えていても、何も変わらない。せめて、生きるチャンスを掴まないと、敗者には残酷な死しか待っていないのだ。だから迷っている暇はない。
そう決意が決まったときにはすでに走り出していた。修はショットガンを呼び出し、一気に相手の懐に飛び込む。彼は引き金を引く、そして女は死ぬはずだった。
女の体は軽く痙攣するが全くの無傷だった。殺傷能力の高いショットガンでも、傷一つ付けられなかったのだ。その異様な状況に修は愕然とする。
「へぇー、私たちの世界にあるものを持ち込むんじゃなくて、高次元空間にあるショットガンをここに持ち込むか……という事は、イデアガン使いとしてのレベルはかなり高いね。高次元エネルギーを物質に戻すって、君が思っているよりも難しんだよ。だから、人間みたいな複雑なものは、向こうに行ったら戻ってこれないんだ」
そして女は微笑んだ。その笑みは何処か冷たく、感情がこもっていないように見えた。
「まっ、初心者にしては深く潜れた方だ。でも、イデアガン使いの戦闘はね、高次元により近づいた方が勝つんだ。それバルクって呼ばれているけど、自分が相手よりバルクに近ければ近いほど、受けるダメージは減る。床にへばりつくことしかできないアリが、鳥を落とすことは出来ないでしょ、でも鳥はアリを食べることが出来る。アリは二次元にいて、鳥は三次元にいる、それは今の君と私の関係と同じなんだ」
女は優しく修の頬に触れた。突然のことで、修は後ずさる。その時だった、目の前に閃光が走り、修は強く吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。立ち上がろうとするが、体が痙攣していて動くことが出来ない。そして全身の毛が逆立っていた。
「電流が強すぎたかな?まぁ、君はそう簡単に死なないよね」
と女は無邪気に笑って、近づいてくる。彼には何が何だか分からなかった。修は混乱の中でその答えを求めるように女を見つめる。それに気が付くと彼女は言った。
「なんで、みたいな顔をしているね。これはね、ここにいる『巡礼者』のおかげなんだ」
そう言って、女は青い怪物を指さす。その怪物は相変わらず表情を変えていないが、修はソレの焼き付くような視線を感じた。
「巡礼者って言うのはね、バルク空間から来た、まぁある種の高次元生命体なんだ。彼らがなんでこんな力が使えるか私には難しくて分からない、けど彼らが悪い奴じゃないこと知っているよ。だって、君みたいなテロリストを殺すのに、その超能力を私に貸してくれているわけだしね」
と女が言った、その時だった。チャリンと音を立てて、何かが二人の間に転がってくる。よく見るとそれはフラッシュグレネードだった。
「しまったっ!!」
女がそう言った時にはもう遅く、まばゆい閃光が視界を覆う。キーンと耳鳴りが頭の中で響き、感覚は薄れ、徐々に遠のいていった。
「修!! 立て、早く行くぞ!」
修は誰かに起される。彼の足取りはおぼつかず何度も転びそうになりながら、地面を這うようにして、強い光を浴びて白染めされた世界を進み続けた。実際にはそれほど時間は経っていなかっただろう。だが、修にとっては、時間は流れることを止めていた。強烈なめまいの中で、白に染まった世界に無限に落ちていくような感覚に彼は囚われていた。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。その疑問が不意に現れたとき、修は目覚めた。そこには、秋人が居た。彼はあの怪物を連れた女に向かって、カービンライフルを発砲している。秋人の隣にはやはり一体の怪物が居て、ソレは人の形をしておらず、巨大なクモのような姿をしていた。
女は興味深そうに秋人を見つめる。秋人はその視線に不快感を覚えながら言った。
「何も能力がないのに、この私に挑むか……面白い人だね、君」
「あんたは雷使いの能使官、上田希。大戦時に、ひとりで政府のイデアガン使いを十八人殺した傭兵の女。あの時は俺たちの側にいたのに、今は政府に飼われているのかよ」
彼女はしばらく考え込む。思い当たる節があったのか、彼女はなうずくと言った。
「私が知っている限りでは、君は死んだ。まさか…」
「上田、俺は蘇ったんだ。お前たちに復讐するためにな」
チッと彼女は舌打ちをすると、自分の巡礼者に言った。
「クリムト!!同時に攻撃しよう、もしも、あいつなら、油断はできない!」
『分かった…殺す…』
と言うクリムトの返事に上田は安堵する。いつも変わらずに、従順でいてくれるクリムトとの出会いは上田がまだ子供の頃だった。二人でいれば、どんな敵でも倒すことが出来るという自信があった。だから、今も恐怖は感じていなかった。
朦朧としていた修に秋人が呼び出した巡礼者の巨大なクモが近づいてくる。ソレは語りかけてきた。
「修さん、早く逃げて。秋人が敵の攻撃を防いでいる間に行って!」
彼は何も言えなかった。たぶん、秋人は今、戦っているのだろう。でも、長くはもたないだろう。秋人は修を守ろうとしている。彼が修を気にしている限り、上田には勝てない。このまま何もしなかったら、秋人は死ぬ、だが、修が逃げても秋人は死ぬ。
その時、そのクモは言った。その声色は優しかったが、修に過酷な現実を突きつけた。
「修さん、あなたは英雄です。英雄には責任があります、だから、逃げてください!!」
その言葉は修にとっては呪いだった。その言葉に憑りつかれて、彼はここまで来たのだ。
その時、修は恐怖を覚えた。この言葉を裏切ってしまったら、自分が自分でなくなってしまうような気になった。
「秋人…ごめん…」
その後は、ただ走り続けた。後ろからは誰かの叫び声が響き渡った。でも振り返らなかった。足が壊れるまで、動けなくなるまで、ひたすら走った。
秋人は、飛び出す修を見て安堵した。そしてこれで、悔いはないと思った。彼は足を切られていて、もう動くことが出来ない。厳密に言えば、上田は剣を武器として好んでいたからだ。イデアガン使いと言う名称は戦時下において、彼らが中性空間に銃を持ち込み、侵略者と戦ったことに由来する俗称である。彼らは必ずしも、銃で戦うという訳ではないのだ。特に、一般よりもバルクに近づくことが出来るイデアガン使いにとって、銃には必ずしもアドバンテージがあるわけではなかった。
「これで終わりだね、まぁ、楽しかったよ…」
上田が剣を突き立てようとしたその時、傍の壁が割れて扉のように開いた。恐らくセーフルームがあったのだろう。出てきたのは地球人ではなかった。三つ編みを縄のように巻いた白い髪、赤い光沢を帯びた黒い瞳、それはアルファケンタウリ人の特徴だった。
「セーフルームに隠れていたなら、警察を呼んでくれませんかね」
そう上田が言うと、アルファケンタウリ人の男はフッと微笑んだ。
「何がおかしい、私が何かした?」
「上田さん、その男は殺さないでくれ」
彼女はその発言を奇妙に思った だが、その自信に満ちた彼の視線は上田に畏怖を抱かせた。
「君は何者?名乗ったらどう?」
異星人の男はそれを聞くと言った。
「名か…僕はイナサ・サキ、次元警察庁に出向してきた座統官だ」
「座統官…それじゃ、私の上司なの…」
彼は不敵な笑みを浮かべた。上田に近づくと、彼女の肩にゆっくりと手を置いた。
「上田希能使官…このことは忘れてくれないか?お前だって、このまま普通に暮らしたいだろう。世界間大戦の時、侵略者についていたお前の過去を掘り返されたくはないだろう」
その手の重みは上田の罪の重みだった。彼女は過去を思い出す、あてもなくクリムトと世界を放浪して、戦いで命を繋いできたあの日々、誰にも肯定されず、誰からも憎まれてきた。そんな時、彼女は自分を肯定してくれる人に出会った、その人のためなら世界を滅ぼしてもいいと思った。だが、その人は最後に彼女に願った、「普通に生きてくれ」と。
「分かった、いいよ。忘れてあげる」
そう上田は言った。その人の願いを背負っているからこそ、彼女は政府に飼われても、ただ普通に生きることを選んだのだ。
「賢明な判断だ」
とイナサは言い残して、その場から立ち去った。
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