クリボーの歌
徳間・F・葵
一、お稚児行列
宮刑、という刑罰がある。
死刑の次に重い刑で、男根を切り落としてしまうものだ。刑を受けた者には奴隷や捕虜が多く、行く末は後宮で用いられたそうだ。子孫が残せないからこそ警戒されずに后妃や女性たちに重用され、その中で権力を受けのしあがる者もいたという。
いや、そんなことはどうでもいい。ボクは別に権力を得たいと望んではいない。ただ、生まれて以来邪魔──まさに、ボクの心にのしかかる七十トンの巨石のように邪魔なこの男根を切り落とす刑罰があるのなら、是非とも進んで受けたいと願うまでだ。一体どんな悪行を働いたら宮刑になるんだろう。日本に今それがあるのなら、ボクは全力で宮刑になりにいく。
ボク、小山御幸(こやまみゆき)は、LGBTと呼ばれる、性的少数派の一人だ。身体は男だけど、心は女。未だかつてボクは、ボク自身のことを男だと思ったことなんて一度もない。でも、中学三年生の今、身長は百七十センチまで伸びてしまった。体重も六十キロある。日に日にガタイが、夏の太陽を浴びてどこまでもたくましくなるヒマワリのように、無遠慮によくなっていくのを感じている…。だけど幸い、まだ声変わりはしてなくて、合唱部でもソプラノを歌わせてもらっている。顔立ちも、自分で言うのもなんだけど、黒目がちの目がぱっちりして、まぶたもくっきりと二重まぶた、唇もおちょぼ口、色も白くて鼻筋もすーっと通って、なかなかの美少女(ボクは女だ。あくまでも)だと思う。学校もLGBTに理解があって、制服に男女の別がない。男がセーラーを着てもいいし、女が学ランを着てもいい。だからボクはこの三年間、堂々とセーラー服を着ていた。
そのセーラーに合わせた髪型は…、何て言ったらいいんだろう、長く伸ばした前髪を大きく七三に分けて、サイドの髪を後ろに流している。左のこめかみに、お母さんがくれた羽の髪飾り。後ろは裾の部分にレイヤーが入れてある。髪型の名前はわからないけど、クラスメイトの佐伯遥(さえきはるか)は、ボクの髪型が、RPGの「ドラドラドライブ」に出てくる、「大賢者」というキャラ(だったか、装備だったかな)に似ているって言ってくる。よくわからない。でもいい。髪は、この近辺でピカイチの美容師であるお母さんに全部任せている。お母さんの好きな髪型でいることが、いや、髪型だけじゃない、お母さんの好きなボクでいることが、ボクの喜びだ。お母さんはいつも、ボクがいちばんかわいい女の子(あくまでも、だ)でいられるようにしてくれる。
だけど…。いくら顔立ちが美少女でも、声変わりがまだでも、セーラーを着ていても、髪をお母さんに作ってもらっていても、この男根がなくなるわけじゃない。こいつ、厚かましくムクムクとでかくなる。同じクラスの、あのかわいい美少年・松宮薫(まつみやかおる)の顔をちょっと見られるだけでも、存在感を主張するようにパンパンになる。そのパンパンを、スカートの上からさすっているボク。ヘンに気持ちいいのを認めたくない。薫だけじゃない、ボクのクラスの男子には、ボク好みの、愛らしいかわいい男の子が多い。そんな男子の中で、ボクはいつもドキドキしている。だけど…、マイノリティーのボクは変人扱いされて、男子全員から無視されている。近寄ってくるのは、さっきの佐伯遥を含めて、三人の女子だけ。まあ、女の子たちの間にいれば安心できるし楽しいからいい。ボクは、ボクを大事にしてくれる人たちの間で過ごしていくんだ。
ある夜、夢を見た。昔の記憶だった。
何歳の頃だったろう。たぶん四歳くらいだ。お宮で、お稚児行列をした。ボクはそれに出された。ゴテゴテした着物を着せられ、顔にはごってりと化粧をされたのが、幼いボクにはむずむずしてつらかった(今でこそ、メイクは大好きだけど)。桜が咲いていたような感じがあったけれど、着物を着こまされたボクにはとにかく暑い日だった。そんなボクの隣で、父親が難しい顔をしている。こいつは、ボクの前ではこういう顔しかしない。だからボクも、こいつには絶対笑顔を見せなかった。幼いときも、今も。
着付けが済んだ。そのときにはボクはもう、電子レンジで加熱されすぎた哀れな食べ物のようになっていて、限界だった。泣きたいけど、父親が怖くて泣けない。でもそんなときでも、お母さんがボクについててくれる。
「みーちゃん、あとちょっとだけがんばって。すぐ終わるからね」
「あわわ…。お母さん…」
「大丈夫」
お母さんがそう言ってボクの手を握る。お母さん…、と思うと涙が出そうになる。助けてよお母さん…。でもそこに父親。
「御幸、これを着けるんだ」
父親は厳しくそう言うと、ぐいっと何かよこしてくる。その手には、金色の帽子。
「あわわぁ…」
ボクはそれを見た。その途端、「これを着けたくない」という気持ちが猛然とわきあがる。そのボクの目に、隣で着付けしている女の子が入った。その子は、すごくかわいらしいかんざしをしていた。
「嫌だあっ!ボク、あれがいいーっ!」
身体を揺すり、全身で声を出してボクはそう訴える。でもそんなボクを父親が怒鳴る。
「何を言っとる!女ものだろうがあれは!このガキ、いつもいつも女ものばかり欲しがりやがって。てめぇ男だろうがっ!イかれるのもいいかげんにしろっ!」
割れ鐘を鳴らす、という表現通り、父親の下品で、そして、幼いボクにはただひたすらに怖い声が頭上から突き刺さってくる。でも、それでもボクはこの帽子が嫌だったし、女の子のかんざしがしたかった。
「嫌だ嫌だあっ、ボクあれじゃなきゃ嫌だあーっ…すはあああっ‼︎ええええええ…ええええんっ‼︎」
叫びながらボクは泣いた。
「黙れクソガキっ‼︎女ヅラしやがってゴラァ‼︎」
その瞬間、左の頬に、まるで鉄の板が叩きつけられたような激しい痛み。ボクは父親に殴られた。
「ぎゃああああああああああんっ‼︎」
ボクの絶叫がお宮の境内に響き渡る。痛みとつらさと、隣の子のかんざしで、ボクの頭は真っ白になった。
「うるせえっ‼︎まだわからんかっ‼︎」
父親がまた右手を振り上げる。でもその手を、お母さんがむんずとつかみ上げる。
「やめてください」
お母さんの低い声が父親を刺す。
「私が社務所に行って、かんざしを取ってきます」
「なんだとっ、男の御幸に女の格好をさせるってのか!」
「それがみーちゃんの望みなら、それに沿うのが親というものでしょう」
お母さんは毅然としていた。でも父親も声を荒らげる。
「うるせえ!男は男の格好をするもんだっ。横からうざったらしい口挟むんじゃねえっ」
そう怒鳴って、父親はお母さんの手を振り払うと、またボクを打とうとする。でもその前に、お母さんが仁王像のように厳然と立ちはだかった。誰もお母さんを動かせない。
「この子を打つのなら、今後あなたに生活費は渡しません。それでやっていけるとおっしゃるのなら、お好きにどうぞ」
「くっ…」
憎々しげに、父親の顔が歪む。身体の上で無数のガラスの破片を突き刺されても「痛い」と言えない者のような顔だ。お母さんの前では父親なんてそんなものだ。だから父親は、それ以上何も言えなかった。
「みーちゃん」
お母さんが、そっとボクを抱いてくれる。ボクはお母さんの、温かい胸に顔を埋めた。
「あわわ…うっ…ぐずっ…、おかあ…さん…すはあああっ、ええええ…ええんっ!すはっ、すはああああっ!ええええええええええんっ!」
胸と肩と背中いっぱいに息を吸い込んで、ボクは泣きに泣く。そんなボクの泣き声が、粘っこい湿り気になってお母さんの胸にしみ渡っていく。でもお母さんは、それを優しく受け止めてくれる。
「よしよし、泣かないの。今からお母さんと、あのお姉ちゃんのかんざし、取りに行きましょう。みーちゃん、かわいいから、よく似合うよ」
「あわわ…ほんとう?」
「うん。みーちゃんを支えられるのは、お母さんだけ。そのお母さんと一緒なんだもの、えんえん泣いてたら、だめだぞ」
「うんっ」
ボクはお母さんと手を繋ぎ、歩き出す。お母さんの手は、白くて、柔らかくて、どこまでも優しい。ボクの壊れやすい心という餡を、お母さんのお餅のような皮が包む。
目が覚めた。起き上がる。
「あわわ…」
涙が頬に張りついている。四歳に戻って泣きながら、実際にベッドの中で泣いていたみたい。
「すはあっ、すはっ、すはあああっ!」
口を大きく開いて、ボクは息を吸い込む。泣いた後だからか、息がまだ乱れている。ボクの呼吸。「すうっ」とも「はあっ」ともつかない、独特なブレス音。その音とともに、ボクの胸と肩と背中がぐうっとふくらんで、空気を呼び入れる。合唱部員らしくない胸式呼吸。同じ部員の佐伯遥からも「いいかげん肩上げるの直しな。いい声出ねぇぞ」って言われてる。でも、胸で息するの、女の子っぽくてかわいい。
さらに「すはあああっ!」と息をする。なんとか呼吸も気持ちも落ち着いてきた。お母さんの胸と手は温かいけど、あんまり思い出したい記憶じゃない。もうあんな夢見ませんように。両手を合わせてうつむき、そう祈ってから、ボクはベッドから起き出した。
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