神結びの喫茶店〜名もなき店主は亡き人を結ぶ〜
空岡
第1話 喫茶カムナキ
ふわりと立ち込める甘い香り。ふわふわのオムレツは口に入れた瞬間にしゅわしゅわと解けて消えた。
砂糖は上白糖からザラメまで、何種類もが瓶詰めされて、カウンターに飾られている。今日のお客さんのリクエストはオムライス。しかも、そのオムライスは食べた瞬間に口の中で消えてしまうのだという。
店主がお客さんの後ろを見て目を細める。
「うむ」
そうして、店主は鉄のフライパンを取り出して、卵を白身と黄身に分ける。白身はメレンゲ状に泡立てて、そこにそっと黄身を混ぜて、熱々のフライパンにたっぷりのバターを溶かして流し込む。
卵を焼いている間に、ケチャップライス。ケチャップライスのコツは、最初に具材にケチャップで味付けてからご飯を入れることなんだよ。店主が私に笑いながら言った。私はキッチンで、卵が焼けるのを待ちながら、店主の手際を余すところなく見ている。
「ケチャップライスを最初に盛り付けて。その上に、しゅわしゅわのオムレツ」
先に焼いていたオムレツは、裏返したら一分ほど焼いて、ケチャップライスの上に乗せられた。
今日のお客さんはまだ若く、二十代そこそこの女性だった。
「はい、お待ちどうさま」
店主が出したオムライスを、お客さんが涙で迎える。
「これ、これです。私のお母さんの、オムライス」
お客さんが、大きなスプーンにオムライスを掬い取って口に運ぶ。そのあとはもう、止まらないと言った感じにあっという間に平らげたのだった。
「結斗さん。今日も鮮やかな料理でしたね」
「まあね。じゃあ、片付けは君に頼むよ。僕疲れたから休むね」
「はい。午後の営業は五時からですよね?」
「ん。仕込みよろしく」
この店は、神結びの店。亡くなった人との思い出の料理を提供する、一風変わった喫茶店。
私は喫茶カムナギにアルバイトとして雇われている。なにも、ここの味に魅力を感じたわけではない。私にはやらねばならないことがあって、それがこの、店主の結斗さんを調べるということだった。
この街には、未解決事件がたくさん存在する。過去には出雲の国と呼ばれた場所、今の島根県だ。
神々の始まりの地として名高いこの場所には、いくつもの神隠し事件が存在する。三年前、私はまだ十五歳で、ちゃんと高校に通っていたし、私はなんの変哲もない女の子だった。いや、周りから浮いていたことは正直に言えば気づいていた。私はほかの子よりも少しだけ頭がよくて、ひとが気づかないことにまで気が付いてしまう、そんな癖があったのだ。
「ねえ、真野さん。知ってる? 不幸のメールに深入りした隣の高校の女子生徒が行方不明なんだって」
「そうなんだ……」
「まあ、不幸のメールなんて噂だから、真野さんには関係ないか」
「そうだね。でも、田中さんのところには、不幸のメールが来たの?」
私は興味本位で彼女に聞いた。もっとも、田中さんがこの手の話題を私に振ったのは、きっと私がこう返すのを望んでいたからだとわかっていた。だからあえて、その望み通りの言葉を吐き出した。
「うん、あと一人に回さなきゃならないんだけど」
「わかった。私、そういうの信じてないから、私に回していいよ」
「た、助かる~! じゃあ、真野さんのメアド教えて?」
クラスメイトは私と連絡先を交換していなかったから、私だけ不幸のメールが回ってこなかった。私は田中さんにメアドを教えて、その日の夜、なぜだかクラス中から私宛に、不幸のメールが回されたのだった。
このメールを見た人士な貴方は、七日以内に九人の人間に同じ内容のメールを送らなければならない。
送らなかった人は二日以内に不幸が訪れます。
四月八日十三時にこのメールを受けとった東京の安野朋美さんは、このメールを回さなかったため三日と十二時間後の十時七分五秒に一人で死にました。彼女は安定を好む普通の女子高校生でした。
******
飛べ自由に、さすればおまえだけは助かるだろう
大人に相談してもいけない
一度でも裏切られたことはある?
大人たちはなにも知らずに大人になった
その化け物はそばにいる
サイボーグ、化け物、幽霊、そのどれともつかない「それ」はおまえの背後で機をうかがっている
嘘や苦しみは「それ」の糧になる
久方ぶりの逢瀬にて
彼方の空には日が沈む
そのことに気づいたのなら誰にも言うべきでは無い
赤か白か青か?
嘘は罪を暴き死を招くだろう
アコギな世界と大人たち
http://××××
一
クローズの看板を裏返して、オープンの文字を表にする。喫茶カムナギの朝は十時から始まる。
「鈴ちゃん、おはよう」
「結斗さん、おはようございます。今日の予約は、二名ですね。一人はおばあさんの煮物を、もう一人は旅行に行った先で食べた老夫婦のカレーです」
「了解。で、君のまかないはどうする?」
「カレーで」
結斗さんは、秘密主義だ。どこに住んでいるのかも、何歳なのかも知らない。苗字も。私が知っているのは結斗という名前だけで、それから、結斗さんは、亡くなった人との思い出の料理を再現することができる、不思議な力を持っていた。
「今日の仕込みは、昼が五十、夜が三十ね」
「わかりました」
私は料理が好きなわけでもなければ、得意なわけでもなんでもない、ただの浪人生だ。
浪人とはいっても、私は大学に行くつもりは毛頭ない。なぜかと言えば、私は人間関係に疲れてしまって、友達というものをうまく作れないのだった。
お母さんには、どうしても尊敬する料理人がいるのだと嘘をついて、島根まできて、喫茶店でのアルバイトに励んでいる。私の特技と言ったら人よりなにかに気づくだけの、そんな他愛ないものだった。さらには、勉強しか能のない私は、勉強に限らず一度見たもの、食べたもの経験したものの味は忘れないという特技を持っていた。だから、だ。だから私はこの喫茶店に頼み込んでアルバイトに入った。結斗さんの秘密を知るのは、この世界に私しかいない。
「こんにちは」
「ああ、待ってましたよ。僕がここの喫茶店の店主の結斗です」
「若い方なんですね」
「ふふ。若いだなんて。奥の席にどうぞ」
結斗さんは、黙っていればそれは見目麗しく、美しい青年なのに、それはあくまで仮の姿なのだ。私の前だと化けの皮が剥がれる。つまり猫かぶり。本当の結斗さんはだいぶわがままで身勝手だ。
「鈴ちゃん、煮物の仕込みはできていたよね?」
「あ、はい。言われた通りに切りました」
今朝、結斗さんが一度だけ私に煮物の切り方を見せてきた。私は一度見たものは忘れないから、言われた通りに大きめに乱切りした野菜たちは、結斗さんが炒めてから土鍋で炊いて、薄口醤油を使うから、きれいな色のがめ煮に仕上がっていた。
今日の男性は、祖母の味が恋しくて、この喫茶カムナギに訪れたのだという。結斗さんに再現できない料理はない。その人の願う食べ物を、寸分たがうことなく生み出すさまは、まるで神様のようだと思った。
「ああ、ああ。この味です」
「良かった。おばあさんも、アナタのこと心配してる」
「祖母が?」
「ああ。夏は素麺ばかり食べるし、冬はホットコーヒーばかりで食べ物もろくに食べない。だから、ちゃんと食べるんだよって」
結斗さんが、レシピを書いた紙をお客さんに渡した。お客さんは目を真ん丸にして、結斗さんを見ている。
「おばあさんのレシピ……?」
「そう。『渡してくれ』って頼まれて」
「え……?」
「いや、こっちの話」
結斗さんは、柔らかに笑い、私はあいまいに合わせて笑うのだった。
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