【短編集】とある街の裏側で

@tsukimine

時計仕掛けの愛

「また遅れたわね」


いつもの広場で、彼女は微笑みながらそう言った。毎晩8時に会う約束をしているのに、仕事が長引いて10分ほど遅れてしまったのだ。


「ごめん!今日も会えて嬉しいよ」


俺は慌てて彼女の手を握った。彼女はいつもと同じように笑い返してくれる。その仕草一つ一つが愛おしかった。


彼女と初めて会ったのはこの広場だ。それから1年、俺たちは毎晩ここで会うことを日課にしている。どんなに忙しくても、この時間だけは絶対に守る。そう決めていたはずなのに、今日は遅れてしまった。


「ねえ、少し散歩しない?」


彼女の提案に頷き、公園の中を歩き始めた。冷たい夜風が吹き抜けるが、彼女といるだけで心が温まる。歩きながら、俺はふと尋ねた。


「この広場で会うの、どうしてこんなに大切にしてるの?」


彼女は少し間を置いて答えた。


「ここはね、私たちの時間が永遠に続く場所だから」


その言葉の意味を深く考えもしなかった。俺たちはいつものように語り合い、夜の静けさの中で笑い合った。だが、ふとした瞬間、彼女の手の冷たさに気づいた。


「手が冷たいね。大丈夫?」

「大丈夫よ。私は、こうしていられるだけで十分」


彼女の笑顔は変わらず美しかったが、どこか儚いものを感じた。


その夜、別れ際に彼女はこう言った。


「明日も遅れないでね」

「もちろん」


翌日も、翌々日も、俺は彼女との約束を守るため、毎晩広場に向かった。けれどある日、彼女は来なかった。理由がわからず不安になった俺は、彼女の家に向かった。だが、彼女の部屋には誰もいなかった。それどころか、そこに住む人はもう何年もいないと言われたのだ。


混乱した俺は広場に戻り、あの日のことを思い返す。その瞬間、目に飛び込んできたのは、広場の片隅に立つ古い時計台。その下には小さな銘板が取り付けられていた。


"この時計は、彼女が愛した人を待つために動き続けます"


刻まれていた名前は、彼女のものだった。


俺は立ち尽くし、彼女と過ごした日々が永遠に戻らないことを悟った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る