第1話 王の目覚め

 次に、リューファスに白い光に照らされて、目を覚ました。

 

 目に痛いくらいの強い光。

 リューファスはその光に慣れるまで、しばらくかかった。

 数人の影が、彼を取り囲んでいる。


 やがて、時間をかけてゆっくりと目を開き、周りを見渡した。


(ここは一体どこだ?)


 そこで初めて、自分がベッドに寝かされていたことに気づいた。


 周囲にいる人々は、真っ白な服を着ているものが多かったが、透明なガラスの向こう側に、ずいぶん身なりの良い男たちがいるのも見て取れた。


 身体がすこし冷える。なぜか、ほぼ全裸らしい。下だけは履いているようだ。


「おお、サンプルX氏が目を覚ましたみたいですね。教授、次は蘇生する為の条件についての考察を――」

「ああ、ありがとう。ここからは私が引き継ごう」


 白衣を着た男は部屋の隅にある椅子に座った。

 そしてリューファスの顔をじっと見つめた。


 教授と呼ばれたその男は非常に若く見えたが、実際にはかなりの高齢であるらしかった。

 どこか学者のような雰囲気を持っており、眼鏡をかけていた。


「君、言葉はわかるかね。自分が誰か分かるかな?」


 教授はリューファスに質問した。

 言葉は、自分と使っているものと似た響きを帯びていた。


 所々、不明な部分もある。

 だが、リューファスは、おそらく名前を聞かれているな。と、わかる範囲の文脈から推理した。


「……余はライ・ユーファス・セレスティアヌスだ」


 リューファスは異名も含めた正式な名を答えると、教授と呼ばれた男は満足そうに頷いた。


 隣では助手らしき男が、ノートに記録を取っているのが見える。

 どうやら彼らはリューファスの反応を、詳細に観察しているようだ。


「瞳孔の反応は正常。受け答えもできる。 ……呪いによる傷害痕は、触診した限りはない」


 教授と呼ばれた男が、身体をペタペタと触る。


 リューファスはそれを不快に感じながらも、黙って我慢した。

 どうやら彼らは医者であるようだ。あるいは、治癒師か。


 時折、魔力の反応があるのも理解した。


 探知魔術の一種らしい。何かの精査を受けているようだ。

 リューファスは言語の分析を進めながら、様子をうかがうことにした。


「脳波にも異常はありません。精神状態も安定しているようです」

「なるほど、呪詛後遺症はないようだね。 ……素晴らしいね、ライ・ユーファス・セレスティアヌスに該当する名前は歴史書にあったかな」


 教授はそう言って、少し考え込むような仕草を見せた。

 すぐにリューファスの方に向き直り、質問を続けた。


「君の名前はライ・ユーファスで間違いないんだね?」

「通り名はリューファスだ。それがどうした」


 教授の問いに、リューファスはやや警戒しながら答えた。


 すると、それを察したのか、助手らしき男が口を挟んだ。


「教授、彼はまだ記憶の混乱が続いているのでしょう。そんな状態で質問をしても、まともな回答が得られるとは思えません」

「そうかもしれないが、確認するくらい良いだろう? ……該当する名前がなかったのかな?」


 助手らしき白い服を着た男が、何とも言えないしかめ面をした。

 ありえないと言わんばかりだった。


 どうやらリューファスの回答は、彼らの予想とはかなり異なっていたらしい。


「君の名前はライ・ユーファス・セレスティアヌスで間違いないんだね?」

「間違いはない」

「……年齢はいくつだったかな?」

「歳か。生まれて30年は超えていたように思うが」

「ほう? ずいぶんと落ち着いているね。それにセレスティアヌスとは、大仰な異名だ。どんな由来かな、武功を重ねた騎士だったのかね?」


 教授は興味深そうに眼鏡を光らせた。

 その隣では助手がノートに何か書き込んでいる。


 さらに別の学者らしい男が部屋に入ってきて、リューファスの身体をペタペタと触り始めた。

 彼らはどうやら身体的なデータを調査しているようだ。


「あまり、べたべた触らないでくれ。お前たちは医者か? それとも術者か?」


 リューファスは不快そうな表情を浮かべ、そう言った。


 だが、彼らは気にする様子もなく、調査を続ける。

 そして一通りの観察を終えると、教授と呼ばれた男に向き直った。


「教授。測定によれば、かなり鍛えられた身体ですね。十分な闘気を扱うことが出来るでしょうね。魔力量は通常よりも、かなり大きいですが……まあ、異常値ではない。強いて言うなら、あれほどの呪いを受けたにしては、身体が衰弱していないのが気になります」

「なるほど。確かにそれは興味深いね。それに、この覚醒度の高まり方……普通じゃない。が、個体としては特別ではないかなあ。誤差だね」

「おい、お前たちは何者なのだ? ここはどこで、余はなぜここにいる?」


 リューファスは苛立たしげに問いかけた。


 だが、彼らはそれを無視して会話を続ける。

 彼らにとって、リューファスの存在など取るに足らないもののように。


 助手が、何かを教授に見せている。

 それは、何かをリスト化した紙であるように思えたが、中身まではわからない。


「ああ、なるほど。かの『ライル王』が候補の一つなのか。確かにライ・ユーファスだからと同一人物だと言い張るのは無理がある。伝説上の人物本人かどうかと言う話だろう? 死んだはずの土地から離れすぎてるし、石化して保存したなんて聞いたことないよ?」

「ライル王だと? 余は、そんな名前ではないぞ」


 リューファスは眉をしかめ、声を荒げた。


「そうだね、そうだろうとも。さて、私は君を何と呼べばいいかな。私の名前はマッケリーという。……ライくんでいいのかな?」

「……リューファスと呼ぶがいい」

「ああ、わかったよ。リューファスくん」

 

 マッケリー教授は嬉しそうに何度もその名を口にした。

 どうやら教授は、リューファスの素性よりも別のことに興味があるようだ。


 不快感を覚えながらも、リューファスは我慢強く会話を続けた。少しでも情報が欲しかった。


 助手の一人が何かを持って近づいてきた。どうやらそれは鏡らしい。


 男はそれをリューファスの目の前に差し出した。

 鏡に映った自分の顔を見たリューファスは、奇妙な感覚を覚えた。


「左目の色が、違う? 前は青だったはずだが、この色は銀色か? それに、瞳孔が……」


 リューファスは不思議に思って自分の手で自分の頬を撫でた。

 鏡に映る自分の肌には、大きな傷跡があった。理由はわかる、黒龍にやられたのだ。


(そうだ、自分は死んだはずだ。だが、なぜ余は生きているのだ?)


 死ぬ寸前の白昼夢か、それとも何かの魔術によって一時的に意識を覚醒させられたのか。

 しかし、もし後者であるなら、これらの人物は死霊術師の類か。


(いいや、確かに自分は今生きている。心臓も鼓動している。操られているわけでもない)

「長い間、眠っていた割には元気だね。古い時代の人間の割に、会話もできるし」

「時代? 何を言っている?今は何年なのだ?」


 マッケリー教授は、一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに戻った。

 それから机の引き出しを開けて紙とペンを取り出し、何かを書き始めた。


「魔力年代測定による減算式で考えたら、おおよその時代はわかるんだけど。今は聖暦1242年だよ、わかる? あ、ついでに君、この文字読める? こっちは?」

「もっとゆっくり考えさせろ、聖暦なんて知らない。 ……読めない、が。なんとなく意味は分かる。 『東を向けば、尾は西を向く』か? これがEで、これがAとTに当たる文字か?」


 マッケリー教授は不思議そうに首を傾げ、それから納得したように何度か頷いた。


「なるほどね、これは実に興味深いね。ところで、リューファスくんは、何という名前の国に住んでいたのかな?」

「余の国は、バンスラディア王国だ」

「……うん? 聞いたことないなあ。どこの国だい? ねえ、そこの君知ってる?」


 マッケリー教授は、近くにいる助手を捕まえて尋ねた。


 若い女の助手は、慌てて資料をめくり始めたが、結局、首を振って申し訳なさそうに答えた。


「あ、あの。すいません、わかりません……」

「だよねぇ」


 マッケリー教授は納得したように頷くと、また何かを書き始めた。


 リューファスはそれをじっと眺めていた。

 一番、きびきびと働く若い男子が名乗りを上げた。鼻眼鏡を掛けており、理知的な印象を受けた。


「教授、それってあれですよ。ゼノスヴァイン王国の旧名ですね、国が割れて小さくなる前の名前です。ライル王の伝説も彼の国にありますね」


 マッケリー教授は頷くと、さらにいくつかの質問をした。

 そしてその答えはどれも彼の予想するものと一致していたらしい。彼は満足気に頷きながら何度も頷いていた。

 やがて、マッケリー教授はペンを置くとリューファスに向き直った。


「さて、色々質問するけどいいかな」

「構わないが、いくつか条件がある」

「条件?」

「余の要求は2つある。1つは、身の安全の保障」

「ああ、あのね。魔導倫理協定と言うのがあってね、実は過去の人間を実験に利用する場合、苦痛を与えてはならないと言うのがあるんだ。だから、君が生きている間はもちろん安全だよ。安心して暮らしてくれ」


 リューファスは思わず意外そうな顔をした。

 目の前の相手が、そういう倫理観染みた話をするとは思わなかった。


「フム、そうか。では2つ目は、こちらも今の状況について知りたい。……空いた時間で構わん。余に教えてはくれぬか」

「ああ、いいよ。ちょうど最近始めた研究があるんだけど、君にも手伝って貰おうかな。 なんだか、それなりの教育を受けてそうだし」

「……まあ、仕事があるなら、働こう。だが、その前になにか食べさせてくれ、腹が減っている」

「ああ、そうだね。ねえ、君達。リューファスくんを個室に案内してよ、食事の準備もね。だいぶ、聞き分けのいい子だし、思ったより言葉も通じるから、あまり怖がらなくてもいいと思うよ」


 マッケリー教授はそう言うと、助手達に指示を出す。


 傍についた若い男の一人に、リューファスはしかめ面をしながら尋ねた。

 ちょうど、さきほどバンスラディア王国について答えを出した青年だった。


「まず、一つ答えろ。バンスラディア王国はもうないと言っていたな。それはいつの話になる?」


 若い男はあっさりと答えた。


「そうだね、ざっと600年前かな? 伝説で、ライル王が黒龍と相討ちになってから、内乱が起きてね。すぐに滅びたよ。ほら、食事を用意するから、こっちの部屋に来て」


 リューファスは口を開けたまま、ぽかんとした。

 何の抵抗もせず従いながらも、頭に何も情報が入ってこない。


 適当に用意された服を着せられながら、混乱する頭を整理しようとする。


(こやつは、なにを言っておるのだ。600年? 余は未だに生きているのだぞ)


「ほら、そんな顔をしてないで。 ここに座って」

「いや……待て。すまないが、少々混乱している。一体、何が起きているのだ? ここは……」

「ここはね、フィンダール共和国の大学だよ。ええと、大学って言うのは、魔導技術とか学問を治めるための学問所? 立地はねえ……ええと、元のバンスラディア王国の東部に当たるかな」

「待て、待ってくれ。つまり……そなたは何を言っているのだ?」

「いや、だからここが大学の構内で」

「そうではない、そもそも何故余が生きているのかと聞いているのだ!」


 リューファスが強い口調で言い放つと、ようやく若い男は納得したように頷いた。


 いまいち、リューファスがどのような認識を持って石化に至ったのか、齟齬があるように感じた。


「ああ、そこね。本人が理解してない部分が多いなら、参考になる情報は少ないかもなあ。いや、誰かは知らないけど、死にかけてた貴方を、石化封印して延命した人がいたみたいなんだよ。きっと、当時でも最先端の技術だよね。で、僕たちは、その封印を解いて治療したわけ」

「石化、封印だと……? ではまさか、余の肉体は……」

「ああ、うん。残念ながらね。600年近く、この状態だったんだよ、ほら」


 若い男はそう言うと、手に持った分厚い本を開いて見せた。

 そこには石化したリューファス王の写真があった。


 地下室らしきところに、厳重に石棺に入れて保管されていたようだ。


「あまりにも信じがたい。夢と言われた方が、まだ信じられる」

「現実だよ。よかったね、生きてて。蘇生可能になったのも、今の試験技術が上手く行っただけだし、まあ、運がよかったね」


 リューファスは考え込んだ。状況はわからないでもない。


 黒龍と相討ちになった後、石化封印を施した誰かがいたはずなのだ。

 それが出来る人間も、そう多くない。


 自分が縁もゆかりもない者たちに蘇生させられたのは、なんらかの手違いがあったのか。

 あるいは国が存続しなかったのが理由か。


「余は……かなり長い間、眠っていたにすぎぬ、と?」

「ある意味ではそうだよ。で、どうする? これからのこととか考える?」


 同情どころか、興味関心すらその言葉には乗せられていなさそうだった。

 この若い男には、他人に対する共感や、配慮と言うものが明らかに欠如しているように思えた。


(しかし、こやつの言う通りだ。理屈の上では、この者たちに協力しながら、身の振り方を考えるべきだ。だが、今の余に何が出来るだろうか?)


 若い男は、リューファスを見下ろしながら話を続けていた。

 誰かから食事と飲み物の乗ったトレーを受け取ると、テーブルの上に置く。


 トレーには、パンやスープ、水の入ったグラスなどが載っていた。


「普通の食事をすぐに与えていいのかな、まあ、いいか。何かあっても、治療できるだろうし」


 それをテーブルに置いた後、若い男はぼそっと呟いて、一人で納得したように頷いていた。

 命の勘定がおおざっぱらしい。


「まあ、気が向いたら考えてみてよ。とにかく、当時は貴族か何かだったのかもしれないけど、貴方はもうただの……なんだろう、サンプルX氏だし? だったら新しい生きがいを見つけるのが筋かな?」

「……余をサンプルXと呼ぶのはやめろ。馬鹿にしているだろう」

「ああ、そう。リューファスさんだっけ。僕はメッツァだよ。ねえ、あの伝説に伝わるライル王って見たことあるの? 本当に600年前に実在した人物なの? 食事しながらで良いから、教えてよ」


 そう問われて、リューファスは目を閉じた。


 瞼の裏には、600年も過去の情景がありありと浮かぶ。


 王宮のテラスから見る風景や、闘技場で剣士たちが闘う姿などだ。

 あの時代を生きた人々はもう誰も生きてはいないだろう。


 その時、リューファスはまだ20代だった。若い王だった。その傍らでは、アルテナが彼を見守っていた。


 王宮のテラスから、町を見下ろした時、何か騒々しい騒ぎがあったのを覚えている。

 リューファスは身を乗り出して、町の中央にある広場をみやった。


 広場に大勢の人々が集っていた。彼らは口々に叫んでいるようだ。王の名前を叫ぶ声も聞こえてきていた。


 あまりに夢中になっていたものだから、アルテナに行儀が悪いと諫められたのだった。

 あの頃は、まだ比較的、気が楽だったようにも思う。


「あれ? どうしたの、黙り込んで」


 メッツァは不思議そうに言うが、リューファスはそれに応答できなかった。


(そうか……アルテナもこの世にいないのか)


 アルテナは専属術士であると同時に、リューファスにとっても大切な友人だった。

 彼女と話をすることが楽しかったのだ。


 僅かにリューファスは微笑むと、コップに一杯の水を飲み始めた。


 その時、ようやく自分が喉が渇いていたことを思い出した。

 目まぐるしい状況の変化に、動揺していたらしい。そう己を振り返る。


「ねえ、何か答えてよ」

「ライル王など、見たことが無い。自分は……そうだな、とある諸侯の数多くいる息子の一人だった。 魔術は専門家ではなく、前線に出るのが役目の戦士の一人だった。家に伝わる術を治めてはいたがな。 ……領土を守る番をしていて、王に謁見したこともない」


 結局、作り話を始めた。

 ライル王など、実際聞いたことがなかったし、王とバレたら面倒になる気がしていた。


「……ああ、そう。つまんないの。で、なんで石化してたの?」

「わからん」


 実際、わからなかった。

 リューファスは、あのまま死んでよいと思っていた。特に、こんな余生は望んでいない。

 しっかりと満足して死んだのだ。


 メッツァは肩をすくめて見せた。


「ま、それはいいや。これからどうするつもり?」

(……これからどうするか、か)


 リューファスは心の中で呟くと、窓の外を眺めた。

 美しい朝日が空を照らしていた。思わず目を細めるほどに眩しかった。


 見たこともない街並み。

 見知らぬ人々。そして、二度と目にすることもないと思っていた景色があった。


「あのさぁ、別に黙る必要は無いでしょ? せっかくだからさ、教えてくれない?」

「……そうだな。まず、人を捜したい」

「誰を?」


 もはや王ではなくなったリューファスは暫く考えた後、こう答えた。


「当時、大切だった者たちだ。最期がどうなったかくらいは知りたい。墓があるなら、花くらい添えてやりたいだろう」


 メッツァはくすっと笑う。


「なるほど、お気の毒さまだね。そうか、友人知人どころか家族まで、みんな死んでるんだもんね」

「……そうでもない、誰かに望まれて延命したのならば、何か意味があるかもしれない。強いて言うなら、手元に愛剣がないことが残念か」

「へーえ、剣か。まあ、いいんじゃない。そう思えるならさ。僕なら、残りの人生が億劫すぎてやってられなさそうだけど」


 メッツァはそう言うと、手元のメモ帳に何かを書き込んだ。

 そこには非常に適当な字でこう書かれていた。


 サンプルXは、メンタルめっちゃ強い。はなまる

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