黒薔薇園

ギガ肩幅担当大臣

黒薔薇園

しかしあんた大丈夫かい。ここら辺には宿なんてないよ、あ、いや帰るにしても山には狼がいるでよ、あんたみたいな細っちいお嬢さんにはちょいとばかり危ないんじゃないのか。じゃあほら泊まっていけよ、な。今日は女房も町に芋売りにいってんだ、かまいやしねえよな、な。

ほら一番上等の椅子に座りな、おもしれえ話してやるからよ、まま。


ほら窓から川が見えるだろう、エンデュランス川ってんだが。その上流に、黒薔薇園てところがあるんだ。誰が言い始めたんだったかな、兎に角その名前がついているからには、それはそれはたいそうな量の黒い薔薇が咲いているそうだ。そのトゲ付の低木が囲んだ小さな広場に、まあけったいな農場があるんだと。

フロック男爵のお屋敷の半分程の小さな広場に、ポツネンとオンボロの納屋が立っているだけの小さな農場だそうだ。

そもそも黒薔薇園を見たって話が出たのもここ数年だ、山ん中を住みかにしてたバウアレロじいさんが、毎日歩く川沿いに突然現れたって言うんだから、まあこりゃ数世紀に一度、あるかないかのけったいな話じゃあないか。

あんたがもしこの話を、耄碌したじいさんの戯れ言世迷言だとおもうなら。毎夜毎夜猟に出掛けて、ここいらで食うに困ってる奴等のため、せっせとシチューを作った聖人君主様を侮辱することになるという事を覚えておくんだな。

みんなバウアレロじいさんに助けてもらってたんだ。



そいで、まぁそこの牧場主がえっちらおっちらと、週に一度川を下って乳を売りに来てたんだが。

初めて来た時には、薄らボロけたローブを纏った、まあみすぼらしい乳売りが来たものだと儂も思ったものだ。

近づいて見れば年端もいかぬ女であると見える。

金の髪は、どこかの天上人かと思う程艶々と輝いていて、頬の紅色は泥の一ハネもかからぬ身の整いよう。

そうそう、ちょうどあんたみたいな美人だったよ。

それがボロを纏っているもんだから、皆初めはそりゃあ警戒したものさ。

都から逃げ出してきた貴族様のご令嬢だとか、貧しい儂らに使わされた天使さまだとか、もしくは逆に、終末をもたらしに来た大悪魔なんじゃないかとか。

売っている乳も、壺の底に塊がデロデロとこごり、たいそうな酸っぱい臭いをさせたひどいものだった。

それでもその乳売りは「金はいらないから石ころをくれ」

と奇特な願いをするものだから、腐れとも貴重な乳には変わりねえと、村の皆も石ころを集めては、その酸っぱい腐れ乳を買っていったんだ。


一度来れば荷車いっぱいの腐れ乳をさばいて、それで石ころを百かそこら荷車にのせたら、またえっちらおっちら川をのぼって黒薔薇園に帰っていくのさ。

皆あの乳売りを、きっと可哀想な目にあって頭がちゃんちゃらぴーになっちまったんだと、まぁ多少は同情はしてたわけだが。

それでも誰も彼も知らない余所者を助ける余裕なんて、この村にあるわけがなかろうて。

しばらくはそんな調子でお互い仲良くやっていたつもりだったんだがね、ある冬の日からとんと現れなくなっちまった。

ついに家畜どもが愛想つかせて逃げちまったか、さもなくば食うに困ってさばいちまったんだろうって噂が立ったもんだから。

バウアレロのじいさんも好き者だよ。あんなちゃんちゃこぱあの娘でも心配になったらしくて、とうとう黒薔薇園の裾まで干し肉をいくらか持っていくことにしたそうだ。


しかしこの酒は篦棒べらぼうに美味いじゃないか。なぁお嬢さん、本当こいつは全く……上物だなぁ、ありがとよ、もう一杯頂こうか、いやどうもどうも。

そいで、じいさんが黒薔薇園に向かったときの話だな。えっとだ、その時じいさんは抱え込めるだけの干し肉を抱えてな、自分の猟師小屋からエンデュラス川沿いに伝って登ってったんだよ。小一時間ほど歩いて到着したときには、そりゃいくら雪深い山ん中でも汗もびっしょり息も切れ切れなもんだから、冷えないように懐から酒を一杯、今見たいにこうくいっと……飲んで、それから薔薇に囲まれた農場の入り口に向かったんだよ。

それがまあ不思議なことに、雪の降る中でその薔薇はよ、そりゃまた見事に咲いてたらしい。

ホントに、吸い込まれそうなぐらいの黒い艶やかな色だったそうだ。それが白い雪の中でそれはもう、馬鹿みたいにぽんぽこ咲いていて、じいさんもこりゃいったいどういった魔法を使ったんだかと感心したらしい。へっ、あのじいさんが女々しく薔薇に喜ぶなんてよぉ、そいつを聞いた時は笑いすぎて腹が捩れるかと思ったよ。

で、その肝心のその農場なんだがね、無いんだよ、入り口が。じいさんは干し肉担いだまんまぐるっと、辺りをそりゃぐるっと回ってみたんだが、農場の周りにもそりゃおんなじような黒い薔薇の木がぐるっといじらしく生えていてよ。じいさんも冷えて身体がぶるぶる震えるわ、土産は重いわで、ついには適当な薔薇の木に腰鞘から抜いた鉈を叩き下ろして、一株切っちまったそうだ。とはいっても薔薇だからよ、トゲだらけの木の間を抜ける頃には、服も肌もぼろぼろになっちまったんだ。

こりゃあの乳売りもボロしか着なかったわけだと納得して、それから牧場の中をぐるっと見回してよ。まあ思った通り、家畜の一匹もいやしない。始めっから分かっていたことではあるんだ、いや皆家族で生きるのに必死で。見て見ぬふりをしちまったもんだから、とうとう見知らぬ娘が死んじまったんじゃねえかって。

それからじいさんは、最近死んじまったならまだ狼にも荒らされてないんじゃないかって、その農場のど真ん中につっ立ってたボロ小屋にむかったんだ。なぁ、優しいじいさんだよ。


小屋がどうだったかって、いやそれはこれから盛り上がるところなんだ。なぁ、お嬢さんもほら、こっちにきなよ。やだなぁ、なにも考えてないさ。ただほら、そっちは寒いだろう、毛布があるんだよ。

あぁそうだな、話の続きな、じいさんが黒薔薇園に入ったあとの話な、分かった分かった、話すよ。

それでじいさんが身体を濡れた犬みたいにぶるぶる震わせながら小屋に入ったんだがな。まあ入り口も狭いもんだから、外の明かりも殆ど入らないんだ。こりゃいよいよ生きた人間はいないなと思ったじいさんは、まあ念のため、念のためにだな。持ってきた猟銃に弾込めてよ、「おうい、おうい、村のじいだぁ」ってな具合に声を出してよ。すると奥でガサガサッと音が聞こえたもんだから、そりゃ猟師の長年の経験だろうな、引き金は引かずとも銃口を音のなる方へ向けたんだ。

小屋の入り口からかすかに入る光がその何かの足元を照らした時にはよ、女の足が見えたそうだ。裸足で、血がにじんでいて、まさかこんな暗闇のすきま風ビュービューのぼろ小屋で、乳売りが生きてるとはおもわなんだ。じいさんもたまげて「おまえ、生きてたのか、こんなところで」って銃を下ろしたんだ。そしたらその乳売りの足元にゴロゴロ……ゴロゴロ…って何かが転がるんだ。よく見りゃそれはお前、乳の代金に渡した石ころだったらしい。石ころが乳売りの足元にゴロゴロ……ゴロゴロ……、何個も何個も落ちてきてな、じいさんはこりゃいったいどういった事かと頭を捻ってみたがてんでわからない。

だから乳売りに近付いて「大丈夫かお前、いったいなんだってんだ」そう声をかけながら近づくと、乳売りの足元から少しづつ、暗闇になれた目玉で見えてきたんだと。足から上は着てたボロも無くなっちまった、そりゃ柔そうな女の裸が。肌は切ったような傷で怪我だらけで、血は時間がたって黒くなってたそうだ。そしてそれから綺麗な乳が見えてよ、首の筋んとこもそりゃ雪みたいに綺麗で、そして首から上は……。


石だったんだよ。そうだ、頭のついてるはずのところには、そりゃ山盛りの石が乗ってたんだ。あのほら、わかるだろ、無花果いちじくだよ。つるっとした皮の中にちっさい果肉がブリブリブリッとついてるさぁ、ほらそれの中と外をベロッと丸ごと入れ換えたみたいに。裸の女の首から上が石で出来た無花果みたいになってたんだ。熟しすぎたんだかなんだか知らねえけど、その石で出来た果肉が少しずつ、コロコロ……コロコロ……って落ちていくんだ。

じいさんはそこでションベン漏らしまってよ。膝も馬鹿みたいに大笑いしちまって、外が寒いんだかションベンが暖かいんだか、目の前の化物が怖いんだか、女の乳に目がいくんだか、もうぐちゃぐちゃになっちまったみたいだ。それでもじいさんも山の男なわけだ、その乳売りの化物に向かってバンバンッと猟銃で二発撃ち込んでやったそうだ。そうするとその乳売りの身体と、石の頭に一発ずつズドンッズドンッてな感じで。女の身体の方から赤い血がブワッと、石の頭の方は石が砕けて、それから嗅いだことのある臭いの液体がどろっと。そりゃお前、ここに売りに来てた乳の臭いだよ、石の怪物の血だかなんだかが、あの腐ったような乳だったんだ。

おれ、そいつを聞いた途端に食ってたもん全部吐いちまってよ。もったいねえよなぁ。

それからじいさんは脇目もふらずに一目散、山の中をゴロゴロ岩見たいに転がりながら降りてきたって話だ。


あ、いやな、じいさんはもう死んだよ。黒薔薇園から帰ってきて一月も立たないうちによ。山から素っ裸で降りてきたものだからびっくりしたさ。こりゃいよいよ頭が駄目になったかと、皆で担いで麓の町医者まで連れてってな。ありゃ大変だったな、痩せて見えても山の男なわけだから、男二人でも持ち上がらないほど重かったんだ、ありゃ筋肉だろうな。

はて、どうしていかれちまったのかしら。今となってはわからんよ、そのまま町で冷たくなっちまった、かわいそうになぁ。最後の景色が、知らない町の太った金持ちオヤジの顔だなんてよ、浮かばれねえや。

なぁどうだ、だからこの先山にいくのはやめた方がいい、儂たちもじいさんから話を聞いてからは近付かないようにしてたんだ。なあそんなことより、儂と今日はいいことしようじゃないか。

なぁ、おっ、なんだい上着、ああ、預かるともほら、おっ、その棒っきれはなんだい。いや儂もそう言うのは嫌いじゃない、ほら、儂の尻をそいつで叩いてくれよ、アイタタ、アイタタ、チゲえよ、頭じゃなくて尻だよ。アイタタ、アイタ、いヤ、いてぇよ、ホンとだ、いデぇ、やめテクれ、悪がっタ、ワルガッダよ……


あぁ……イテェ……

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