シラナミ
浅野エミイ
第1話 白波
「あっちぃ~……今日も直射日光がまぶしいな」
トタン屋根にトタンの壁の掘っ立て小屋。大きな縁側はあるが、当然クーラーすらないし、建築基準法ギリギリ。ここが今のオレの家だ。起きて玄関に出ると、今日もおばちゃんがいた。
「
「ありがと、おばちゃん!」
濡れタオルで汗を拭きながら、タンクトップにトランクス一丁で出てきても、おばちゃんは気にしない。この小屋の大家が、おばちゃんである。今日もふくよかで麦わら帽子をかぶり、紫外線対策の長袖を着ている。大家というか、この小屋がおばちゃんの家の敷地にあるだけなんだけど。
ちなみに、朝の食事もおばちゃんが作ってくれる。庭で取れた野菜のサラダと、トースト、目玉焼き。トーストはともかく、この目玉焼きはフライパンに卵を割り入れ、車の前方に置いて作ったものだ。太陽光を使った自然に優しい料理方法らしい。
「いっただっきまーす」
「はいはい」
手を合わせると、オレは縁側に腰を下ろして食事を始める。ここからだとおばちゃんにも食べている様子が丸見えだ。オレが言うのもおかしいが、このおばちゃんも変わっている。かなりの金持ちで、土地持ち。いや、だからか。暇を持て余した金持ちほど、余裕があるっていう典型なのかも。趣味は土いじりに日曜大工。それと科学実験。目玉焼きも科学実験の一環だ。人生をエンジョイしているようで、うらやましいことなにより。
それで、なんでオレはこんな小屋に住んでいるかという話になると思うんだけど、本来ならば寮に入るはずだったのだ。その手続きもしたのだが、どうやら部屋がブッキングしてしまったようだ。そこで『ツテで』紹介してもらったのが、この掘っ立て小屋。もともとは猫屋敷化していた場所。そこをオレが『家主たち』に相談して、入居させてもらうことになったんだ。
大家のおばちゃんも、最初はオレがここに寝泊まりしていたことに驚いたけど、今では普通。それどころか、自分の息子みたいにかわいがってくれている。
「あー、おいしかった。ごちそうさま!」
「あれ、旭くん、まだ出勤してなかったの?」
「え? なんで?」
おばちゃんのうしろから出てきたのは、娘のつみきちゃん。短い髪を何とかまとめて、ポニーテールにしている。セーラー服を着て、手には部活用の大きなバッグとテニスラケット。夏休み中の彼女が出る時間と言ったら……。
「もう八時過ぎ? まずい!」
「遅刻だね。私も出かけるよ~。じゃ、またね」
つみきちゃんに手を振り返す余裕もなく、バタバタと着替え始める。半袖のワイシャツに、ネクタイ……は向こうでつけるとして。リュックサックを背負うと、玄関を飛び出す。
「おばちゃん! オレも行ってくる! 鍵、お願いね!」
「旭ちゃんは相変らずだねぇ」
ふふっ、と楽しそうに笑うおばちゃんを背に、赤いマウンテンバイクにまたがると全力疾走で勤務先へと向かった。
「北川先輩、また遅刻なんて、市民に怒られますよ」
「細井ちゃん、そうカリカリするなよ。今日のは仕方ないんだから」
「仕方ないのが三日連続か? 北川旭巡査」
高須警部が苦笑いでオレを見る。東雲西交番。海のない県の端にあるここが、オレの勤務先。つまりオレは『警察官』だ。
憧れだった警察官になり早一年。仕事にはそこそこ慣れたけど、睡眠欲求には抗えなかった。ただでさえ警察官は二十四時間勤務と休日のローテーション。あまりのんきに眠れないし、ここ数日は熱帯夜だった。クーラーのないあの小屋での生活は、正直真夏と真冬には向いていない。それでも引っ越す時間も取れないものだから、このままの生活だ。おばちゃんの好意で家賃全額無料、朝食付きっていうのも破格の条件だからな。
「夜勤挟んで明後日は休みだが、その次遅刻したら始末書だぞ」
「へぇ~い」
「なんで遅刻するんですかね? 遅れそうになったら、自家用ジェットに乗ってくればいいのに」
「細井ちゃんは、なんでそうナチュラルに金持ちバカなんだ? 自家用ジェットなんて普通持ってないし、この街中でどうやって着陸するんだよ」
「それもそっか。リムジンにすべきでしたね」
高須警部と新人の細井巡査がオレと一緒に仕事をする仲間だ。時間帯によっては違う面子が揃うこともあるが、大体いつもはこの三人。高須警部は兄貴って感じの人。四十代らしいが、若く見える。坊主で、まだ赤ちゃんの娘さんからはよく怖がられてるとか。これでも柔道では国体で優勝したって話を聞いている。細井ちゃんに関しては、お金持ちの嬢さんがなんでまた警察官になったんだ! と言いたくなるほどの世間知らず。どうやらある小説に影響を受けたと聞いたが、彼女、本当だったら財閥の跡取りなんだよな。こんな場所で仕事している場合じゃない気がする。
それに比べて、オレは普通だ。高須警部ほどじゃないけど、走るのが得意だったし、こういう職業に向いているって言われたから警察官になった。たったそれだけだ。
「はぁ~……今日の昼メシ、何食べようかなぁ」
「おい、朝寝坊したばかりで、もう昼メシのことか? パトロール行って来い!」
「は~い」
帽子をかぶると、外に置いてある交通課の自転車に乗る。今朝乗って来た自分の自転車は、本庁だ。いちいち着替えるために本庁に行ってから交番勤務って、面倒だよな。登庁するだけで汗だくだ。
「今日も一日、頑張るか!」
気温は三十三度。炎天下。オレは自転車をこぎ始める。できるだけ日陰を通って、事故の起きやすい交差点をひとつひとつ回るのだ。
「あー……ノド乾いた。警察官の制服の面倒なところって、これを着ている限りうっかり自販機でジュースとか買えないところだよな」
公僕とは誰がつけた言葉なのか。『公のしもべ』であるオレたちは、国民の税金をもらって暮らしている。だからたまにいるのだ。気を抜いていると絡んでくる輩が。そういうのは大抵おっちゃんで、酒に酔ってたりするからタチが悪い。こっそり水分補給を済ませると、自転車を降りた。
「ずいぶんでかい屋敷だよな。おばちゃんの家くらいありそうだ」
外から見えるのは大きな石灯籠。しかもひとつじゃなく、いくつも。庭にある松の木はきれいに剪定してあるし、池もあるようだ。奧には人の姿が見える。着物姿の一見上品そうなおじさん。年齢的には五、六十くらいだろうか。おじさんの横には、黒いスーツの男。豪邸にはそれなりの人が住んでいるのか、と納得したいところだったが、仕事柄か。どうも『そっち系』の人にも見えなくもない。
「この暑いのに、黒づくめだもんなぁ。怪しいとしかいいようが……」
「あなた、鋭いのね」
「え?」
振り向いても誰もいない。ふと石壁の上を見ると、三毛猫がいた。彼女の声か。
「キミは?」
「あたしはミケ。ミケって名前も安直よねぇ。それだけ素直な人が飼い主なわけだけど、簡単に人に騙されるのは、見ていてヒヤヒヤするわ」
ミケさんはすたっと地面に下りると、オレのそばに寄った。
「聞いてるわよ、あなたの噂。なんでも、動物の声が聞こえる警察官なんですって?」
普通のオレが唯一他の人と違うところ。それが、『動物の心の声を聴きとれる』ことだ。
超能力ってほどのものではない。現にオレ以外にもこの能力を持っている人間を何人か知っている。本当の超能力者だったら、もっとすごいだろう。
オレは、胸の警察バッチをそっと握った。大きくて半円形のそれは、巡査という階級を表している。警察の階級はバッジにある短いラインでわかるようになっているのだが、巡査はラインが左右に一本ずつ。ただ他の巡査と違うのは、このラインが金色ではないこと。あまり他人には気づかれないが、オレの『これ』はプラチナなのだ。
「それでミケさん。オレに何か用ですか?」
「あそこの着物の男」
ミケさんは顔を向ける。着物のおじさんは池の鯉に餌をやっている。猫がオレに文句を言いたいのは、もしかして以前池の鯉を狙って、あのおじさんに乱暴なことをされたとか?
「別にあたしは悪いことしてないわよ。悪いのは全部、あの男」
「何したんですか? あの人」
ミケさんはニャーと鳴いてから、吐き捨てるように言った。
「うちの飼い主からきらきら光る石を奪い取ったの。無理やり、暴力を振るってね。借金のかたって言ってたけど……」
「きらきら光る石? 宝石のことか。うーん、それだけじゃわからないですね。でも、借金の違法取り立てだったら、調べる必要があるな」
「だったら早く調べて! あなたの役目でしょっ! ほら、行くわよ!」
「わっ!」
ミケさんはひらりとオレの自転車のカゴに乗る。これは実際に話を聞きにいかないと納得してもらえないな。
「わかりましたよ。市民の声に耳を傾けるのがオレの仕事です! ミケさんのご自宅まで案内してください」
「ふん、当然よ」
三十分ほど自転車で走った。……それ以上はかかったか? 急な上り坂が途中にあり、オレはへばって自転車を降りたが、あったのは何の変哲もない小さな一軒家だった。
「ここがあたしの家よ」
「はぁ」
自転車を止めると、インターフォンを鳴らす。一回、二回。誰も出ない。
「留守かな」
「そんなはずはないわ。ちょっと待って」
ミケさんは、ドアにあった猫用の扉をくぐる。しばらくすると鍵がガチャリと開いた。
「ミケ、外に何かあるの? ……あ」
「すみません、警察のものです」
出てきたのは、四十代くらいの女性。若いとは言えないが、青いシャツに白いパンツを履いたきれいな人だ。この人が借金のかたに宝石を取られたのか? 本当に? とりあえず、探りを入れてみることにしよう。
「最近、何かトラブルなどは起きてませんでしょうか」
「え? トラブル……ですか?」
「はい。誰かに暴力を振るわれたとか、金品を強引に奪われたとか……そういう事件がこの辺であったと聞いたので」
「…………」
女性はミケさんを抱っこしたまま黙った。どうやら心当たりがありそうだ。
「だから言ったでしょ」
ミケさんがオレにささやくと、女性は「どうぞ」と玄関に通してくれた。
「……誰からお聞きになったんですか? その、事件のこと」
坂本と名乗った女性は、警察手帳を開いたオレにたずねる。
「それは守秘義務がありますので、お答えできません」
実際守秘義務は本当にあるのだが、もし言えたとしてもさすがに『お宅の飼い猫から聞きました』とは口が裂けても言えない。警察官を通り過ぎて完全に電波だ。
「坂本さん、どなたからか借金をしていた、なんてことはありませんか?」
「どうしてそれを!」
「借金のかたに、宝石を奪われたのでは?」
「はい……」
坂本さんは「お茶を淹れますので」と今度は部屋に案内する。これは思わぬ事件に発展しそうだ。靴を脱ぐと、スリッパに履き替えて彼女についていく。
室内に入ったオレは驚いて口を開けた。家具がひとつもない。あるのは、古びた小さいテーブルとイスが二脚だけ。淹れてもらった紅茶も、安いティーバッグのやつ。砂糖もミルクも勧められなかったということは、買い置きがないのだろう。
「借金は確かにありました」
坂本さんはミケさんをひざに乗せ、ぽつりぽつりと話し出した。オレはその話を詳細にメモする。
どうやら坂本さんの旦那さんは、二か月前に亡くなったらしい。亡くなったのは二か月前だが、もう何年も昔からがんで治療をしていた。生前に給付された保険金は、治療費であっさりと消えた。旦那さんが亡くなったあとに残ったのは、借金だけだった。
「昨日、金倉という男が部下を連れてうちに来たんです。そのとき、宝石や換金できるものはすべて持っていきました」
がっくりとうなだれる坂本さんに、オレは強い口調で言った。
「これは違法取り立てと言って、犯罪になる事案です。他には……そうだ、証拠。相手についての情報で、何か残っているものはありますか?」
「それが何も……。いきなり家に来て、大人数で家具や貴金属を持って行ってしまったので」
メールもなし、電話の履歴もなし。嫌がらせもなし。あるのは事実だけか。これは難しい捜査になりそうだな。証拠を押さえるか、現行犯逮捕しかない。奪われた宝石や、家具の種類を一通り確認すると、オレは頭を抱えた。
「うーん……」
「ちょっと! 何とかできないの?」
「無茶言わないでください。警察にもできることとできないことがあるんだから」
「え?」
「い、いや、なんでも」
苦笑いすると、ミケさんが眉間にしわを寄せる。怒らないでくれよ。キミの声は飼い主には聞こえてないんだよ。
「とりあえず、この辺はできるかぎり重点的にパトロールすることにします」
「いえ、その必要はありません」
「でも、また被害に合ってしまう可能性も……」
「いいんです。金倉には逆らえませんから」
オレが何を言っても坂本さんは聞いてくれそうもない。ミケさんは渋い顔をするだけ。手の打ちようがなく、オレは仕方なく署の生活安全課の連絡先を置いて家を出た。
「これで捜査は終わり? 警察だったらどうにかしてよ!」
家の前の壁に登ったミケさんが、不愉快そうに言う。オレだってどうにかしたいところだけど……。
「聞きこみはしてみますよ。また進展がありましたら、お伝えします」
「フン、わかったわよ」
ツンとそっぽを向くと行ってしまった。猫は本当に気まぐれだな。
止めていた自転車のスタンドを蹴ると、またがる。下り道は楽勝だ。まだ日差しは強いし、高須警部たちからも特に連絡はない。オレは街のことなら何でも知っている街のボスに会いに行くことにした。
「黒部さん、今日も暑いですね」
「ああ、北川巡査。お疲れ様。どうかしたのか?」
オレに気づいた黒部さんが、のんびりと歩いてくる。それを見たおじいさんも、こちらに来た。
「おや、おまわりさん。今日もボスと遊びに?」
「ええ、まあ」
三代目黒部ボス。『ボス』は名前だが、この街の情報を握っているのも彼だから、その名に偽りはない。『三代目』というのは、黒部さんの家で飼われる犬は、代々同じ名前を襲名するから。この『ボス』は、三匹目なのだ。
飼い主のおじいさん――人間の黒部さんに頭をなでられると、犬の黒部さんは嬉しそうにしっぽを振る。
「オレもなでていいですか?」
「ブルテリアは凶暴だからね。気をつけて」
頭を下げて礼をすると、そっと黒部さんの頭をなでる。すると、低くて小さい声でオレに警告した。
「あまり私を甘く見ないでくださいよ、北川巡査。あなたはまだ若造だ」
「ははっ、手厳しいな。心得てますよ」
「で? 何の情報が欲しいのかな」
手を離すと、飼い主の黒部さんはその場を笑顔で去る。今がチャンスだ。さすがに犬から情報を聞きだそうとする警官は怪しいだろう。
「この先に住んでいる金倉という男についてです。豪邸に住んでることしか知らなくて。警部からも何も聞かされていなくて……指定犯罪組織ではないはずなんですけど」
黒部さんは大きな舌を出し、ハアハア息をする。全身真っ黒。日差しを一身に集めているんだから、暑くて仕方がないはずだ。オレは気を遣い、日陰に移動する。
「金倉の家には、高飛車なチワワとポメラニアンがいたな。あいつらの評判は最悪だ。飼い主に似ているのだろう。ともかく金にものを言わせている。宝石のついた首輪や、シルバーのリードを使っていて、高級シャンプーのにおいがなんともひどい」
「なんでそんなにお金持ちなんですかね」
「金倉はこの辺では有名な地上げ屋だよ。うちの父さんも昔、畑をだまし取られそうになってね」
地上げ屋か。だとしたら、坂本さんの被害は宝石なんかじゃ済まないだろう。坂の上は高台だ。あの辺は土地が高い。借金を返済させるという名目で、家ごと土地を奪おうと考えている可能性もある。
「ご協力感謝します」
「……タダで情報を渡すとでも?」
「わかってます。いつもの、ですよね」
オレはしゃがみ込むと、黒部さんの腹に手をやる。
「わしゃわしゃわしゃわしゃ~!」
「うははっ、なかなかいいな! やっぱりお腹をなでられるのは楽しいなぁ!」
しばらく嬉しそうにしていた黒部さんだが、いつの間にかオレに腹を見せていた。いいのか? これって服従のポーズだよな……。それを見た飼い主の黒部さんが、恥ずかしそうに頭をかく。
「いやぁ、うちのボスはいつもこうなんだよ。顔は怖いのに人懐っこくてねぇ。番犬にむいてないんじゃないかって、不安でしょうがない」
「な、何おう! 父さん、私はそんなつもりじゃ……!」
「でも、おまわりさんがたまに来てくれるなら、安心ですよ」
「あ、あはは……」
「……立ち去れ、若造。父さんにこれ以上気に入られるな」
「わ、わかりましたよ、黒部さん」
なんだ、このツンデレ具合。まぁ、黒部さん(犬のほう)は『街を仕切っているボス』だからな。威厳がないとまずいのはわかる。でも、犬の本能には逆らえないのが、ちょっと笑ってしまうところだ。
「それでは、また」
「あいよ~」
黒部さんたちに挨拶すると、オレはまた自転車に乗る。一応、パトロールは終了。そういえば昼メシ、食いそびれたなぁ。ぐうぅ…‥と情けなく鳴る腹をさすりながら、東雲西交番を目指す。他に何も事件が起きてなければ仮眠を取って夜勤に備えないと。
――勤務を終えた翌日夜。日中の勤務では、車同士の接触事故があった。大きな事故ではなく、車体に傷が入った程度で安心した。それでも事故がないことに越したことはないんだけどな。
交番勤務は基本的に、事故直後の交通整理や住民のいざこざの仲裁、あとは迷惑行為などがあったときに通報を受けるくらいだ。今回の勤務では夜に酔っ払いを捕獲することもなかった。夏場はビールをがぶ飲みして帰宅するサラリーマンが路上に寝ていて、保護する仕事も多い。それがなかったということは、まずまず平和だったと言えるだろう。
本庁でベストを脱ぎ、リュックを担ぐと、またマウンテンバイクで小屋に帰る。そうだ。あの件。坂本さんの事案も調べておかないといけない。結局あれから生活安全課に通報はなかったと聞いている。だが、金倉の噂は地域の安全を考える上で、どうしても確認しておきたい。
「情報屋たちにも話を聞くか」
コンビニで買い物をすると、オレはワルが集まる路地裏に入った。ビニール袋の音を鳴らすと、やつらが近寄ってくる。
「よーよー、警察のあんちゃんじゃねぇか。いいモン持ってるみてぇだけど」
「……これ、欲しいか?」
「『欲しいかどうか』じゃねぇよ。置いてけって言ってんだ!」
「情報をくれればね」
もともとこんなもの、自分のために買うわけがない。彼らを引き寄せるために買ったんだ。情報料としてね。
オレとチンピラたちがにらみ合っていると、キャピキャピした声が聞こえた。
「旭じゃん! 今日、あんたの家行ってもいい? 泊めてよ~」
「あ、ずるい! 私も! 明日雨っぽいし~、暑くても屋根があるところに寝泊まりした~い」
「てめ、俺の女を!」
「女っていうか……ともかく今、うちには泊められないかな。ひとりOKすると、みんな来ちゃうから」
「え~、ざんね~ん」
オレは頬をかいた。女の子は女の子なんだけど、どちらかというと『メス』? 大勢の猫たちに囲まれたオレは、コンビニの袋から猫缶を出す。缶を開けるカチッという音がすると、今まで隠れていたやつらも顔を出す。
「おお、ブツを出したな!」
さっそく飛びついてきたオス猫の前から、猫缶を取り上げる。タダではあげられない。
「情報」
「……何が知りてぇんだ?」
「オレのパトロール範囲内に大きな家があるだろ? 金倉っていう。あそこの家主について、なんでもいいから教えてくれ」
猫たちは次々にしゃべりだす。普段はツンケンしてたり、気まぐれだったりするくせに、餌を目の前にしたときは饒舌になる。
金倉が地上げ屋ということは、黒部さんからも聞いていた。だが、猫の情報網はさらに精密だ。山のような情報の中から、ひとつ重要なものをピックアップする。金倉の池の鯉を狙っていた猫が、決定的な話を聞いていた。
「俺が聞いたのは、きらきら光る石の取引についてだ。金倉はたくさん石を持っているが、それを毎週金曜日の夜に家で換金しているんだと。スーツの男がカバンいっぱいの紙を持ってくる」
紙……札束か。坂本さんが宝石を奪われたのは一昨日。ということは、金曜日……今晩換金される可能性が高い。坂本さんの取られた宝石と、金倉が持っている宝石が合致すれば、証拠になる。現行犯にはならないが逮捕できる。オレにはその『特権』があるのだから。
「……今夜の二時だな。みんな、協力感謝するよ。さ、好きなだけ食べてくれ!」
「おおっ!」
オレは手帳に聞きだした時間をメモすると、猫たちが食べ漁った後始末をしてから、その場を去った。
銭湯に寄ってから家に帰ると、相変らずの蒸し風呂状態だった。縁側の窓を全開にすると、ようやく少し夜風が入ってくる。しばらくそこでぼーっとしていたら、おばちゃんの家から人影が見えた。あのポニーテールはつみきちゃんだ。
「旭く~ん、スイカあるよ~! 食べる~?」
「うん、もらうよ!」
パタパタとサンダルの音がする。つみきちゃんは大きなお盆に半月に切ったスイカを四つ、持ってきてくれた。
「これもうちの庭でとれたやつだって。スイカ畑があるなんて、気づいてた?」
「オレも知らなかった。おばちゃん、毎日何かしら土いじりしてるけど、まさかスイカまで作るとはなぁ」
シャリシャリスイカを食べながら、つみきちゃんとたわいもない話をする。彼女は高校二年生だっけ。本来ならオレといっこ違いなんだよなぁ……。
「高校生活、楽しい?」
「うん、それなりかなぁ。旭くんは仕事、大変でしょう? 暑いのに毎日パトロールなんて」
「夏や冬は確かにキツいけど、街の人と話したりするのは楽しいよ。それに……」
「それに?」
「なんでもない」
つい口をついて出そうになった言葉を飲み込む。オレの存在は警察の中では特殊なもの。ただの巡査じゃない。オレの正体は……。
スイカを食べ終えて、つみきちゃんにおやすみの挨拶をして別れると、部屋の奥に飾ってあった白い特別な制服に触れる。
「二時か……」
時計はシンシンと針を進める。オレは濡れたタオルで身体を清めると、白制服に着替え、刀を腰に下げた。
深夜二時。金倉邸には黒塗りのベンツが数台か止まっている。やはり今夜、取引が行われる。猫たちの情報は間違っていなかったようだ。
車から男たちが下りると、後ろのドアを開ける。そこから出てきた人物の顔は確認できない。
池に架かる橋を渡って来た金倉が、アタッシュケースに入った宝石を見せる。双眼鏡を使い、よく観察する。ケースの中にあるのはダイヤ、ルビー、サファイア他数点。坂本さんから奪われたものと一致する。よし、証拠は現場にある。踏み込める。
「金倉米蔵! 警察だ! 罪状、違法取立。通常逮捕に踏み切る!」
「は? な、何を……。違法取り立て? 何のことだ。それに貴様、警察ではないだろう。そんな白い制服、知らんぞ!」
「オレは一般の警察官ではない。特殊能力捜査官――通称『白波(しらなみ)』の北川旭だ! 動物たちの証言・目撃情報から、お前を逮捕する!」
「と、特殊能力捜査官……?」
「金倉、私は失礼するぞ!」
ちっ、取引相手は白波を知っているみたいだな。逃したか。仕方がない。オレが白波の特権で取った逮捕状だと、取引相手までは逮捕に踏み切れない。
何が起こったのかわからないといった表情の金倉を守るように、スーツのボディーガードたちが立ち塞がる。 胸から拳銃を取り出すか? そうだとしたら、銃刀法違反で現行犯。一網打尽にしてやる。オレは息を一度吐くと、腰にある真剣を容赦なく鞘から抜いた。
「…………」
舌なめずりをすると、ボディーガードたちは勝手に背中を向けて逃げた。……なんだ、ずいぶんとあっけないな。ここまで脅すことはなかったか。
刀をしまうと、へたりこんでいた金倉に権利について一方的に説明し、手錠をかける。二時二十三分、通常逮捕。
署から借りていた覆面パトカーに金倉を乗せると、留置所まで深夜のドライブの始まりだ。
このときオレは知らなかった。逃がした魚の大きさを。金倉を逮捕できたことが嬉しくて、上機嫌になっていたのだ。
すべてはあとの祭り。金倉の事件が新たな事件を誘発するなんて、思いも寄らなかったんだ――。
「『白波』の北川旭……か」
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