等活地獄 2

 蒸気機関の駆動音が響く中、シルクの薄衣よりも薄そうな、かすかに粉っぽいような、それほどに透明度の高い白い肌の少女が目を覚ます。

 長い黒髪が肩から滑り落ち、彼女は輝きを失った漆黒の瞳で窓の外を覗いた。其処には一面の黒い大海が広がっていて、空は夕焼けと呼ぶには仄暗い朱色をしている。

 さしもの少女にも、此処が奇妙な場所であることは察しが付いた。そして自身が、どうやら機関車のようなものに乗っていることにも。


 吊り革。ソファ。車窓。列車を構成する、少女も生前に随分と見慣れたそれらの要素。一見するとありふれた造りでありながら、しかし、その列車からは同時に黒い大海の上を線路も無しに突き進む明確な異常性もまた見て取れた。


 少女の眼前、四つある車窓には――灰色の砂漠、がらくたの山、雪の降り積もる街並み、そして血塗れの一室に飾られた拷問器具の数々――それぞれの窓が別々の景色を映し出している。

 どう見積もったところでそれは現実にはおよそありえない光景だったのだが――しかし少女はそれを前にして、取り乱すどころか安堵の表情を浮かべていた。

 

 そう、此処が念願の地獄であれば、この程度のことなど起きて然るべきであろうと。ただただ、少女は目の前の事象を現実として素直に認めていたのである。

 異常性と言うのなら、その場で最も異常で在ったのは、もしかすると少女の方なのかもしれなかった。



「地獄へようこそ!」



 そんな彼女の期待に答えるように、それは不意に降ってくる。


 鈴を鳴らしたような小気味の良い音が鳴り響いた。それは少女の頭上、列車の駅名を示す案内板の文字がくるくると回転し始めた頃を見計らったように――その姿を現したのである。



「やあやあ、はじめまして! ボクは『ロア』! キミの旅路をサポートするよ!」



 七色の布が幾重にも重ねられた分厚い虹色のフレアスカート、幾何学のまだら模様浮かぶパーティースーツ、白塗りの顔を左半分覆い隠す黒仮面、束感のある白髪、頭上には先が黒と白の二又に分かれた道化の帽子。

 そんなあからさまに怪しい、彼――もしくは、彼女。性別不詳、正体不明の、中性的な顔立ちの何者かが、少女の頭上、ぷかぷかと宙に浮かんでいるのだった。


「自分でも解ってると思うけど、キミは死んだ。死んでこの地獄に来た。今のキミは『異能』と呼ばれるチカラを身に付けた、ヒトならざる不死身の『怪異』なのさ。人間じゃなくなった気分はどうだい?」


 ロア。そう名乗る彼もしくは彼女、くるくるり宙を舞いながら。宝石飾るネイルで彩られた両手、ひらひらり上下へ漂わせながら。笑い疲れて罅の割れた道化の白い頬、余計にぐしゃりと歪ませながら――その金色の瞳で少女を見下ろしながら、歌うように言葉を紡ぐ。


 その明らかに異様な光景を目の当たりにして、しかし地獄に落ちて間もないはずの少女は、意にも介さない。


「地獄……そう。地獄に、来れたのね……よかった」 


 それどころか安堵した様子の少女に、ロアは大袈裟に首を傾げてみせる。まるで自分自身のことなど棚に上げて、奇妙なものを眺めるように。


「では……このままこれに乗っていたら、着くんですね。地獄に」


「ん? ああ――その通り! ただし、この便の終点はまで。降りた先で、それより先に進むには――」


「あのっ!」


 ロアの言葉を遮ったその声は凛然としていて、けれどもそれでいてどこか迷子の子供のような、期待と不安が混ざったような色をしていた。


「人を、探してるんです」


 ロアはまるで少女がそう言うのを待ってましたと言わんばかりに頷いて、愉しげに笑ってみせたのだった。


「ああ、! その為にわざわざこんな処にまでやってきたんだろう、キミ。いや凄いね。根性あるね。でも残念! ボクはキミの探し人のことなんてこれっぽっちも知らないよ。ごめんね!」


「……そう、ですか」


 悪びれた様子もなく答えるロア。その巫山戯きった調子に、恐らくこれ以上は聴いても不毛であろうと判断した少女はそれ以上の言葉を飲み込んだ。


「でもこの広い地獄でヒト探しだなんて大変だね。骨が折れそうだ。何か手掛かりでもあれば別だけど――」


 そこまで言って唐突に、ロアは口の動きを止める。目は見開き、口は大きく開けて――そして、ぽん、と。自分の握り拳を掌の上に乗せるような仕草をしてみせて、再び声を上げたのだった。


「ああ! ひょっとすると、もしかして――『幻葬王げんそうおう』なら、何か知ってるかもしれないね!」


「……げんそう、おう?」


 耳なじみのない言葉に、少女はゆっくりとロアの言葉をオウム返しする。それを受けたロアの口の形が、唇の端を思い切り吊り上げたものへと変わっていった。


「さあさあ、ここからが本題だ! キミはこんな噂を知ってるかい?」


 依然、宙に浮いたまま。その場でくるりと一回転。虹色のフレアスカートはためかせて。黒い仮面に赤い空の色が反射する。


「この地獄を統べる怪異の王、悪魔の如き幻葬王。。誰にも知られちゃいけないから、内緒にしないといけないから、幻葬王は他人と関わろうとしないんだ。もしも幻葬王の秘密を暴こうだなんてしたら……最期!」


 瞬きの刹那、不意にロアは姿を晦ました。直後、気付けば少女の耳元へ。黒い唇をそっと近付ける。


「死ぬよりも恐ろしい目に遭う……って話さ!」


 死人のように冷たい吐息が耳にかかる。思わず身を捩った少女の傍にはもう既に道化の姿は無く、頭上にぷかぷかとそれは浮かんでいた。

 果たしてどういう原理なのか、宙を自由に舞う道化の様子を、少女は訝しげに目で追う。


「ひみつ。ヒミツ。誰にも言えない秘密。幻葬王は一体何を隠しているのかな? 恥ずかしい過去? 財宝の在処? この世界の真実? それとも――


 それはまるで、何かを暗示しているかのような口ぶりで。


「何せボクたち『怪異』の王様だからね。何を知っていてもおかしくないし、何を持っていてもおかしくない。この広い地獄で、たったひとり。彼だけが知っている真実……なんてものも……あるのかもしれないね?」


「……それ、って」


 途端、それまで表情の乏しかった少女の顔に、明確な感情が表れていた。


「知っている、ということですか。幻葬王なら、『あの人』の居場所を――!」


 ロアが悪戯っぽく微笑んだ瞬間、列車が大きな音をたてながら、速度をゆっくりと落とし始めた。無機質な声が、車内に響き渡る。


『次は……終点……等活地獄……です……』


「ああもうこんな時間! さあさあ話はここまで! 往くといい、みんなが君のことを待っている! 大丈夫、みんなとってもいいヒト達だから、キミもきっとすぐ打ち解けられるはずさ!」


 蒸気を吐き出す音と同時、列車はゆっくりと止まり、けたたましい音と共に自動ドアが開かれた。




「ようこそ等活地獄へ! 歓迎しよう! 黄昏愛!」




 少女はロアに促されるままに外へ出る。プラットホームを形作るレンガのような材質の足場は古く、少女の履くローファーの踵でさえ、削ろうと思えば削れそうなほどだった。

 列車が停まったということは、ここは駅の役割を果たしているのだろうと少女にも推測は出来たが、そこは無人であるどころか改札すらない。

 そこはまるで人を降ろす為だけの場所として、足場だけが辛うじて整えられているようだった。


 少女の背後で列車のドアが閉じていく。ノイズ混じりの発車メロディが周囲に響き、手形のような黒いしみがびっしり付いたその列車は外に少女を残して、来た道を戻っていった。


「此処に……『あの人』が……」


 そっと呟いた彼女の頬は、満開の桜のように色づき、吐息が蜂蜜のように甘い音と共に吐き出される。

 嗚呼、『あの人』の言うことはやはり正しかったのだと。潤んだ瞳を胸元のペンダントへと向け、そっと瞼を閉じる。

 期待と希望に胸を膨らませ、新たな世界、その第一歩を踏み出そうとして――



……」



 そこで少女は、ようやく、周囲に漂う血腥い臭いに気が付いたのだった。


 ぼそりと、確かに聞こえたその声に、少女は咄嗟に顔を上げる。気付けば少女の周囲は、見知らぬ人の群れによって取り囲まれていた。

 数にして十か二十、いやもっといるかもしれない。男もいれば女もいる。老人もいれば子どももいた。誰も彼もがやせ細り、しかし、その目だけは欲望にぎらぎらと輝いている。


「……あの、すみません。人を、探しているのですが――」


 それを前にして少女は、おもむろにペンダントの先端、球状をした装飾の鍵を外し、中にある『あの人』の写真を開けてみせた。

 周りを取り囲まれているというのに、慌てるそぶりさえ見せず、その写真がよく見えるようにペンダントを手のひらの上に乗せながら周囲に問いかける。


「……はぁ? 知らねーよ……ンなことより、今すぐ着てるもん全部脱ぎな」


 しかし少女の掲げるペンダントを無視してそう返すのは、群れの先頭にいる薄汚れた男だった。

 その容姿は一般的な中年男性のそれと大きく掛け離れたものではない――


 よく見るとその群れは、どれもこれもヒトのようでいながら純粋なヒトの容貌をしてはいなかった。

 手が捻じ曲がり、触手のようになっている者。眼が四つある者。羽が生えている者。尻尾が生えている者。


 それもそのはず。地獄に在る者はヒトに非ず、地獄に堕ちた影響で特異な能力・体質を獲得した『怪異』なのである。


。それが此処のルールだ」


 物々しい雰囲気の彼らを前に、どうやらヒト探しを続ける状況ではないことをようやく悟った少女は、ひとりそっと溜め息を落とした。改めて辺りを見回す少女の眼に、それまでの穏やかさはない。


 それはぎらぎらと、太陽のように黒く、輝いて――



「……まだ、理解が追い付いていない部分もありますが」



 否。この時、黄昏愛は理解出来ていた。頭ではなく身体で。情報ではなく感覚で。

 地獄に堕ちた今の自分はもう、生前かつての自分では無いことを。



「あなた達が、私の邪魔をすると言うのなら――」



 ――何故なら彼女もまた、今日この時から地獄に堕ちた『怪異』の一員なのだから。



「皆殺し、ますね」



 それが、一週間前の光景シーン

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