魂の引越し編 5

 やっちまったぁ……。


 俺はなんてことをしてしまったんだぁ……。


「あー……うー……」


 俺は屋敷の2階に与えられた自室で、窓の外を眺めていた。

 日が暮れて数時間。夜の帳が屋敷の周りを深く包み、しかしながら満月の明りがやたらと眩しい。


 この世界には時計が無いので正確な時刻はわからない。

 けどあのおぞましい儀式からすでに6時間はたっていると思う。

 とはいえ、その程度の時間で俺の心が癒えるわけがない。


 人を殺した。

 生まれて初めて人を殺した。


 その事実は時間がたつごとに俺の心に重くのしかかってくる。

 血を得た時の満足感と高揚感は徐々に収まってきているが、むしろそのせいで罪の意識が鮮明になっている感じだ。


「……うーあぁ……」


 部屋で一人頭を抱えても、このとてつもない負の感情に対してはなんの効果もない。

 自分がヴァンパイアであることはもちろん、ヴァンパイアという種族そのものがとても憎く、そのヴァンパイアが住むこの屋敷や、その他のヴァンパイアも数多く生息するこの国――さらには魔族そのものすらも憎い。

 もう、何もかもが憎い。


 いや、今になって気付いた。

 ここ数日はなんとなく過ごしてきたけど、自分以外の全員が違う価値観を持っているという現実を突きつけられて、やっとわかった。


 俺はなぜこの世界にいるのだろう。

 この世界は何なのか。死んだはずの俺がなぜこの世界にヴァンパイアとして生まれ変わったのか。


 そんな疑問が湧くこの状況は決して楽観できるものではなく、俺にとってとてつもなく厳しい状況だということに。


 気付くの遅すぎなんだけどな。

 アルメさんとも仲良くなったし、親父やお袋だって仲のいい夫婦って感じだし。

 平和な日常が俺を包んでいたから、異常事態に気付くのが遅くなるのも無理はなかったんだ。


 でもそのことに後悔している場合じゃない。

 殺人。人殺し。

 かつて人間であった俺はこっちの件についてもっと後悔するべきなんだ。


「うー……」


 出窓の枠にもたれかかりながら、俺はまたまた低い声で唸る。

 窓の向こうには、昼間に丘の上から眺めていた首都へ続く道が見えた。

 日が落ちてからも、通行人の足元を照らすたいまつの明かりが途切れることはない。

 首都へ向かう者。首都から地方へ行く者。

 それぞれ色んな事情や用事を抱えながら足を進めているのだろう。


 でも、あいつらも全員魔族だ。

 中には人間もいるんだろうけど、そのほとんどが奴隷だ。

 “人権”や、人間が有するその他権利について、日本の東京に住んでいた俺と価値観を同じくする者なんて誰一人としていない。

 あぁ……そう考えたら、なおさら凹んできた。


 俺は窓の外を眺めるのを止め、ベッドの上で横になることにした。

 一晩寝ればこの気分もいくらか楽になるだろうとの思いもあったが、ここで部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。


「タカーシ様?」


 アルメさんだ。

 あの儀式以来、自室にこもっていた俺。

 2、3時間前にアルメさんが夕食が出来たと報告しに来たけど、その時以来の来室だ。

 もちろん今宵の俺は食欲もないので、その誘いを断っている。


 生贄となった人間の亡骸を手に抱きながら、即座に号泣した俺だ。

 アルメさん含め俺の両親や他の使用人さんたちもそんな俺の異変には気付いてくれていたので、部屋にこもった俺のことを無理矢理連れ出そうとはしなかった。

 でも今になってまたアルメさんが来た。

 俺としてはもう少し放っておいて欲しいけど、来てしまったものは仕方ない。

 とりあえず部屋に入ってもらうとして、今度はなんの用だ?


「どうぞ」


 俺が答えると、アルメさんが静かに部屋に入ってきた。

 服はメイド姿。布で胸部を膨らませ、偽りの魅力を放っている。


「……明りもつけないで……」


 部屋に入るなり、アルメさんが呆れた様子で言った。

 そして壁に掛けられたろうそく立てに右の肉球を近づける。

 アルメさんがぼそぼそと何かをつぶやくと、ろうそくに火が灯った。


 これはこの世界で日常的に使われている魔法の一種だ。

 体に備わる魔力を使うことで、様々な効果を生む魔法を発動させることが出来るらしい。

 俺から見れば、立派な超常現象だ。

 もちろん驚くべきだし、魔法の仕組みや種類についても非常に興味がある。


 でも今はダメだ。

 アルメさんがかっこいい火の魔法を使ったけど、それに心をときめかせる余裕なんてないんだ。


「ご気分はどうですか?」

「まだ全然……」

「そうですか。それじゃ食欲もまだ戻りませんか?」

「はい。食べ物見たら、多分吐く……と思います」


 ちなみに俺たちヴァンパイアも日常的に食事をとる。

 これは魔力の補充と違い、身体機能の維持と成長のためだ。

 俺の体は卵から飛び出した時点ですでに小学生並みの体になっていたけど、ここ数日で更に成長している。

 まぁ、小学1年生が2年生になったぐらいなんだけどな。


 例によってアルメさんから聞いた話によると、この世界の生物のほとんどは寿命に対して幼年期と少年期が非常に短く、青年期と壮年期が長いらしい。

 そして老年期は短い、と。

 人間の100倍近い寿命を誇るヴァンパイアでありながら、俺の体がすでに小学生レベルまで成長している理由だ。


 前の世界でも、野生動物とかはそういう成長の仕方をしていると聞いたことがある。

 なるべく早く成長し、身体能力の高い期間が長く続くように。

 自然界で生きていくためにはそういう進化が必要らしいけど、多分それと同じだな。

 この世界ともなれば、太古の昔から数々の魔族がさらに激しい生存競争を繰り広げたのだろうし、寿命の長さ・成長速度の速さともに納得だ。


 でもこの世界における人間の成長速度は、俺が元いた世界と同じ感じらしい。

 医療が発達していないため、平均寿命がおよそ60。

 10代の後半まで成長を続け、30代から身体能力の低下がゆっくりと始まる。

 俺としては普通のことだけど、アルメさん曰く、そんな人間はこの世界では異質な存在とのことだ。


 あと今の俺は精神的ショックによって食欲を失っているけど、人間の生き血から得た魔力は体から溢れんばかりに充満している。

 悲しいことにこれも俺がヴァンパイアであるという事実を示しており、体だけは快調だ。


 魔力が俺の体を温かく包んでいるというか、体内に充満した魔力が抑えきれずに垂れ流しているというか。

 そんな不思議な感覚だけど、力がみなぎっている感じだ。


 んで話は戻るけど、そんな俺の体の快調具合を全て打ち消す負の感情はやはり並大抵のものではない。

 アルメさんの入室とほぼ時を同じくして、ベッドの上で横になっていた俺。

 アルメさんはそんな俺の横たわるベッドに座ったけど、正直儀式の時のアルメさんも俺の“敵”側にいたので、今はあまり話したくない。

 もちろんベッドに座ったアルメさんに興奮したりもしない。


 それと絶対に聞きたくないんだけど、今のアルメさんすげぇ生臭いんだ。

 アルメさんも夕食を食べ終わったんだろうけど、一体何の肉を食べたんだか……。


「あなたは不思議な子ですね」


 ベッドの上でぐったりとする俺に向かって、アルメさんが静かな口調で言った。


「ヴァンパイアでありながら、人間ごときに情を移すなんて」


 ご、ごめんなさい。

 俺、つい最近まで人間だったんだ。

 それ言ったらこの屋敷中に動揺が走るだろうから、絶対に言えないけど。


 なんだったら今日の儀式で確信がいった。

 人間が奴隷だって聞いた時点でうすうす気付いていたけど、この国で「俺の心は人間だ」なんて言おうものなら、間違いなく異端者にされる。

 異端者扱いされて、異端者審問にかけられて、異端者として処刑される。

 そんな結末も十分あり得る。

 そういう国なんだ。

 今実際にその件で悩んでいる真っ最中だけど、その悩みを口にするのは非常に危険だ。


「はぁ。そんなに変ですか?」

「えぇ。卵から出てくる時の様子も他のヴァンパイアと違いましたし、ここ数日のあなたは生まれたばかりの子供とは考えられないほどに、行動の1つ1つが大人びていました」

「へぇ……生まれたばかりの子供がする普通の行動とは?」

「野山を探検したり、近所の子供と遊んだり。この屋敷は周囲から孤立しておりますから、友人を探し求めるためには街まで行かないといけませんけどね」


 アルメさん、それもごめんなさい。

 俺、そういうのは子供の頃にさんざんやったんだ。

 俺の生まれは秋田だからな。

 いい歳して――いや、外見的には適正年齢だけど、さすがにそんなことに心ときめかせる精神年齢じゃねぇよ。


「もしタカーシ様がお望みなら、近くの街に連れて行ってあげても構わないと思っておりました。それなのに、あなた様は屋敷の中や近くの森を、まるで何かを調査するように静かに歩き回りましたよね?」


 どきっ!


「その間、私にいろいろとお聞きになりましたけど、それも何かを確かめるように……そういう意図が感じられました」


 どきっ!


「そう。自分の価値観とこの世界を比べ、その違いを確かめるように……」


 どっき!


 おい! ちょっと待て!

 もしかしてこれ、俺の秘密アルメさんにバレていねぇかっ!?

 アルメさんの言葉、そんな感じなんだけどォ!


「まるで生まれた時点で、別の価値観をすでに持っていたかのように……」


 おいおいおいおいぃ!


「それぐらいに思慮深く、明晰なお子様だと思います。ヨール家に仕える私としても非常に誇らしい。あなたの将来が楽しみでなりません」


 あっ、これ気付いてねぇわ。

 ふーう。ビックリしたァ。

 ビックリしすぎて心臓ドキドキしたら、ちょっとテンション上がってきた!


「お、お褒めの言葉……ありがとうございます」


 じゃあ、ついでにあの儀式についてアルメさんと解決策を模索してみよう。

 俺が人殺しをしなくていいような策を考えるんだ。


「でも、人間はやはり殺さないといけないのでしょうか?」


 と思ったけど、俺のこの一言。アルメさんの触れちゃいけない過去を刺激しちゃったっぽいわ!


「当然です! 人間ごときになんの優しさが必要でしょうか!

 あんな種族、ヴァンパイアが生き血を必要としなかったら、この世界から消し去ってやりたいぐらいです!」


「え? えェ!?」


「私の種族は元々、西の国と中央山脈の間に広がる森に住んでおりました! その森に侵入してきたのが人間たちです!

 木々を焼き、我々の領土を奪ったばかりか、人間たちはそこに住んでいた獣人を攫ったのです! 衣服のために毛皮を剥ぎ、武器を造るために牙や爪を剥ぎ、魔力を得るために内臓を喰ろうた!

 我が種族も襲われ、生き残った者は少数。族長たる我が父上の骸が無残に切り刻まれる光景を森の中から見つめることしかできなかったあの時の悔しさ! そして絶望感!

 それを心に抱きながら、必死にこの国まで逃げてきたのです!」


 重い! 重すぎるわ!

 アルメさん、その若さでどんだけ辛い経験してんねん!

 いや、若くないけども! 240歳だから全然若くないけども!


 あと、そだな。

 1つ興味深い話を聞いたぞ。


「アルメさん?」

「はい?」

「アルメさんって、族長の娘さんだったんですか? オオカミ族の?」

「はい。森に広がる数々の獣人族。その中で、父上はオオカミ族を仕切る長でした」


 だからか。

 雇い主の息子である俺に対し、さも当然のように蹴りを入れてくるアルメさん。

 もしかするとこの世界ではそれが普通なのかもしれないけど、根っからの奴隷根性が染みついているという感じじゃない。

 息子である俺の教育係まで任せているし、親父やお袋もアルメさんには一目置いている雰囲気がある。


 一方で、日向ぼっこしていた時のアルメさんのおっとりとした言動もどことなくお嬢様っぽかった。

 かといって決してプライドが低いわけではない。

 獣人族の社会がどういう感じなのかわからないけど、アルメさんは“ちょっといいところお嬢さん”的な生まれの獣人だったんだろう。


 それと――


「おいしょ」


 俺は小さな掛け声とともに起き上る。

 おそらくは俺のことを元気づけようとこの部屋に来たアルメさん。

 予期せぬ激怒によって、俺はむしろちょっと怯えているけど、後悔の感情が少し和らいだのも事実だ。


 もちろんアルメさんの身の上話に同情したわけではなく、人間に対する見方が変わったわけでもない。

 俺は人間だ。

 その認識は意地でも心に持たなくてはいけない。


 それにこの世界はどう考えても弱肉強食の世界だ。

 そこには一定のルールもあるだろうし、魔族同士が創り上げる社会もある程度成熟していると見ていい。

 でも俺がかつて生きていた世界から比べれば、明らかに“力”が物を言う世界であることに間違いはない。


 人間と獣人族の間に何があったにせよ、アルメさんが人間をどんなに怨んでいたにせよ、それがこの世界だ。

 アルメさんには絶対言えないけど、人間に攻め込まれるのが嫌ならそれ以上の戦力を持つべきであって、その努力をしなかった方が悪いんだ。

 だからアルメさんの過去には同情しない。


 でも、例え相談の受け方が下手でも、俺のことを心配して部屋に来てくれたアルメさんの気持ちは嬉しい。

 この世界において孤立無縁な俺。

 というさっきまでの嫌な感情が、アルメさんの登場でいくらか和らいだ。

 少なくとも俺にはアルメさんがいる。

 そんな嬉しい気持ちだ。


 じゃあ、そんな俺の気持ちをアルメさんにもお返ししなきゃな。

 とりあえずお腹わしゃわしゃの刑だ。


「アルメさん?」

「はい?」

「あおむけになって寝てください」

「え? またですか……?」


 そう言いつつも、アルメさんは俺の指示通り、素直にあおむけに寝てくれた。

 アルメさん、ちょっと嫌がっている素振りを見せたけど、このやりとりは昨日すでにやってるから俺には分かる。

 アルメさんもお腹をわしゃわしゃされると気持ちいいっぽい。


「じゃ始めますよ?」

「はい」


 アルメさんが小さく返事をしたのを確認し、俺はアルメさんのメイド服の隙間に手を入れ、腹をわしゃわしゃと撫でまわす。

 傍から見たら完全な変態だけど、飼い犬に向けるただの愛情表現だからな。

 アルメさんも尻尾をぱたぱたしてるし、お腹の体毛が柔らかくて俺も満足だし。

 双方にとって得のある行為なんだ。


 思えば日本に住む犬派のうち、どれだけ多くの人間がこの状況を夢見たことだろう。

 話す犬――アルメさんはオオカミだけどそんな細かいことはいいとして、自分の飼っている犬と会話による意思の疎通ができるということは犬派の人間にとってどれほど幸せなことだろうか。


 そう考えると、この世界の悪くはない。


 とか言っちゃうと、なんかこの世界には他にろくな魅力がないように聞こえちゃうけど、俺がこの世界に感じる魅力は今のところアルメさんの腹を撫でまわすこの行為だけだ。


 それもそれで悲しい気もするけど――よし! だいぶ気分がよくなってきた!

 よくなってきたから、ちょっとお願い事をしてみよう。


「アルメさん?」

「ふぁ……はぁーいぃ?」


 おい、寝るなよ!

 リラックスしすぎだろ! いや、させてんの俺だけど!

 俺、こっから大事な話すんだよ!


「起きてください。でないと、肉球触りますよ?」

「きゃ! いや!」


 あっ、起きた。

 ふっふっふ。今日の昼に、すでに触ってるけどな。


「嘘です」

「嘘に聞こえません! なんということを……」


 嘘だしな!

 じゃなくて。

 アルメさんといちゃいちゃするつもりはないんだ。


「僕、首都に行ってみたいです。街を見てみたい。連れて行ってくれませんか?」

「え? あ……え……? そ、それは“デート”ですか?」


 なんでやねん! お前、俺の教育係ちゃうんか!?

 その教え子が街を見てみたいって言ってんのに、なんで“社会勉強”って考えねぇんだよ!


「首都に行って、この国をもっと知りたいのです」


 次の日、俺とアルメさんは首都に出かけることになった。


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