魂の引越し編 3

 決定した。

 俺はヴァンパイアだ。

 暗い地下室で生まれてから今日で3日目。色々と調べ、そしてここでの生活を体感することで、このような結論に至った。



 まずは俺の外見について。

 昨日鏡で見たけど、俺の瞳もほのかに赤く光っていた。耳もわずかにとんがっていた。

 髪は日本にいた時から黒かったので大きな変化とは言えないけど、顔立ちも全然違うものになっていた。

 そして他の歯に比べ犬歯も若干長い気がする。

 牙は血を吸ったりする時――つまり獲物を目の前に興奮した時だけ更に鋭く伸びるようになっているらしいけど、心が落ち着いている状態でも若干長い。



 これだけ条件がそろえば、俺がヴァンパイアであることに間違いはないだろう。

 しかも一昨日アルメさんに蹴りを受けた時も、ヴァンパイアの条件を満たす現象が起きていた。


 壁を突き破り、直射日光の下にさらされた俺の体。

 皮膚が焼けるような熱さを感じ、というか皮膚が実際に火傷のような状態になったんだ。

 日光にもがき苦しむ俺を笑っていた親父やお袋には殺意を覚えたけど、これはヴァンパイアが日光に弱いという事実を示している。


 とはいえ俺たちヴァンパイアが日光の下で活動するのは不可能ではないらしい。

 聞くところによると、生まれてから2、3日たてば体に魔力が満ち、その魔力が直射日光から身を守ってくれるとのことだ。

 魔力については後で説明するとして、つまりヴァンパイアは日中も太陽の下で活動できるんだ。

 俺の火傷も一晩たったら綺麗さっぱり治っていたし、今はこうして屋敷の近くにある丘でアルメさんと日向ぼっこしているし。

 色々と驚くことがいっぱいだけど、今となってはあの事件も過去の話だ。


 ちなみにあの件について、アルメさんはお咎めなしだ。

 メイドであるアルメさんが雇い主の家族にあのような行為を行ったとあらば、処罰を受けるのが普通だと思う。

 だけどあの時ばかりは例外らしい。獣人の肉球を触ろうとした俺が悪いんだとさ。

 アルメさんの処遇については俺としても文句は無いし、俺とアルメさんの間にも禍根は残っていない。


 というか一緒に日向ぼっこするぐらい仲良くなっている。

 柔らかい草に、晴れ渡る空。さっき美味しい昼食も食べたし、幸福の極みだ。


「ふぁーあぁ……いい天気ですね」

「はい。ポカポカと気持ちがいいです。タカーシ様? 日光は大丈夫ですか?」

「えぇ。もう大丈夫です。アルメさんの肉球触らせてもらえたら、なおさら大丈夫になるかも……」

「もう! からかわないでください!」


 ちなみにいちゃいちゃしているようなこの会話も、相手は獣で、声も重低音だからな。

 さらには昨日アルメさんに服脱いでもらったけど、胸のふくらみ――あれ、詐欺だったわ。

 なんでもその方が見栄えがいいという親父の言いつけで、胸に布の塊入れてたんだと。

 あとオオカミの獣人は四足歩行体勢でもスムーズな移動が出来るらしく、四足歩行中のアルメさんはまんまオオカミだ。

 今のアルメさんは日向ぼっこのためにメイド服脱いでるし、俺ら、遠くから見たら散歩中に休んでいる犬と飼い主みたいな感じだ。


 俺の知っている獣人とだいぶ違うんだけど、まぁいいか。

 さて――ここ数日、俺はアルメさんと屋敷の中や近所を徘徊しながら、色々な事を教えてもらった。


 結論から言うと、今俺がいるこの場所は地球ではない。

 地球ではないどこかの星。

 俺に天体観測の知識があったら、夜空を見ながらこの星の位置を予想できそうだけど、生まれ変わる前はそういう趣味も無かったから、この星がどこにあるかもわからない。

 でも昨日アルメさんに見せてもらったこの世界の地図は、俺がいたあの地球の地図とは全く別のものだった。


 真ん中に大きな大陸があり、それを囲むように海が広がる。

 大陸の西の方に細かい島々も記されていたけど、いたってシンプルな世界地図だ。


 そしてそんな大陸の中央には険しい山々が連なり、それを囲むように4つの国がある。



 まずは俺がいる南の国。

 ヴァンパイアを始めとする様々な魔族から成り立ち、少数の人間も奴隷として存在する。

 魔族と違い、理性や知能に乏しい生物をこの世界では魔物というらしいけど、穏やかな気候のこの国では小さめの魔物が広範囲にわたって数多く生存しているとのこと。

 そんな国だ。



 そしてこの国の西に国境を接する西の国。

 砂漠と豊饒な土地が国土を半分ずつを占め、人間が治める国だ。

 ヴァンパイアに比べ寿命が百分の一程度の人間が中心の国だけあって、政情や経済活動の浮き沈みが激しいという特徴を持っている。

 西の国では魔族の奴隷が多く、人間たちが生み出す金を狙って我が国から亡命していく者もたくさんいるらしい。

 また、人間が生まれ持つ平均的な魔力は魔族に遠く及ばないけど、強い魔力を持つ人間が突然変異的に生まれ、それらが“勇者”と呼ばれてもてはやされているとのことだ。

 我々魔族側としてはその勇者というのが軍事的になかなか厄介で、しかも年がら年中発情している種族だけあって、勇者の発生もしょっちゅうだ。


 奴隷のことといい、人間のことといい、アルメさんは人間の価値観を持っている俺とは逆の視点で説明を進めていた。

 そのせいで多少理解に苦しんだけど、それが西の国だ。



 お次は東の国。我が国の東側に位置している国だ。

 この国は豊かな自然に恵まれ、その自然の恩恵を受ける精霊や妖精の類が数多く生息している。

 そしてその類の生物を信仰する魔族や人間も多く住み、巨大な宗教国家を構成している。

 あと統制された軍事国家でもあり、その軍事力は決して無視できないとのこと。

 このへんは宗教も関係しているんだろうけど、死をも恐れぬ統率された軍隊を持っているらしい。

 我が南の国に5人いる将軍も、国境監視のために常時2人が東の国境に配備され、バレン将軍と親父も10日ほど前までそっちに行っていたとのことだ。



 そして最後は北の国。

 我が国からここに辿り着くためには、東西の他国を経由するか、大陸の中心に位置する険しい山岳地帯を抜けなければならない。

 だけど我が国は決して隣国と仲がいいというわけではなく、山岳地帯には恐ろしい神の一族がいるから、北の国に行くのは容易ではない。

 逆に向こうの情報もこちらに伝わりにくく、その詳細はわからない。

 北の寒冷な気候に耐えうる大型の魔物が住み、他の3国から追い出された犯罪者の類も多数入り込んでいるとのこと。

 一方で、魔力を必要としない不思議な道具も発明し、それを日常生活に活かしている科学的な国という未確認な情報もある。


 以上、4ヶ国+神の一族とやら。

 俺自身、スルーできない単語や状況が所々にあったけど、それらをいちいち説明していたらきりがない。

 これがこの世界だ。


 でも俺は北の国にだけ特別な感情を抱いている。

 過酷な環境にもかかわらず、科学力を発展させる国力。

 その原動力として、俺のような地球の知識を持っている者がいるのではないか。

 という小さな希望だ。


 俺は日本で生まれ育った“山田隆”だ。

 前の世界では朝から晩まで安月給で働くだけの生活だったけど、友人や家族もいるし、あの世界への想いだけは簡単には諦めきれない。


 帰りたい。

 すぐに帰るのが無理だったとしても、似た境遇の人に会って話をしたい。

 この辛い気持ちを分かち合いたい。


 そういう感情だ。

 アルメさんの説明を淡々と聞いていた俺だけど、そんな俺の小さな希望が北の国にはあるような気がする。


「今日も平和ですねェ」


 その時、アルメさんが沈黙を破るようにつぶやいた。

 でもその声はとても小さいもの。

 昼寝をしたいけど俺がいる手前それも出来ず、眠気を誤魔化すためにわざと声を出した。

 って感じだな。


 やばい。そろそろ可愛くなってきた。

 もちろん愛玩動物に向ける愛情だ。


「眠いですか? 寝てもいいですよ? 時間が来たら起こしますから」

「そうですかぁ……ふぁーあぁ……ではお言葉に甘えて……くれぐれも寝ている時に私の肉球に……」


 おい。喋りながら寝ちゃったよ。可愛すぎんだろ。

 しかもその忠告はむしろ俺に触れって言ってるようなもんじゃねぇか……?


 よし、それならば。


 ……


 ……


 俺はアルメさんが深い眠りにつくのを待って、肉球に触ることにした。

 ぷにぷにと柔らかい。

 でも意外と普通だな。普通すぎてつまんねぇ。

 そんなことを言ったら怒られそうだけど、そもそもこの行動自体が危険なものだ。

 アルメさんにバレたら蹴り殺されかねないからな。

 だから絶対黙っておくけど、肉球触りはもう飽きた。


「ふーう……」


 俺は体を起こし、丘の下を見る。

 200メートルほど離れた所に小さな道が通り、そこを様々な魔族が歩いていた。

 30センチぐらいのちっちゃい魔族から、数メートルにもなるどでかい魔族まで。

 それら魔族のほとんどは、北へと向かって歩いている。

 その先にこの国の首都があるんだ。


 南の国の首都――


 首都はここから山脈を2つ超えた所にあるらしく、ヴァンパイアである今の俺ならば、1日に軽く10往復はできる距離らしい。

 と教えてくれたアルメさんの例えはピンとこないけど、メートル法やその他の単位が使われていないこの世界ではそういう表現方法も必要だ。


 魔族が構成するこの国の首都ともなれば、様々な魔族が入り乱れる活気に満ちた街なのだろう。

 “魔族の街”というと、欲望と黒い闇が渦巻くおどろおどろしい都市を思い浮かべるけど、そんな印象もここ数日で覆された。

 俺の周りにいる魔族が明るい性格ばかりだからだ。

 ならばそんな魔族が多数いる首都も明るい街だろうし、近いうちに行ってみたいとも思う。

 人間が奴隷として働いているという情報がちょっと気になるけど、鞭を持った魔族に人間がしばかれているという光景が街中に溢れているわけでもないだろうし。


 魔族の街。どんな感じなんだろうな……?


 ちなみに魔族社会において、ヴァンパイアという種族は他の種族から一目置かれる存在らしい。

 俺自身、映画とかマンガとかでヴァンパイアが題材になった作品を何度か見たことがあるけど、なんとなく“高貴な種族”っていう印象を持っていた。

 様々な種族がひしめくこの世界においても、やはりそういう存在とのことだ。


 といっても我がヨール家はヴァンパイアの社会において、家系としてはさほど高い地位にはなく、爵位とやらも下から2番目の子爵というものらしい。

 もちろん爵位なんて俺には分からん。

 でもヴァンパイア社会にはそういう序列もあるとのことだ。


 しかしながら我がヨール家の屋敷は立派だ。

 首都からさほど遠くないこの地に地上2階建て、地下1階完備の屋敷。

 使用人の数は俺が確認できただけで、アルメさんの他に2人いる。

 産休とか、有休とか……あと獲物捕獲休暇や爬虫類用の鱗保湿休暇という訳の分からない休みを取っている者がさらに数人いるっぽいけど、一般的な日本人からすれば相当裕福だ。

 これは俺の父親であるエスパニが、バレン将軍の側近として働いているからこその生活だという。


 領土や領民というものを持ってはいないけど、バレン将軍の側近として――つまりこの国の軍部に勤める職業軍人として、親父には現金として報酬が支払われている。

 この屋敷も、そして俺が今居る丘や屋敷の裏山を含む広大な庭も、その金で買ったのだ。

 昔は首都に住んでいたことがあり、80年ほど前にここに引っ越してきたらしいけど、首都の通勤圏内としてはなかなかにいい屋敷だ。



 そして、バレン将軍について――


 聞いたところによると、バレン将軍はヴァンパイアと人間のハーフらしい。

 そのせいで苦労をしたこともあったけど、そんな苦労をしただけに部下に対してはかなり優しい人物との評判だ。

 部下である親父の息子の出産を見守るためにわざわざこんな田舎まで来るぐらいだしな。


 そしてハーフであるバレン将軍は、他のヴァンパイアに比べて群を抜く魔力量と強さを持っているとのことだ。

 親父から“何があってもあの人だけは裏切るな”との忠告を受けたけど、それはあの人の人格の素晴らしさと、敵にしてはいけない強さの両方を示唆した言葉だ。


 あっ、どうでもいいけど卵から出る前の俺、どうやら3日ぐらいあの殻の中で暴れていたらしい。

 そんでそれを親父がバレン将軍に相談し、心配したバレン将軍が家に来てたんだと。

 それぐらい異常な状況だったらしいんだ。


 卵の中で冷静に殻を破ろうとした俺の判断もヴァンパイアの本能に根付くもので、だからこそあの時の俺はあんなにも冷静でいられたんだけど、たまに魔族の本質である“破壊衝動”だけを心に持った赤子が生まれてくるそうだ。

 赤子っていうか、生まれた時点で小学生並みに成長してるけど、俺は卵の中で暴れてたからその可能性を疑われて、もしもの時の鎮圧用武力として、めっちゃ強いバレン将軍が待機していたと。

 俺があの時その雰囲気を匂わせたら即刻殺すつもりだったらしいんだわ。


 そう言われれば、あの時のバレン将軍、なぜか異常に怖かったな。

 後になって魔力のことも教わったけど、それとは違う恐ろしさがあの時の彼女から感じていた。おそらくそういう理由だ。


 なにはともあれ、そんなバレン将軍に仕えている親父。

 戦闘力は乏しいけど事務作業や政治活動に有能で、その手腕をバレン将軍に捧げているとのことだ。

 3日たった今もあまり実感はないけれど、さすが俺の父親だな。

 そういう姑息なことが得意なあたりが俺の父親っぽい。


 でも、俺がバレン将軍を恐れているのは今も同じだし、そんな怖いことを考えるのはやめよう。

 そろそろ時間だ。

 これから屋敷の地下室で、とても大切な儀式を行うらしい。

 他のメイドさんが屋敷の方からこちらに向かって走ってきているから、その時間が来たということだ。

 日向ぼっこも中断し、アルメさん起こしてやらなきゃな。


「アルメさん? アルメさん? そろそろ時間です」

「むにゃむにゃ……いえ、私の時間はまだ……この肉を食べ終わるまで……むにゃむにゃ……」


 何の肉かわからないけど、可愛すぎんだろ!


 でもだ。


「早く起きないと、肉球触りますよ!」

「いやーーーッ! この外道ォーーーッ!!」


 悪戯半分でアルメさんを起こそうとしてみたら、寝ぼけたアルメさんにまた蹴り飛ばされてしまい、俺はアルメさんに蹴られた腹を押さえながら屋敷に戻った。


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