魂の引越し編 2
うむ。面白い。
俺の親父は今頃秋田で畑を耕しているはずだ。
今年の米の収穫は終わったけど、冬野菜の世話に忙しいはずなんだ。
あと2、3ヵ月前に田んぼを荒らすサルの被害がヤバいって言ってたから、応戦用のエアガンを実家に送ってあげたところだ。
そのプレゼントの副作用として、太平洋戦争の頃の記憶を思い出したじいちゃんが腰の痛みを押して毎日サルと戦っていたらしい。
ところがその戦いにおける適度な運動が功を奏したらしく、じいちゃんの腰の痛みが治ったとのことなので結果オーライだ。
なにはともあれ、それが俺の親父だ。
「名はエスパニ・ヨール。そしてこちらは妻のレアルマ。お前の母親だ。すごいんだぞう。お前のお母さんはドリード本家の令嬢だったんだ! はっはっは!」
「まぁ、あなたったら! あなたと結婚したんだから、ドリード家のことなんて今の私には関係ないでしょう。うふふ!」
「そうだったな! あっはっは!」
何がおかしい?
それと俺の母親は俺が高校生の時に死んでるわ!
悲しいこと思い出させんなや!
人には触れちゃいけねぇ過去ってもんがあんだろ!
「そうですか……」
俺はあえて奴らの笑い声を中断させるような低いテンションで答える。
んでお次はさっきまでめっちゃ怖い雰囲気出していた甲冑の女ヴァンパイア。なぜか自称“俺の両親たち”の笑いに参加していたけど、その笑顔も微妙に怖いこの女についてだ。
「それじゃ、そちらの方は……?」
俺の言葉に、自称父親のヴァンパイアがはっと何かに気づいたような表情を浮かべた。
「おっと失礼。バレン将軍。将軍を先にご紹介すべきでしたな」
「かまわん。お前たちの大切な子供が生まれたんだ。親子水入らずの場に割り込むことはしないさ」
「はっはっは。それはそれは。それで……」
自称俺の父親が……めんどくせぇ。もう“父親”でいいや。
んでその父親が甲冑の女に対して話しかけ、そしてこちらに向いた。
会話から察するに、どうやら甲冑の女は父親より偉いらしい。
けど、将軍って……?
「この方はバレン・シアラ将軍。私の上司だ。今日はお前の誕生の瞬間を見るために、わざわざ我が家にお越しくださった。頭を下げて挨拶しろ」
ん? まじか?
まぁ、挨拶ぐらい別にいいけど。
「初めまして、バレン将軍……私は……あれ?」
おっと、ここで問題だ。
流れで頭を下げて挨拶してみたけど、俺、本当の名前を名乗った方がいいのか?
俺の名前、めっちゃ日本人っぽい普通の名だけど、それ名乗っちゃうとこの世界観壊れないか?
それとも俺もこの雰囲気に合わせた名前を考えた方がいいのか?
でもどうしよう。そんなもん考えていねぇよ。
「うーん……」
俺が言葉を詰まらせていると、父親がそれに気づいた。
「むう。そういえば名前を決めていなかったな。さて、いくつか候補は考えていたんだがどうしよう?」
「あなた? ここはこの子に決めさせてはいかがでしょう。自ら卵の殻を破り出るような勇ましい子です。今の言動も非常に落ち着いたものですし、ここは試しにこの子に考えさせてみては?」
「そうだな」
ちょっと待った。
卵? 殻?
俺は慌てて後ろを振り返る。
そして即座に理解する。
さっきまで俺が入っていた容器。
これ、卵だ。
いやいやいやいや。
ちょっと待って?
ヴァンパイアって卵から生まれるの?
哺乳類じゃないの?
いや、哺乳類っていうか化け物だけど。
化け物っていうか空想上の生き物で、そもそも生物学的な分類とかできないだろうけど!
それと俺ここから出てきたってことは、やっぱりこの2人は俺の両親なの!?
この2人が俺の入っていた卵をここに置いて、そこから俺がふ化したの?
そんで今の俺、生まれたばっかりで名前がない状況だから、これから決めるの?
もうわっかんねぇってば!
「どうだ? お前の名前、自分で決めてみるか? 何か案はあるか?」
挙句、混乱している俺のことなどお構いないといった様子で父親が質問をぶつけてきた。
名前……? 俺の……名前?
「たか……し……」
ちなみに俺の名前は山田隆。
なのにこういう時に応用を利かせることが出来ないのが俺の欠点だな。
ジークフリードとか。バハムートとか。
そういうかっこいい名前にしとけばよかったんだろうけど、言っちゃったものは仕方ない。
「タカーシ……そうか! “タカーシ”という名がいいのか!?」
「あら、素敵な響きね。じゃあ、あなたの名前は“タカーシ”。タカーシ・ヨールで決まりね!」
勝手に応用されちまったわ。
まぁいっか。
「というわけで、タカーシ・ヨールということになりました。バレン将軍、以後お見知りおきを」
ここでさっき中断したバレン将軍への挨拶の続きをしっかりとこなす俺。
こういうけなげな性格は、俺自身嫌いじゃない。
「うむ。礼の仕方が少し変わっているが、なかなか見どころのありそうな奴だ。将来、もしかすると父親と一緒に私のもとで働くことになるかも知れんが、それまでしっかりと精進しろ」
「はは!」
ヤバいな。
俺もちょっと楽しくなってきた。
まだすっぽんぽんのままだから、見た目はただの変態だけど、将軍とやらに礼節を尽くす俺の姿はもはや立派な騎士だ!
なんちゃって。
「それで、そちらの方は?」
最後はもちろん、犬のかぶり物をした愉快なメイドさんだ。
あいつも本物の化け物っぽいけど、やはりその認識はぎりぎり避けなきゃな。
ただでさえ崩れそうな俺の常識が、もうそろそろヤバいんだ。
あれはただのかぶり物。そう、そうなんだ。
そしてこれはコスプレパーティーなんだ。
「あぁ、あいつはここの使用人のアルメ。オオカミの獣人族だ。アルメ? お前もこっちに来い。タカーシに挨拶しろ。しばらくはお前が面倒みるんだぞ」
「はい。仰せのままに」
あぁ、やっぱ獣人族かぁ……。
そうか……そうだよな。そうなるよなぁ……。
せっかく現実逃避しようとしたのに、めっちゃ断言されたぁ。
親父? 仮にも俺はお前らの息子じゃねぇのか?
俺の価値観をぽっきぽっき折るなよ。
あと、“アルメ”とかいうメイドさん。
大したことじゃないと思うんだけど、犬じゃなくてオオカミらしい。
ちょっと悪いことしたかな。
それとオオカミだけに声がめっちゃ低い。
唸っているみたいだし、ヴァンパイアよりよっぽど怖いんだけど。
「初めまして。アルメ・リアと申します。当家の使用人をしている獣人でございます。しばらくはタカーシ様専属の使用人となる予定ですので、用がありましたらなんなりと申しつけください」
お、おう。
どうでもいいけど、アルメさんとやらが発した台詞の最後の言葉。これ、男にとっては天使の歌声に等しいレベルの発言なんだけどな。
でもそんな重低音豊かな声で言われると興奮しにくいわ。
アルメさん、挨拶のために俺の近くにきたけど、犬――じゃなくてオオカミをそのまま二足歩行にしただけだし、瞳もオオカミみたいでめちゃくちゃ怖いし。
“用がありましたらなんなりと申しつけください”
この台詞を聞いた男は本来、本能のレベルで下衆な妄想を思いつき、理性がそれを止める。
それが本来あるべき姿だ。
でも今の俺はアルメさんの発言に対し、理性が無理矢理下衆な妄想を思いつき、でもこんな野獣が相手だと本能がそれについてこない。
――という、不思議な現象に見舞われている。
こういうこともあるんだな。なかなか珍しい体験だ。
――じゃなくて!
そんなんどうでもいいわ。
獣だ、獣!
俺の目の前にはヴァンパイアとおんなじぐらいレアな獣がいるんだ!
大事件だ!
こいつをひっ捕らえて、アラブの石油王あたりに密輸してみてぇ!
多分物凄く高く売れるだ――えぇーい! 落ち着け、俺ッ!
「こちらこそよろしくお願いします」
でもさ。
こういう獣が目の前に現れ、かつこちらに敵意がないとわかると、やっぱ体毛を撫でてみたくなるな。
よし、お願いしてみよう。
どう考えても絶対にそんなことやってる状況じゃないとは分かっているけど、こればっかりは止められないって!
「あの、すみません。アルメさん?」
「はい?」
「早速お願いがあるのですけど」
「はい。なんでしょう?」
「頭……撫でてみていいですか?」
「え? あっ、え……? はい。いいですよ」
ちょっと待て。
アルメさん、なんか照れてねェか?
俺、そんなに変なこと頼んだか?
それとも、いきなり頭を撫でるのはそういう――人間でいったら、初めてのデートで「手ェ繋ぎませんか?」と言った時ぐらい恥ずかしいことなのか?
でもだ。
獣人とやらの文化や価値観について調査している暇などない。
アルメさんが姿勢を低くし、頭を差し出してきたからな。
1秒でも早く触らなきゃ!
「タカーシ? お前、不思議な奴だな。獣人の体毛に興味を示すなんて」
親父、うるっせぇよ!
邪魔すんな!
「うるっせ……あ、いや。何でもありません。では失礼しますね、アルメさん?」
さてさて。
ではではお言葉に甘えて。
ふっふっふ!
「……」
しばらくの時間、俺は無言でアルメさんの頭を撫でる。
昔実家で飼っていた柴犬っぽい感じだけど、あの犬種よりは少し体毛が長くて、非常に心地よい。
それと、このままの勢いでアルメさんを床に寝かせ、お腹のあたりもわしゃわしゃしてみたい気分にもなってきた。
でもこのアルメさん。オオカミなんだけど、胸のあたりはしっかり膨らんでいるんだよな。
そこを触るのは紳士としてあるまじき行為だし、仮決定とはいえ俺の実の両親が見ている前だ。
メイド服を脱がせたり、脱がせないまでもメイド服の中に手を突っ込んで腹をさするなんて、流石の俺にも出来ん。
とはいっても、服の中身が気になるから聞いてみよう。
「すごくいい毛並みですね。やわらかくてふさふさだ」
「は、はぁ。そんなことを言ってくださる方は初めてです」
ちなみにアルメさん、めっちゃ照れてるけど重低音混じりの声だからな。
「全身こんな感じでふさふさなのですか?」
「はい。なんだったら後で見てみますか? 今は一応服を着ていますけど、私たちは体毛があるので基本的に服は必要ない種族なんです。生まれ故郷はみんな服を着ておりませんよ」
まじか!
う・れ・し・く……ねぇ!
でも服を脱ぐことに抵抗はないということは、お腹わさわさを要求しても大丈夫そうだな。
後でお願いしてみよう!
それと、それとは別にもう1つの調査だ。
大切な調査。
肉球。これは触っておかないと!
「あと、じゃ握手でも……」
俺は適当に考え付いた理由とともに、アルメさんの右手――じゃなくて右前脚に手を伸ばした。
だけど……。
「きゃっ! えぇーい、触るな! 私の肉球を触るなどどうしたことか! 貴殿はなんという卑猥な御方だ!? いやっ、触らないで!!」
キャラがぶれてるけど、次の瞬間、激高したアルメさんがとてつもなく強い蹴りを俺に向かって放ちやがった。
結果俺の体は後方斜め上に蹴り飛ばされ、背後の壁と隣の部屋の天上を突き抜け、挙句の果てに太陽が光を照らす屋外まで出てしまった。
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