第8話 資格

「……あの、すみません冬樹ふゆき先輩。まさか、こんな散々な日になろうとは」

「あっ、いえ滅相もありません! そもそも、藤島ふじしまさんが悪いわけではないですし!」


 住宅街にひっそりと佇む、小さな公園のベンチにて。

 そう、顔を俯かせて謝意を告げる藤島さんに少し慌てて答える僕。いや、本当に彼女が悪いわけじゃないし。


 ところで、いったい彼女が何について謝罪しているのかというと……その、あのジェットコースターの停止トラブル以降も……まあ、色々とありまして。



 さて、具体的なお話を少々――あの後、昼食は軽く屋台で済まそうという話になり一時間ほど並んでは、丁度僕らの前で売り切れ。急流すべりの列に並んでは、少し前のお客さんが中々に壮絶な喧嘩を始めアトラクションは一時中断。その後も大小様々なトラブルがあった後、挙句の果てに天気予報になかったはずの篠突く雨に一時避難――そして、今こうして木組みの屋根の下にいるわけで。、……うん、僕って疫病神かな?


 ……まあ、それはともあれ――


「…………ふふっ、はははっ」

「…………冬樹先輩?」


 すると、大きく目を見開き僕の名を呟く藤島さん。まあ、そうなるよね。全く以て何の脈絡もなく、突如笑い出したのだから。我ながらほんとに気持ち悪い。……だけど――


「……いえ、すみません藤島さん。ですが……なんだか可笑しくって。たった一日――いえ、たった数時間でこんなにトラブルがって思うと……なんだか、ある意味凄く貴重な経験をしちゃったなって」


 そう、未だ笑いを抑えられず告げる。彼女にとってはほんと散々な一日だっただろうし、僕のこんな態度はいっそう不快にさせてしまうかもしれないけど……それでも、なんか楽しくって――


「……ふふっ、なんですかそれ。でも……ありがとうございます、冬樹先輩」


 すると、可笑しそうに微笑みそう口にする藤島さん。そんな予想外の反応に驚きつつも、ホッと安堵を覚える僕。尤も、感謝をしてもらえることなど何もしていないのだけど……まあ、今それを言うのは流石に野暮というものだろう。



 ……ところで、それはそれとして。


「……あの、藤島さん。その、もし宜しければですが……こちらを……」

「…………へっ?」


 不意に告げた僕の言葉――と言うより、恐らくは僕の行動にポカンと目を丸くする藤島さん。つい先ほども見たような表情だけど……心做しか、今回は――


「……その、ですがこれは……」

「あっ、すみません! やっぱり、嫌ですよね……僕の着ていたコートなんて」

「いや違う! ……あっ、すみませんつい。……その、そうではなく、すっごく嬉しいんですけど……その、これだと冬樹先輩が身体を……」

「……ああ、そういうことですか」


 我ながら何とも自虐的な言葉に対し、今までに覚えがないくらいの強い口調で否定を述べる藤島さん。そんな彼女の様子から、本心で言ってくれていることがひしひしと伝わって……うん、なんかホッとした。



「……その、冬樹先輩が良いのなら、ご厚意に甘えますが……ほんとに良いのですか?」

「はい、もちろんです藤島さん。それに……本音を言えば、貴女のためと言うより自分のためだと思うので」

「……?」


 ともあれ、少し躊躇いがちに尋ねる藤島さんに対し、こちらも少し逡巡しつつ答える。そして、そんな僕の返答にキョトンと首を傾げる藤島さん。……とは言え、流石に口にするのは憚られるわけでして。

 と言うのも……ごく短時間ではあったものの、ここに来るまでに中々の激しい雨に打たれていたわけで……なので、その……目の遣り場に困――


「……あの、冬樹――」

「――あっ、あの今日は凄く楽しかったですね!」

「……へっ? あっ、はい……」


 そんな僕の様子に異変を感じたのか、再び少し躊躇いがちに問い掛けようとする彼女の言葉を遮る形で言い放つ僕。そして、当然ながらポカンとした様子の藤島さん……うん、ごめんね? ……ただ、少なくとも僕の方では嘘というわけでもなく――


「……その、本当に怖かった人もいるでしょうし、こんなことを言うと不謹慎かとは思うのですが……ジェットコースターが突如停止するという緊急事態に陥ったあの時が、実は本日一番楽しくて……」

「あっ、実は私もです! 事が事だけに、流石に言いづらいなあとは思ってたんですけど……よもや、先輩も同じことを思ってくれていたとは……本当に嬉しいです!」

「……そう、だったのですね」


 そう、逡巡を覚えつつ伝えると、パッとを輝かせ同意を示す藤島さん。何とも予想外な……いや、そうでもないかな。だって……実際、凄く楽しそうだったし。あの時の藤島さん。



 ともあれ、そこから話は盛り上がり今日の散々な日々について花を咲かせる。……うん、こういう会話を楽しめる辺り、やはり彼女も多少なり変わっているのかも。そして、



『――今日はすっごく楽しかったです、冬樹先輩! また、一緒に何処か遊びに行きましょうね!』


 帰宅後、居室にて――だらりと仰向けになり、ぼんやりと脳裏に思い起こす。別れ際、満面の笑顔と共に告げられた彼女の言葉を。そんな眩い光景に――胸が、ズキリと痛む。


 ……何をしているんだ、お前は。こんな不相応な楽しさを享受する資格が、お前にあるとでも思っているのか。――忘れるなよ、香椎かしい冬樹。お前に――お前なんかに、幸せになる資格なんてないんだよ。

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