第44話 広がる闇
王都の空は、相変わらず黒煙に覆われていた。
その王都では、朝市の喧噪に紛れ、ある噂が密かに広がり始めていた。最初は市場の片隅、誰とも知れぬ声が囁くように告げた言葉。
「聞いたかい?先王陛下の死には、暗い影が差していたって」
その言葉は、風のように広がっていく。
日が高くなるにつれ、市場の空気が変わり始めた。
魚屋の店先で、主婦たちの声が途切れ途切れに聞こえる。
「そういえば、先王陛下のご様子は……」
「あの日まで、とてもお元気だったのになあ」
昼下がり、旅籠の薄暗い部屋では、商人たちの酒に浸された声が荒々しさを帯びていく。
「いや、そんな噂を口にするなど……」
「でも、確かに急だった。先王陛下の……」
王宮への道すがら、荷馬車の御者が行きかう。その度に、小声で新たな噂が伝えられていく。やがてそれは形を変え、さらに大きな闇へと広がっていった。
夕暮れには、市内のそこかしこで、小さな集まりが目立ち始める。
「まさか、ヴィクター殿下が……」
「……だから今こうして、力ずくで王位を」
噂は確かに不自然だった。しかし、ここ数日の王都での騒乱、ヴィクター軍による暴力。その光景を目の当たりにした民衆の心には、容易に疑いの種が根付いていく。
夜になっても、街角の小さな集まりは消えない。むしろ、その数は増えているようにさえ見えた。
街全体が、何かが爆ぜる直前の緊張に包まれ始めていた。
*
本陣の夜は更けていく。
火が落とす影が、テントの布地を揺らめかせる。
何やら王都内にきな臭い動きがあるという報告を受け、本陣周辺の警備はさらに厳重になっていた。
本陣の中心、ひと際大きなテントの中で、エステルとクラリスに、リリアも加え、今後の行動についての話し合いが続いていた。
エステルは報告書に目を落としながら険しい表情を浮かべている。民の不安を感じ取っているのだろう。
「……」
その時、近衛兵に導かれた黒装束の人影が、テントの中に姿を現した。
「レイヴン!」リリアが一歩前に出る。
「……ご無事なようで何よりです、エステル様」
「レイヴン!あなたこそ、よくご無事で」エステルも立ち上がり、レイヴンの側に走り寄る。
(信じていました、レイヴン。……ちょっぴり羨ましいですが、今は許しましょう)
信頼してはいたが、ようやくその無事を知ることができ、ほっと胸を撫で下ろす。
「それで、王都の状況は何かご存知ですか?」リリアが静かに尋ねる。
「民衆の不安が、次第に」レイヴンの短い言葉が、情報を紡ぐ。「王都の裏社会に、新たな歌が流れ始めた」
「この噂は……」噂の内容を聞いたエステルの声に、僅かな懸念が滲む。
(お優しい……!このような中でも真実を重んじようとされる姿勢、まさに王族の鑑!この民を想うお心遣い、嗚呼、ますます……!)
リリアは感動を抑えながらも、レイヴンの報告に耳を傾ける。
「……私たちはそれっぽい情報を流しただけです」レイヴンは言葉を区切りながら続ける。
「人々の心の中に、疑いは既にあった」
シーフギルドの諜報網を使い、噂を広める。影の世界での戦いは、レイヴンの本領だった。
クラリスは地図に目を落とす。各所で小規模な騒ぎが起きているという印。その数は、時間と共に増え続けていた。
「このままでは暴動が起きるのでは……」エステルの眉が寄る。民への影響を案じているのは明らかだった。
「……目的は、民への加害ではありません」
シーフギルドの諜報員たちが、王都のいたるところに散らばっているという。
その時、遠くで鐘が鳴り響いた。
「……始まったか」
レイヴンの囁きが消えないうちに、街のあちこちで怒号が響き始める。おりしも吹き付けた風が、黒煙の向こうに灯る炎を、より大きく揺らめかせていた――。
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