閑話休題 王女様の休日
珍しく公務の入っていない午後、宮廷の庭園には柔らかな陽射しが降り注いでいた。
グラティア国の第二王女、エステル・ラ・グラティアは、豪奢な銀細工が施された椅子に腰掛け、一冊の本を手にしている。
庭園の花々が漂わせる香りに、時折噴水の音が重なる。
(うっ……!平常心を保て、私……!この尊い光景に心を奪われてはいけない……!)
リリアは数歩離れた場所で、見守りを続けていた。
エステルの横顔は実に優雅で、本を読む仕草の一つ一つが芸術的とさえ思えた。それは警護という任務を忘れそうになるほどの光景だった。
「エステル様、お紅茶をお持ちしました」
侍女長のセリナが銀のトレイを手に現れる。エステルは読んでいた本に栞を挟みながら、穏やかな表情を浮かべた。
「ありがとう、セリナ。リリアさんもご一緒にいかがですか?」
「え?私もよろしいのでしょうか」
「もちろんです。警護とはいえ、ずっと立ちっぱなしではお疲れでしょう」
(くっ……、王女様の優しさが眩しすぎる……!)
リリアは丁寧にお辞儀をしながら、勧められた席に着いた。
セリナが三人分の紅茶を注ぐ。エステルは本を膝に置きながら、微笑みを浮かべた。
「実は面白い本を見つけたんです。街の市場や庶民の暮らしについて書かれた物語なのですが」エステルは目を輝かせながら語り始めた。
「市場には色とりどりの野菜や果物が並び、行商人たちが威勢の良い掛け声を上げているそうですね」
セリナが心配そうに言葉を添えた。「エステル様、またそんな危険な考えを」
「大丈夫です、セリナ。物語を読むだけですから」エステルは優しく笑ったが,その瞳には少しだけ寂しさが滲んでいた。
リリアは思わず口を開いた。
「市場で一番賑わうのは、朝一番の仕入れの時間です。野菜や魚を選ぶ主婦たちの真剣な眼差しは、まるで戦場のようです。」
「まあ、詳しいのですね」エステルが目を丸くする。
「以前、任務で市場に行くことが」慌てて言葉を濁すリリアに、エステルは一層興味深そうな表情を向けた。
「リリアさん、もっと聞かせていただけませんか?市場での出来事を」
エステルの声には、純粋な好奇心が溢れていた。
「お菓子を売る屋台や、花を売る少女のことも、本には書かれていたのですが」
(その無邪気な興味、反則です……!)
リリアは心の中で悶絶しながらも、市場での見聞を語り始めた。セリナも時折苦笑を浮かべながら、三人で穏やかな時間を過ごす。
エステルは人々の暮らしに深い関心を持ち、時折素朴な質問を投げかけてきた。その様子は、王女というよりも、純粋な少女のようだった。
「いつか、変装して市場に行ってみたいですね。民の暮らしを、この目で見てみたくて」
エステルがふと呟く。
「それは危険です」セリナが即座に制した。
「はい、わかっています」
「でも、王女である前に、この国の人々の一人でありたいのです」
その言葉に、リリアの胸が熱くなった。
民を想い、心を寄せる。それは決して気取った態度ではなく、エステルという人物の本質なのだと、改めて感じる。
(やっぱり私の推しは、最高だ……!!)
夕暮れが近づき、庭園に影が伸び始めていた。エステルは名残惜しそうに本を閉じ、立ち上がる。
「そろそろ、部屋に戻りましょうか」
リリアは背筋を正して警護の態勢に戻ったが、その胸の内では、この穏やかな時間への感謝が溢れていた。
だが、まだ知る由もない。この何気ない会話が、近い将来、思わぬ形で意味を持つことになるとは――。
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