威厳と呪縛

森本 晃次

第1話 バブルの崩壊

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年2月時点のものです。時代背景と時代考証とは、必ずしも一致するわけではありませんので、ご了承ください。一種のパラレルワールドでしょうか?


「人とあまりかかわりを持ちたくない」

 と思っている人は、世の中には、一定数いるだろう。

 実際に、人とかかわることで、ろくな思いをしてこなかった人、損をしてしまった人、あるいは、

「殺してしまいたい」

 などという恐ろしい思いに駆り立てられた経験のある人、それぞれではないだろうか?

 確かに、

「人を殺してしまいたい」

 というのは、大げさかも知れないが、人とのかかわりというのは、相手と感情がすれ違ってしまえは、どんな些細なことでも、憎しみに変わってしまうことだってあるのだ。

 もしそこに、お金が絡んでいたり、女性問題が絡んでくると、その問題はさらに大きくなり、恨みや妬みを引き起こしてしまうことになるだろう。

 それが、会社や学校などの、

「自分の生活範囲」

 ということであれば、余計につらい。

 学校などでは、

「苛めの対象」

 というものにされてしまったり、会社などでは、

「パワハラ」

 の餌食になってしまう。

 会社などの、

「パワハラ」

「セクハラ」

 などに対しては、

「コンプライアンス違反」

 というものが叫ばれるようになり、かなり徹底されてきたが、学校などにおける、

「いじめ問題」

 というのは、どうしようもない状態なのだろう。

「いじめ問題」

 というと、平成に入った頃から問題になっているので、そろそろ35年が経つくらいになってきている。

 それでも、今でもこの問題は解決どころか、世間で騒がれなくなっただけで、実際にはどんどん起こっている問題だといえるだろう。

 これは、

「虐められている人間が、人とかかわるかどうか?」

 という問題に関係なく、

「どうして俺がいじめられなければいけないんだ?」

 ということも分からない。

 それは、相手が、

「誰でもいい」

 と思っていたり、

「ただ鬱陶しいから」

 という、理由があったとしても、それは理不尽な理由というだけであった。

 苛めを受けるというのは、どれほどきついものか。正直分からない。

 ただ、苛めというのは、時代とともに変わっていったというよりも、

「ある時点を境に、一気に変わった」

 といってもいいだろう。

 だから、変わる前しか知らない人は、

「苛めの本質は変わっていない」

 と思っているかも知れない。

 苛めが変わった時代というと、たぶん、

「バブルの崩壊」

 というものと前後してのことではなかっただろうか。

 バブルが崩壊した時期というのは、はっきりと、

「いつ」

 というのを限定できるものではないが、大体は、

「昭和が終わってから、平成に掛けて」

 という頃ではないだろうか?

「バブル経済は、実態のない経済。泡が弾けるように、破裂して終わり」

 と言われているが、

「前兆がなかった」

 というわけではないだろう。

 しかし、

「銀行が潰れるはずはない」

 などというような、神話として言われていたことがあった時代だったので、誰もが、

「まさか、今のようなバブルの時代に終わりがくるなんて」

 と思っていたことだろう。

 その証拠に、一番そのあたりのことを把握していなければいけない銀行が、

「過剰融資」

 という形で、企業に融資しているではないか。

 この、

「過剰融資」

 というのは、銀行が、利息をたくさんもらいたいということで、相手が相談を持ち掛けてきた金額に対して、

「もう少し余裕があるから、金額に上乗せしますよ」

 ということで、貸付金を多めに出すというものであった。

 そもそも、銀行の利益というのは、

「貸し付けた金の利息を得ること」

 というのは、銀行では一番の利益だった。

 バブルの時代では、

「事業を拡大すればするほど、利益が出る」

 という、大まかな数学的に単純な構造をしているといってもいいだろう。

 まるで、

「国家全体が、成金になってしまった」

 とでもいえる時代だった。

 実際に、会社では、

「頑張れば頑張っただけ金になる」

 ということで、どんなにきつい仕事でも、

「金になる」

 ということで、皆頑張ったものだった。

「企業戦士」

 などと言われ、

「24時間戦えますか?」

 などという言葉が言われた時代であった。

 この時代ともなれば、

「眠らなくても平気」

 ということで、スタミナドリンクが飛ぶように売れ、

「数日会社に泊まり込み」

 などというのも、普通だった時代である。

 もちろん、若い間でしかできないのだろうが、それが

「生きがい」

 とも言われる時代だったのだ。

 だが、実際に、それまで、

「潰れることはない」

 と言われた銀行が破綻したことで、

「バブルの崩壊」

 というものが起こってきた。

 バブルが崩壊すると、それまでのバブルの正体というものが、

「自転車操業に近いものだった」

 ということが分かってくる。

 一つの歯車が狂ってしまえば、すべてが狂うというわけである。

 それまで、

「理想や夢」

 というものを追い求めていた人でも、それが、すべて、本当に夢であり、自分が目が覚めた状態に置かれた時、目の前にあるのが、

「地獄でしかない」

 ということを、かなりの人が感じたことであろう。

 特に、経営者などはそうだっただろう。

 それまでは、

「事業を拡大する」

 ということを推し進めていくだけで、会社が大きくなってきたという時代では、なくなってしまったのだ。

 そうなってくると、

「会社を何とか潰さないようにしないといけない」

 と考えるようになる。

 まず考えることとして、

「収入に限界が見えてきたのだから、支出を減らすしかない」

 ということになる。

 それは、そのまま、

「経費節減」

 ということに繋がってくるわけで、それ以降、世間でも一般的に言われるような常葉として、

「リストラ」

 という名前の、人員整理である。

 リストラを敢行する場合に、言われたのが、

「肩叩き」

 であったり、

「早期退職者の募集」

 である。

 肩たたきとは、そのものズバリ、辞めてもらいたい人に直接勧告することであり、それ以外には、

「どうでもいい仕事をやらせて、徐々に会社での立場を薄いものにしていき、いわゆる、

「窓際」

 に追いやることで、次第に、居心地の悪さから、退職に追い込むというものであった。

 早期退職者の募集というのは、

「いずれこのままいても、リストラ名簿に載るのは、遅かれ早かれ間違いない」

 と感じる人が増えてきた場合、会社としては、

「少々、不利な状態になっても、人件費を削減できるのであれば」

 ということから、社員に対して、

「今、自己申告で退職を言ってくれば、退職金などに色を付ける」

 というものである。

 前述の窓際族の人たちなどは、

「このままいても、どうしようもない」

 と思ってはいるが、

「すぐに辞めてしまうと、路頭に迷うだけだ」

 と考えていたとすれば、早期退職で、少しでも金が入ればということで、その会社の策略に乗る人も多かったことだろう。

 失業者が街に溢れるという状況が増えてきたのだが、会社の方も、リストラだけでは、まだダメという状況になってくると、今度考える方法とすれば、

「企業合併」

 ということであった。

「大きな会社に、助けてもらう」

 ということであるが、基本的には、

「吸収される」

 ということであり、会社のトップとしては、

「自分たちはどうなるか分からない」

 ということになる。

 しかし、このまま放っておけば、会社は破綻し、下手をすれば、借金にまみれて、夜逃げの状態になったり、ホームレスになったりしなければいけないことを考えると、

「経営者」

 という立場はなくなるかも知れないが、普通の生活ができればいいということで、吸収合併もやむなしと考える経営者もいるだろう。

 何といっても、従業員のことを考えれば、何もしないと、

「従業員も巻き込んでの倒産」

 ということになるからだ。

 そうなると、

「退職金どころではない」

 というものだ。

 だから、早期退職希望者が多いというのもうなずける。

 つまりは、

「早期退職で、退職金をもらっておかなければ。もし、会社にしがみついて、会社自体が危なくなってくると、もらえるはずの退職金ももらえず、沈む船に巻き込まれて、死んでしまう」

 ということになるかも知れないと感じたのだろう。

 それを思えば、

「早期退職ということで、退職金だけはもらっておこう」

 と感じることだろう。

 そもそも、そんな対策をしなければいけない時点で、会社は沈みかけているわけだ。その見切りをいつつけるかというのも、従業員として、

「会社もとろも」

 ということにならないようにしないといけない。

 それが、会社員としても、いろいろと覚悟のいる時代になったのだった。

 要するに、

「時代が、混沌としてきた」

 ということである。

 今までは、

「働けば働くほど儲かる」

 ということで、社員が、金のために必死になって働いてくれていたので、会社は、成長してきたのだ。

 しかし、それが、一気に崩れてしまった。

「人は石垣、人は城」

 と言った戦国武将がいたが、そんな人というものを大切にできない時代に突入したということは、

「沈むばかりで、浮き上がることはできない」

 ということになるだろう。

 それを思えば、今までであれば、

「目の前が、数学の単純な式のようなもの」

 ということで、社員は、シャカリキに働き、働く場所もあった」

 しかし、それ以降は、

「働くものがなくなり、今まで一緒に頑張ってくれた人を切り捨てるしか、会社という母体が生き残ることはできない」

 ということになった。

 経営者とすれば、

「会社を潰すということは、社員を巻き込んでの集団自殺のようなものだ」

 ということを考えると、

「若干の社員を犠牲にしてでも、会社を残さないと、この会社だけではなく、まわり全体を巻き込むことで、関連会社が一気に連鎖倒産ということになる」

 と思うだろう。

 実際に、大企業が破綻したことで、関連会社がいくつも煽りを食って倒産するというのを目の当たりにしているからだ。

「経営者は経営者で辛い」

 ともいえるだろう。

 それでも、何とか、

「吸収合併」

 などと繰り返すことで、生き残った企業も多い。

 銀行などは、ほとんどが合併してしまい、今までの名前とまったく変わってしまったというところも多く。

「前はどこの銀行だったのか?」

 ということは、ほとんどの銀行は分からなくなっているようだ。

 何とか分かるところは、それぞれの銀行の名前をくっつけただけで、やたら長い名前になっているというところもある。

 特に、大手銀行がいくつか合併した時、システム統合を無理したために、

「他の会社であれば、経営者の責任問題になる」

 というような案件が、システム統合してから一か月の間に、三件という

「許されないトラブル」

 というものを引き起こし、日本中、いや、世界を巻き込んでの大混乱を引き起こし、政府から干渉されるというとんでもないことになったのも、記憶に新しいところであった。

 バブル崩壊から、もう30年以上経っているのに、まだ、

「バブル崩壊」

 という時代の亡霊のようなものに惑わされているという、

「日本という国は、何とも、情けない国だ」

 ということになる。

 それが、意味としては若干違っているかも知れないが、

「失われた三十年」

 などということと同じことなのかも知れない。

 そんな時代において、

「バブルの崩壊」

 という呪縛から、今まだ解消されていない。

 政府などは、

「バブル崩壊からはすでに解放され、今は新たな局面を迎えているので、今の時代は、バブル崩壊からの影響ではない」

 と考えているかも知れないが、それは大きな間違いではないだろうか?

 下手をすれば、今まだ、昔のバブル時代の世の中を、引きずったまま生きてきた人もいることだろう。

 実際に、会社で現役の人というのは、もうほどんどいないだろうが、中には、そんな時代を覚えていて、君臨している経営者もいるかも知れない。

 特に、大企業は、

「世襲」

 というところも多いだろう。

 もっとも、そんな世襲というのも、なかなか難しい時代になってきて、

「百年近く続いてきた世襲の会社も、一族からではない社長が出てくる」

 ということで、

「今までは、創業者家族の名前を付けていた会社の名前が変わってしまう」

 というのも当たり前に起こっている。

 だから、

「バブル崩壊からあと、経営者の名前から、別の名前に変わった会社があったとすれば、ほとんどは、経営者一族が。会社経営から身を引いたところ」

 ということになるだろう。

 そもそも、そういう、

「同族会社」

 と言われる大企業は、昔の、

「財閥系」

 と言われるところであっただろう。

 それは、戦後日本の敗戦によって、占領軍が掲げた、

「日本の改革」

 という中にあった一つの方針ではないだろうか、

 それが、

「財閥の解体」

 というものだっただろう。

 財閥が解体されたはずなのに、昭和の頃まで言われていた、

「都市銀行」

 というものは、そのほとんどが、

「財閥の名前を冠した銀行名だった」

 といってもいいだろう。

 そういう意味で、昔言われていた、

「都市銀行」

 そして、

「地方銀行」

 という言葉の違いというのは、

「都市銀行というのが、元財閥系」

 ということの区別として言われていたのではないか?

 と考えられるのは、老婆心なのだろうか?

 そんな、昭和の時代から、平成に変わった頃、まだ、バブルと言われていた時代であったが、ちょうどその頃だったのではないか?

 それが、

「国有企業の民営化」

 というものであった。

 かつて言われていた、

「三公社五現業」

 という言葉である。

 特に三公社と呼ばれるものは、

「国鉄」

「専売公社」

「電電公社」

 と言われるもので、鉄道以外は、完全に、独占企業であった。

 つまり、電電公社であれば、

「電話電信業界に、民間は立ち入ることができない」

 ということだったのだ。

 つまり、国が一手に握り、独占企業となっていたということだ。

 特に、大日本帝国時代には、逓信省というものや、鉄道省というものが存在し、かつては、

「省線電車」

 などという言われ方もしていたという。

 そんな昔ながらの時代であるが、

「国家を担ってきた産業を、敢えて国から切り離す」

 ということになったのは、やはり、政府が、

「バブル崩壊を予期していた」

 ということなのかも知れない。

 もっとも、実際に、国鉄などは、

「もう、国家では担いきれないというほどの累積赤字を抱えていた」

 という事実もあったからで、いまだにその赤字が続いているかどうかは、騒がれないだけで、静かに続いているということであろう、それは、国鉄の後見会社である、JRというものを見ていると分かるというものだ。

 そんな時代が今の、

「住みにくい日本」

 そして、

「政治家が腐敗させた日本」

 というものを作ってきたということになるのであろう。

 戦後というと、敗戦後の大混乱の時代から、

「占領軍による、占領政策」

 というものもあり、さらには、

「朝鮮戦争による軍事特需」

 というものがあったことで、国家が新たな道を歩むだけの力が得られたという、

「奇跡的なこともあった」

 という時代であった。

 それ以降の時代には、

「東京オリンピック」

 などの経済傾向と同じように、

 イベント前には、

「イベント特需」

 に湧くが、イベントが終わると、その反動で、

「一気に、不景気になる」

 ということで、

「好景気と不景気を周期的に、交互に繰り返してきた」

 というものであった。

 それが、バブル経済で一気に、国が大きくなり、

「世界に企業ランキング」

 という中に、日本企業が、

「ベストテンの半数以上を占めていた」

 という、今では考えられないような時代があったではないか。

 そんな時代が、起こったということで、誰も、

「その反動」

 というものを考えなかったのだろうか?

 それが恐ろしいというものではないだろうか?

 そんな時代が、あったのが、今から40年前ということだ。

 今現役で定年前の状態で働いている人は、

「社会人としての、バブルの時代」

 というものをほとんど知らないだろう。

 それを思うと、

「うらやましい」

 というべきか、それとも、

「かわいそう」

 というべきか分からない。

 何といっても、今からの日本は、

「底のない沼に、抵抗する力もない状態で落ち込んでいくだけだ」

 という状態になっているということだからであった。


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