『怪異払い』と刑事の記録
醍醐兎乙
前編
とある地方病院で階段からの転落事故が発生した。
今月に入り、すでに三人目の犠牲者。
病院関係者は偶然や人的過失が原因とは思えず、警察に通報。
調査が開始された。
被害者の三名はいずれも意識が戻らず、周辺の聞き込みで判明したのは、三人とも屋上へ向かう階段から転落したことと、三人は互いに面識がなかったことのみ。
他に共通点は見当たらなかった。
そして警察を嘲笑うように、四人目の犠牲者。
これまでの被害者と同じく、屋上へ向かう階段下に倒れており、調査に訪れた警察官が発見した。
『怪異払い』の事務所内で、刑事の男は、信頼している『怪異払い』に事件のあらましを説明した。
「おそらく、この事件には怪異が関わっている」
刑事の男は真剣な表情で言葉を続ける。
「依頼したいのはいつもの通り、事件に怪異が関わっている証明書の発行と対怪異協会への協力要請を頼む」
依頼を伝え終え、男は深く息を吐き出した。
普段よりも余裕のない男の態度に『怪異払い』が気が付く。
「……身内がやられたか」
『怪異払い』の問いに男は項垂れる。
「俺の指示で現場を見張らせていた」
己の判断ミスを悔やむように、懺悔の言葉を漏らす。
「その結果が四人目の犠牲者、俺の部下だ」
男の後悔が事務所内に広がっていく。
『怪異払い』は言葉なく男の肩を軽く叩き、準備を整え、現場の病院へと向かった。
自宅で『怪異払い』を待っていた男に『怪異払い』から電話が来たのは、依頼した日の夜。
依頼から数時間後のことだった。
「お前の睨んだ通り、現場に怪異の痕跡が見つかった」
男の返事を待たずに『怪異払い』は更に報告を続ける。
「怪異としての力はそれほど高くなさそうだが、不自然に活動範囲が広い。数日の遅れがさらなる被害者を出しかねない。私がこのまま怪異の条件を満たし、今夜退治する」
「危険だ!」
男は思わず声を荒げた。
「俺でも怪異を退治する方法は知っている! 怪異に襲われる条件を満たした人を囮に怪異をおびき出すはずだ!」
『怪異払い』は沈黙の肯定を返す。
「だがそれには退治専門の『怪異払い』が必須! 調査専門のお前の仕事じゃない!」
慟哭に似た男の指摘が受話器に飲み込まれる。
数秒の沈黙。
受話器から返ってきたのは感情を隠そうとする、『怪異払い』のかすれた声。
「この種類の怪異は、退治すれば被害者の目は覚める。すぐ戻る、家で待ってろ」
男が追求する間もなく『怪異払い』との繋がりが一方的に切断される。
物言わぬ受話器を放り投げ、男は自宅を飛び出し、病院へと急いだ。
男が運転し病院へ向かう車内。
頭に浮かぶのは、あの『怪異払い』と初めて会った時のこと。
当時はお互いに新人で、何かにつけて衝突していた。
それでも最後には、互いの健闘を称え合い、笑い合えた。
思い出される『怪異払い』の自然な笑顔。
侮られないよう、意識して仮面を被る『怪異払い』が見せた僅かな素顔。
運転席から病院が見えてくる。
焦りに包まれる男の頭には、あの時の『怪異払い』の笑顔が消えずに残り続けていた。
男が病院に着いたのはあと数分で日を跨ぐ頃。
病院内に走り込む男を止めようとする病院関係者に、警察手帳を叩きつける。
そしてそのまま現場の屋上前階段まで走り出した。
(恐らくこの怪異の条件は、夜中にひとりであの階段近くにいること)
焦る感情を怪異の考察で冷ましながら、二階への階段を三段飛ばしで駆け上る。
しかし続く階段がもどかしく、抑えきれない焦りが男を苛立たせた。
(この病院は四階建て、ここじゃまだ怪異の活動範囲に入らない! 急げ!)
疲労で飛ばす段差を落とそうとする脚を叱咤し、三階に向かう踊り場を滑るように折り返す。
そのまま三階のエントランスが視界に入り『ドサッ』
男の向かう先から、かすかに何かが落ちる音が、確かに聞こえた。
男が息を切らせたどり着いた、屋上に向かう階段下。
暗闇の中、男の息遣いだけが木霊していた。
(おかしい、静かすぎる)
考えたくもない、最悪な想像が男の頭によぎる。
そして、暗闇に目の慣れた男は見つけてしまった。
仰向けに倒れ、意識を失っている女の姿を。
その光景を目の当たりにした男は、全身から活力が抜け、自力で立てず、言葉なく膝から崩れ落ちる。
声にならない嗚咽を漏らしながら這いずり、横たわる『怪異払い』の女にすがりついた。
男は音もなく吠える。
(なんでこんなことに!)
無音の慟哭が病院内に響き渡った。
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