シャイニング・ティアーズ
三坂鳴
第1章「黒いシャイニングの影」~ 第2章「遠距離のぬくもり」
第1章「黒いシャイニングの影」
美輝は今日も黒いシャイニングTシャツを身につけ、店のカウンターに立っていた。
コンカフェ特有の可愛らしい内装のなかで、彼女だけはどこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。
大きめの鏡に映る長身の自分を見て、小さく息をついた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
明るい声を出しながらも、心の底では早く終わらないかと願ってしまう。
親の借金を返すためとはいえ、この仕事にはやはり馴染めない。
男性客の視線や、しつこいLINEの要求にうんざりしながらも愛想笑いを続けるのは、意外と体力を削るものだ。
休憩時間、ロッカールームに戻るとスマホに母親からのメッセージが入っていた。
「またカードで買い物しちゃった。ごめん」
短い文面に肩の力が抜けそうになる。
母はうつを抱えているうえ、買い物依存がやめられない。
返済は美輝が稼いだ分からどんどん消えていく。
「はぁ…」
誰もいない空間で小さくため息をついたとき、胸に古い痛みがよぎる。
幼い頃、父親に襲われた記憶は滅多に思い出したくないのに、不意に頭をもたげるから厄介だ。
あのとき母親が必死にかばってくれていたのを覚えているけれど、結局すべてを止めきれたわけじゃない。
その罪悪感が母を追い詰めているのだろうかと考えると、美輝の中でわずかながら同情もわいてくる。
後半のシフトが始まる頃、友人からチャットが飛んできた。
「今日も頑張ってる?終わったら連絡ちょうだい」
送信者は茶髪のクルクルロングが似合う某キャバクラのNo.1。
美輝にとっては数少ない心を許せる存在だ。
「うん、終わったら話したいことあるかも」
そう返事を送って立ち上がると、同僚が声をかける。
「後半も笑顔でいこうね」
美輝はうなずいて店のホールへ戻る。
明るい音楽と煌びやかなライトのなか、カウンター越しに客と笑顔を交わす自分を客観的に眺めると不思議な気持ちになる。
まるで虚像を演じているようで、本当の自分はどこかに置き忘れているような感覚だ。
けれど、夢を見失うわけにはいかない。
ネイリストになるための貯金は、まだまだこれから。
腰に貼ったホットパックがかすかに暖かく、重い生理痛を少しだけ紛らわせてくれる。
「やっと終わった…」
閉店後の片付けを終えて外に出ると、夜風が心地よかった。
シャイニングTシャツの胸元をそっと撫で、美輝は小さくつぶやく。
あの頃の父親の姿が頭をかすめたとしても、今はもう会うことはないはず。
そう思いながらタクシーを拾い、母親と暮らすマンションへ向かう。
慣れない接客で身体はくたくただが、スマホには友人の励ましと、遠距離恋愛中の彼氏からの「落ち着いたら連絡して」のメッセージが残っている。
ほんの少しだけ、心が救われる気がした。
第2章「遠距離のぬくもり」
美輝は駅前の改札を抜けてすぐのカフェで、50歳の彼氏と待ち合わせをしていた。
いつものシャイニングTシャツを黒いジャケットの下に仕込んでいるのは、彼が「君にいちばん似合うね」と褒めてくれたからだ。
久しぶりに会うというだけで心の奥が少し浮ついてしまうのが、自分でも不思議だと思う。
やがて人混みの向こうから彼の姿が見えた。
相変わらず優しげな笑みを浮かべていて、年齢差を感じさせない柔らかさがある。
「お疲れ。寒くなかった?」
その穏やかな声を聞くだけで、美輝は男性嫌いの自分がほんの少しだけ遠のいていく気がする。
映画館では話題のSFアクションを観ることにした。
美輝はヒップホップと同じくらい派手な映像作品が好きで、スクリーンいっぱいのアクションを食い入るように眺める。
隣でポップコーンをつまむ彼氏と顔を見合わせて笑うとき、自分がどれだけ心を許しているのかを改めて実感した。
そのあとは雑居ビルにある小さなシーシャバーへ移動する。
カラフルなライトとゆるやかな音楽が流れる空間で、彼は遠慮がちに美輝の手を握った。
「最近、ちょっと疲れてない?」
そう問われると、美輝は一瞬言葉を探す。
母親の買い物や借金のこと、コンカフェのことをまとめて話すには少し勇気が要る。
けれど、彼の落ち着いた視線を見ていると、ここなら大丈夫だと思える。
「実はまた母さんが買い物しちゃって、返済がさらに増えそうで…」
申し訳なさそうに声を落とす美輝の頭を、彼はそっとなでる。
「焦らなくても大丈夫。僕はいつでも話を聞くから」
その優しさに甘えることがまだ少し苦手だけれど、美輝は素直にうなずいた。
帰りの電車に揺られながら、スマホをチェックすると母親からのメッセージが届いていた。
「ごめん、また支払いが…」
短い言葉が画面に並んでいる。
美輝は軽く息をのんだまま、車窓の外の夜景を見つめる。
父親に襲われていた頃の記憶が、闇の底からひそかに浮かんできそうだ。
あの恐怖を思い出すたびに、男性への嫌悪感が増すのが自分でもわかる。
けれど、さっきの彼氏の笑顔を思い返すと、すべてを拒絶しないで済むような気もする。
駅に着いて改札を出ると、友人のアイコンが光っているのが見えた。
「おつかれ。デートどうだった?」
そのメッセージを眺めながら、美輝は自然と口元をほころばせる。
どれだけ借金が増えようと、父親の影が胸に沈んでいようと、この遠距離のぬくもりと、頼れる友人の存在がある。
不安に飲み込まれそうな夜でも、一歩ずつ進めるかもしれないと思いながら、美輝は改札を出てマンションへ向かった。
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