55Peace 「羨望形の悪魔」

「私めは内奥で叫ぶ」

「どれだけ人道をハズレても死ねない理由がある」

 この瞬間だけディミトリは、悪魔にとって脅威的な存在になっていた。

「私めは個人として悲願がある」

「それは主パラケルスス様を受肉することです」

「カレと契約した代償も、主パラケルスス様の為です」

 狼の体は瞬時に切断された。

「悪魔になってさえ主は崇高な存在でおられる」

「私めは少しでも力添え致したいのです」

 狼の体はこの場の死体を使って錬成し増殖できる。

「私めの魂は、錬金術の祖に従属する」

「故に、私めは悲願を追い求める動物である」

「私は叫ぶ」

「所詮私めは因果刑数ルールに囚われ、存続する動物なのだ」


「これは生理には逆らえない動物の、羨望です」

 悪魔が入った狼は、体の数を増やしていく。

 何千匹のコウモリやリスや蛆虫の体が、大きな狼の形に成形されていく。

 俺は、フランケンシュタインに出会った村の人たちの気持ちはこういう、言いしれないものなんだと初めて理解した気持ちになった。

 それでも、狼は脅威じゃなかった。

 数も質も問題にならない出来だった。

 どんな超越した理論も錬金術も、結果にあるのが狼でしかないのなら手数も速度も威力も上回った俺たちの敵では、まったくなかった。

 狼の姿で使う、生命を代償に精製した宝具も、そのルールを看破した俺たちに通じるはずがなかった。

 宝具を持たない狼は、どう見ても裸。どう見ても瀕死。そういう敵を殺し続けるのは探偵の聞き込みよりもラクだった。

「どうした、何も喋らないじゃないか」

 俺が挑発する。今のお前は何も出来ないぞ、と言う様に。

 事実としても悪魔は小一時間を無言でいた。

 その間、ディミトリはさっきの速度を三度目以降見せていない。対してグレイは蒼雷のレイピアを連続で使っている。

 姿が神父様じゃないからか、殺意が高まっているように見える。

 プランCは継続中。足場も武器も、地面からも逆杭にも魔手からも創り出せる。夜闇の全てから、そうやって2人をサポートしている。

 ディミトリの剣術の九割が騙し討ちだが、その定番のやり口は俺の目にも看破できないレベルになっている。それでいて殲滅力でグレイに劣っていない。

 そのディミトリが耳打ちする。

「さっきのヤツ、合図したら寄越せ」

 トートの短剣のことだ。俺は頷かなかった。

 それよりもパイプオルガンを確認した。

 壮厳な金細工の壁一面のパイプが煤にまみれて心配になる。壊れていたらクレア嬢も元に復元できるか分からない。


 総力戦は白星に見えた。

 けれどよく知った臭いが鼻にかかる。

 何十年何百年、慣れて知った。俺自身で作った惨状の街や村の臭い。

 赤い。饐えた雑菌のこびり付いた赤い臭い、血の臭い。

 あの麻痺した日々を贖っていたばかりの今、呼び起こされる臭いの記憶。

 そういう血が降ってくる。暗闇に浮かぶ月を嘲笑うような黒い、大きな塊の中で少しずつ、何かが磨り潰されて血が降ってくる。

 ぐるぐるぐるぐる回った塊は、コウモリの残骸のようにも見えたし、他の何かの生き物にも見えた。

 血の雨が降った。

 果たして今、悪魔は何ができるのか。まだ手札があったのか。

 俺には、あとが無くなった躍起な手口に思えていた。そういう狼の増殖が何かの準備だったのか分からない。

 悪魔の声がする。

「既に私めは語るまでもない私の悲願はここにあった」

「あと少しだった」

 そして地面が大きく揺れる。

 血の雨が池を作りやがて血の海が出来た。その淵から床が抜けて崩壊していく。

「たった今、更に少しですが人間を理解できた気がします」

 もうひとつの音響のように、悪魔の声は何処かしこから響いて聞こえた。

「人間とはティネスさんのような目をするのですね」

「俺は人間じゃない」

 否定する。けれど嬉しくないはずなのに、どうしてか一抹の嬉しい気持ちが沸いてくる。

「人間は時折りそんな目をされる。主パラケルスス様はそうして、生前のおりに仰っておられました」

「それは尊いお姿で「人々をより多く助けられる医学を築きたい」と」

「こうも仰いました「私の研究が継承できたならそれで良い」と」

 それに応じる。

「パラケルススってのはよっぽど高尚な人物だったんだな」

 黒い塊は少しずつ俺の高さまで下りてくる。

「当然です。主は継承できればいいと謙遜なさった」

「しかし、私めは悪魔でも子孫を作れない単一の存在ですから、私めが主パラケルスス様をご復活さし上げねば行けないのです」

「人間の種は恐ろしい」

 その脈絡のない恐怖を表現したセリフは、嫉妬の言葉だった。俺が今回初めて知覚した、悪魔の人間らしい感情だった。

 俺たちは崩壊した足場を避けていく。

「ティネスさん、ここは引いて下さいませんか」

「なぜ」

「私めが主パラケルスス様を復活させることが出来たなら、それ以上は人間に関与いたさないと約束します」

「断る、より厄介なことになるはずだ」

「しかし、主のお考えは私めの知るべくもないのです。では褒美を差し上げます」

 悪魔はここまでは予想内のように話す。

「金も知識も、手篭めも屋敷も与えられます。名誉すら自在に掌握さしあげます。選んで言ってください、ティネスさんの望みを」

 悪魔は女になりきったような誘惑する、しかし必死さの欠片も見えない声で言った。

「何も無い、交渉決裂だブラッド」

 俺は名乗られた悪魔の名前を呼んだ。

 2人は俺を信じてたかのように小さく頷いた。

 少し間が空く。

 悪魔が言う。

「それでは、それこそ信念の対決になりますね」

 悪魔は言いながら完全に地下まで降りていく。

 俺たちはここに来てまで与太話を聞かされていることに、退屈という怒りを感じていた。

「果たして、ティネスさんの信念はそれほど偉いのでしょうか?」

 そして憤りの声で次を言った。

「私めの孤独の三千年と、出会ってからの二千年の信念より、私めより傲慢になる資格がお在りでしょうか?」

「どちらがより、傲慢の鬼になれるかの勝負をしましょう」

 しばらく時間稼ぎと致します。と加えた。

 俺は俯瞰していた。悪魔の魔力はどれほどあるのかと。銀がダメなら聖水はどうか。雷がダメなら何が必要か。

 ただ持久戦が続くのは危惧することも多い。

「だから、1人で考えるな悪いクセや」

「お前らはまだ行けるのか?」

 ディミトリの言葉にハンドサインで返しつつ、2人は頷く。

 グレイの表情は余裕が消えていた。察すると、あの強がりが、強がる余裕もないのだ。

「ディミトリはあとで話がある」

 俺から行って肩を叩いて、過ぎる。

 そうしたのは、もう2人は体力が無くなっているからだ。

 総力戦は思いの外、効いていた。

 確かにまだ悪魔には余裕があった。俺が行かざる負えないじゃないか、プランBもプランDも必要な気がする。

 肩を掴まれる。

「おい、FUCKじゃねぇんや」

「お前、話し聞いてないだろ」

 ディミトリがまくし立てた。

「そっちこそ疲れてるだろ」

 2人で言い合った。

 でも言ってる場合じゃなかった。あの狂犬が来たからだ。

 同時に言葉が刺さっていた。俺の信念の価値について、それは答えがないことは分かっている。

 ただ揺れたのは認めなければいけないとも、分かっている。

「人間は……」

 俺は一足に、無数の群体になったティンダロスの猟犬たちに、飛びつく勢いを付けた。

 考えたんだ。

 人って、自分たちが思っているより。ずっとずっと脆いでしょ。

 思い出したけど、親父と農奴と皆で皮肉を言い合ってた時も、地味に心が疲れてたんだよ。

 人間は凄いさ。でも実は複雑なものだろう?

 でもそういう話しができるのも、幸せなんだろう?

 だって。

「人間は生命いのちあっての物種たろう!?」

 唱えた。諾歩陰だほう浅黒背陰ローブ、魔手操作。

 ククリナイフ、手斧、あらゆる銃、黒色火薬も近大の口径のも全部。全盛の攻撃をした。


 路地裏で苦戦した狂犬の正体はティンダロスの猟犬と教えられた。性質が、角度を通り抜けて麻痺毒があるなら、曲線の手で摘んで潰せばいい。

 弾丸なら曲線だから撃ち殺せる。

 俺はどうしても総力戦を避けたかった。

 誰も死なせない。不幸の犠牲はいらない。誰も恩人に裏切られることはない。そういう世界を一緒に作りたい。

 本丸はどこにある。何をしたら悪魔を殺せる。

 終わりはどこにある?

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