50Peace 「クジラの跳鳴」

 2人の距離は成熟した。

 俺はもう、単独戦闘が危うくて止めることを考えていた。

 ディミトリの表情も、堪えようがないようだ。

「ふぅー」

 グレイからは柔らかい母音の空気が漏れる。黄金の雷が纏われている。

 俺は確かに同情していた。ここで止めないとグレイが死ぬかもしれない。速さとか技術とかそういう問題ではなく。神父様もまた、能力を隠している。グレイが雷を操るように、神父様も計算高く用意しているはず。

 もしかしたら、何重にも用意があるのかもしれない。だってまだ吸血鬼の形態を取っていないからだ。

「私の中に悪魔がいる」

 たしか神父様はそう言った。

 クレア嬢の話を踏まえて、どこの出典の悪魔だと思考する。

 カトリックが召喚者だからキリスト的悪魔だろうか、魔を指して悪へ導く、狂わせるのだろうか。

 それとも、錬金の知識の方から何かあるのか。

 対話を許可した挙句になんだが。端的に言って、グレイには戦いを回避して欲しかった。

 それくらいには心配だった。


 雷光は跳ねた。

 いかづちは瞬時に蒼くなって、空気と摩擦で周囲が一気にが冷え込んだ、その証拠にトーチ代の炎が消えた。

 雷だけが照らした小さな場所で一瞬きりの出来ごとだ。

 俺はジェシカの時空魔法の加速時に使った。極めて優秀の洞察力を使って対策していた。 

 グレイは、低い姿勢から神父様の心臓まで一直線に動き出す。

 一歩目から既に神父様は反応していた。

 グレイの二歩目、床をいなないた。

 三歩目に腕を伸ばした。次がレイピアの間合いでタイミングだ。

 四歩目……。

 神父様は既に振り下ろしていた。

 蒼い。雷がグレイの身体から纏わりを解かれて、直線のまま神父様に激突していく。雷だけが神父様を攻撃した。

 四歩目、グレイは動きを停止させた。瞬時に再度の加速を見せる。恐らく雷がショックボルトのような麻痺的効果があって先行させることで、完全に不意を突くつもりだ。

 ――――――メキメキメキ!!

 予想を裏切って、杖が弾けた。

 それが僅かに目くらましになりかけた。でも問題はそこじゃない、杖の中にあらわに見えたのは、鋭い刀身だった。


 ――――――キャンッ! レイピアが彼方に弾かれ吹き飛ぶ。

 杖は隠し刀になっていた。刀が避雷針になって帯電反応で杖のガワが弾けたんだ。

 これがグレイの戦術がまったく計算違いに転倒した。

 グレイの戦術はこうだった。

 まず麻痺をかける。次に、素早く反応した神父様に空振りをさせる。そして一突き。

 単純で緻密な技術の技だった。

 でも予想外の肝心要の避雷針は、帯電で一度、運動的なエネルギーのまったくを失った。ガワの木の爆発で全部消えた。

 そこに神父様は遅れを取らなかった。

「神父様の正義を以てグレイの正義が潰される」


 ――――バン。

 一音で場が立ち直った。

 グレイはほんの一拍子のうちに、ステップの偏向と急加速をしてしまった。

 たったの一歩の中で白い刀身がグレイの懐から、一気に抜き出される。

 刃が帯電して緋熱を帯びた。

 俺の耳にも、一音が神父様の結末を報せたかに見えた。

 2人のからだが左右に揺れる。今度は組みついて一歩二歩。

 あまりに静寂した脚だ。間の抜けた結末だ。

 懐刀は五分まで刺さっていたが、十字架が阻んでいた。

 躯が衝突する音だ。


「……っ、先生! 自供して牢に入って貰えませんか!」

 促したのは、聖堂に響く、呼びかけのようだった。

 グレイは殺せなかった。

 その頃にはすっかり雷が冷めて。唯一の光源が消えた。

「何故?」

 神父様は問う。

 俺は、神父様にとっても分かりきっているのに、どうしてわざわざ聞くのかと思った。

 でも涙に答えを求めていなかったことが見えた。

 こんなシーンが神話にあったかもしれない。

 神父様は涙を流した。顔が寝違えていた。

 まるで天使ミカエルが裁きを下したかのように。天から下りた何かを見つめているかのような、アホな顔で泣いていた。

 それを見て、グレイは懐刀を落としてしまった。

 同時に紐が抜けたように、けた十字架も、アルコール液を漏出させながら床に転がる。

 グレイは抱いた。神父様の太い肩を、封じて覆うように抱いた。

 抱かれた神父様は、喉をヒシと締めて涙が流れるままに、聖堂の十字架に祈った。

「私が! パンを求めている自分の子に石を与えるだろうか。魚を求めているのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは邪悪であっても、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、天にいますあなたがたの父は、求める者に良い物をくださるに決まっている」

 神父様は息をする。クジラのうめきの音程で、喉が鳴る。

 まるで、致命的に傷を受けたクジラの、鳴き声のよう。

「確かに、主は良い物を下さった」

「ええ、悪魔と契約すらした私に。我が父は我が子からのゆるしを下さった」

 それから笑った。

「もし、適うなら」

「叶うなら、悪魔に交換を願った、彼女の生命を、どうか、どうか向こうからお救いください」

「異教の悪魔。悪魔パラケルススとその使い魔よ! 私の命を持って行ってください。どうかどうか契約の解消を!」

 ――ドスン。

 喘ぎ声のあと、膝の力を失った神父様はグレイを巻き込みにして崩れ落ちた。

「先生」

「――どうか何も言わないでください」

 神父様の、あまりの醜態にグレイは哀願する。

「ただ、世の理に逆らわないでください」

「悪魔と契約交わしたのは間違いだと、分かって下さいましたね」

 グレイは消え入るような調子で叫んだ。

 神父様は絶え絶えの喘ぎ声で言う。

「分かったよ、心底から分かったよ、我が父イエス様に誓って、二度と悪魔に没したりはしないよ」

「こんなにも、こんなに温かみを持った子らを殺していたなんて、……グレイさんの顔を見ていれば死ぬより辛くなったんだ」

 2人はより強く抱き締める。

「そうでしょう、そうでしょう。私からも懺悔があります。私は神の家ココで育ちながら信心を放棄しておりました。長く、祈りを唱えていなかったのです。この罪深い私めに再び、この先生と主との日々を、神父様。どうか未来を赦してください」

 ここに幕が下りる。これほど心地よい静寂はあるだろうかと。

 それから、月は傾いて2人の足下まで照らす。

 グレイが肩から抱き締めて、神父様が下から腰の上を包む抱擁はルネサンス画のようですら、喜劇にすら感じられた。

 俺たちも月の光に照らされて、2人の長く愛おしい光景を見守るつもりでいた。

 

「いけない!」

 その時、神父様は戦いの覇気を取り戻したように叫んだ。なぜか神父様は剣を握っている。

「娘よ! やはり私を殺せ! もう宝物を捧げて知恵を振るうだなんて、許されない!」

 殺せ殺せ、そう言いながら、剣を持つ手を震えさせている。

 グレイは何を考えている。抱き締めて離さない。

 まさか。

「今は素人考えで無茶をする時じゃない!」

 しかしグレイは、強く強く抱き締める。

 神父様は恐ろしい顔をして言った。

「しかし契約の誓いは顕現するぞ」

 ノイズのかかった魔物の声だ。

 けれど諦念の嘆きだ。

「よせ! 諦めるんだ! 私にとっての願いはいい! 近くに未来があるんだ!」

 再び魔物になって言う。

「人間がそうであるように、我々の魂もじょうから逃れられない」

 それを、聞くに堪えないという様で、目を瞑りながら今にも耳を切り落としてしまう勢いで抱き締める。

 ――そして、喫煙の時の威厳を取り戻しながら言った。

「しかし、もういいんだ、もういいんだ」

 そうだ、何をしている、私を殺すんだ早く! 我が弟子よ、切り落とせ! 首と心臓を!

 そういいながら刀はグレイに近づいた。

 俺は言うようにしたかった。問題の種が大元から刈り取れるなら、そうしたい、それを許可されている。

 でも、グレイが一体になって離れない、しかも腕の中で、その師を殺すわけには行かないじゃないか。

わたくしめも魂の消滅は避けたい。やむを得ない」

「駄目だ! わたしは諦めた。彼女と、エリーゼと再び、連弾でオルガンをやる日常や、顔を重ねた接吻の全部を諦めたんだ!」

「違うはず、お前の欲望には全てがあったはず。そのエリーゼを亡ぼした神への反逆を含む、理不尽への憎しみを、私めは肯定した」

 ――――今度はお前の意識を残してやれないぞ!

 嘆きや訴えや、説得を。全部に回答してみせた悪魔はついに顕現した。

「グレイ、ディミトリ、来るぞ!」

 しかし、ある訳もない事件が起こる。悪魔より悪魔的で、より直接的で物理的で、美しいカラシニコフのAK47より根源的な暴力……。

 ――ダンッ!

 火薬の匂い。

 グレイは腕を解いて、立ち上がって後じさりする。

「どうして……」

 どうしようもないような泣き声で、言った。 

 この瞬間に、が消えていた。

 後じさったグレイを見るに、肝臓を撃たれていた。致命傷だ。

 何歩も、ありえない顔をして下がるグレイは本能で帯電を始めた。裂けた十字架のアルコールに引火した。

 間もなく聖堂は燃え広がる。

 もう神父様の姿は、跡形もなく消えてしまったかに見えた。

 しかし、常軌を逸した精神の力が立ち上がった。

「我が人生は家族と愛と喜びにあったぞ!」

 聖堂に轟く声。神父様の正真正銘のセリフだった。

 しかしそして顔がシラケて見えた。

「失礼、初めましてアリナ・グレイスさん」

「そちらのティネスさんは2度目ですね、失礼、この神父の記憶で名前を知りました」

 神父様が消えて悪魔が現れた。

 悪魔はそう言って神父服をそのまま、神父様の顔でお辞儀をする。貴方が私めの敵ですよティネスさん、と。

「私めは、主人パラケルススのギリシアの使い魔、こちらではブラッド・C・ライダーと申します」

 それは、俺がローラと初めて出会った時、激闘の疲労に現れたあの、吸血鬼だった。

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