46Peace 「決戦の前夜」

 返しのついた刃は、飛翔するタクティカルナイフをキチリと掴まえた。

 意図も簡単に方向を狂わせられたナイフ。減速し、ティネスの掌中に納まると。ティネスは幾重もナイフの飛び交う間合いをスルりと、身軽な猫のように合間を抜けて接近する。

 ほぼ同時。

 緩急を弛めない近接戦闘。

 足だ。

 タクティカルナイフは立ち所に、プレートアーマーの関節プレートの稼動を入り込んで妨げる。

 両腕で二本、ティネスから放たれたナイフがまず2人の片足を封じたのだ。

 エマとパブロフは十分に移動できないことを瞬時に理解すると、その同時のタイミングで2人で股間と頭を攻撃した。

 着地直後のティネスは双方向から来るナイフを対処する。

 エマが股間を下から、そしてパブロフが頭を。ティネスはまず足でエマの肘を蹴って、パブロフの攻撃は無視して内に回って外にはけるように首ごと肩を回した。

 簡単に制止されたエマとは対象に、パブロフは間近の正面にやや屈伸したティネスの背中を拝むことになった。

 そしてティネスの両腕はパブロフの脇の下に入った。

 パブロフの攻撃が空振りに終わった次の瞬間。ティネスはパブロフを背中に抱えたまま身を大きく屈めた。

「ガッシャン」

 パブロフの身体は内蔵が浮いた感触を残したまま、背中からエマの身体へ叩きつけられた。

 本当に効率的でキレのある体術だ。体術だけで、2人はされたのだった。

 エマとパブロフは苦痛に顔をいがませ、絶望感をひしと纏って喘ぎ声をだす。

 一方で、下を見ずエマの腕を足で軽く踏んだまま、空を仰いでいたティネスは言った。

「肩が温まってきた」

「他に挑戦したい者はいるか?」

 ティネスが投げナイフを教えたのは2人だけじゃなかった。大勢の精鋭が囲んで観戦していたのだ。

「…………」

 しかし静まり返る。精鋭たちの目は恐れを抱いていた。

 ティネスという教官の吸血鬼という力を使わずに、ほとんど身のこなしだけで2人を倒してしまったからだ。

 深遠な技術に恐れている。

「俺とお手合わせお願いします先生!」

 その中でも一人が声を上げる。

 結局。

 その一人の勇気が流れを作ってしまいティネスは、その場の全員を相手取りボコボコにしてしまうのだった。

 同じく観戦していたローラが冷かして、妙に焚き付けもしてティネスが全員を居酒屋につれていくことになった。

 使わず、貯まりに貯まった給金があった。ローラは話してそれを知っていたのだ。

 この日、ティネスは全ての持ち銭を酒代に使い果たしてしまう。

 これを受けて最中のティネスは、手洗い場に行って一人、誰に言うでもなく小言を言った。



 グレイを見学してから一週間が経って、俺はその日を明日に控えていた。

 決戦日前日の夜、俺はシャワーを浴びていた。

 探偵をやって以降、思い出す夜がある。

「ザーーー」

 水の音が浴室を包むけど、俺の地獄耳には役不足だった。

 考える頭は、音で掻き消えてくれたりはしない。

「記憶がうるさい!」

 ――――――口に入った水を飲む。

「目が! 肌が! 爪が! 髭が! 肉が! 所作や咳が!」

「恐怖や困窮や疲労の息詰まりを覚えてる!」

 水音は声だけを掻き消す。

 俺は見た物を焼き付けていたから。

 洞察力? こんな思いを知ることになるなんて分かってたら要らなかったはずだ。

「なぜあの子供は、親に殴られている?」

「なぜ助けられない! 法律は何をしている?」「なぜ親は子を愛さない!」

 厳しいにしても、少なくとも俺は父に愛されていた。

「他にも!」

「助けを拒絶する老婆や! 一片の血のついた布を大事にする少年や! 男の乾涸びた足を抱いた女!」

 涙が流れているかのようにシャワーを浴びた。

「ドン!」

 壁を叩いた。

「しかし街は平和だ! どうして街は正常なのか!」

「いやまさに静寂だ!」

 壁に触る10本の指が硬くなる。

「厚顔無恥で不遜に、烏滸がましく要求して、訴えて、ボイコットやテロを起こした方がマシだ!」

「なぜ満足を求めない」

 力が入って奥歯が欠ける。

「人はなぜ、パンを食べても餓えるのか」

 心底、羨ましい。

 ――哀しめることが。

 吸血鬼と違う、有終の人生がどれだけ賭け外のない幸福か。

 人が人であることに嫉妬した。

 人が人らしく生きられないことに同情した。

 金物屋のゲビンのドワーフ族の誇りと、向けてくれた優しさが。

「嬉しかった!」

 どうして、そんなに不幸に囚われる?

 悲しみに慣れてしまったのか。無限の命の中で。

「なぜ俺はシャワーに涙を代行してもらうんだ?」

「なぜ相棒は俺を吸血鬼にしたんだ?」

 ゴン!

 浴槽を蹴って割れた音だ。

「俺は感染者だ」

「ははは」

 ひとりごとを止めるつもりでシャワーを止める。

「俺は故郷で相棒に同情されたんだ」

「同情が感染した」

 足が、浴室から動けない。

「キツいぜ、相棒」

 手紙には書いてなかったよな、どこにいる?

 思いながら浴室の出口のノブをひねる。

「コンコン」

 タイミングを揃えたかのように、ドアをノックする音が鳴る。

 音の調子からして、背が低いことが分かる。それにそれらしく力がない。子供のようだ。

 どうしたのかと思って、急いでバスローブを纏う。

「もうすぐ出ます」

 こう言った時から、荷物を下ろせた気がしていた。


「こんばんは、というかお疲れ様だな」

 低い位置から挨拶がされる。

 そこには、冷たい声がよく似合う女性がいた。

 背が低い女性で、ウチを訪ねるような人は2人しかいなかった。ローラかクレア嬢だ。

「よぉ、明日だよな……分かってる」

 決戦を言おうとしているのだと思った。明日の夜だ。

「それもあったが、話しに来たんだよ」

 クレア嬢の肩や、髪が濡れていた。

 外は雨が降っていた。

 俺は道を開けて奥へ迎えた。

「そうか、まぁ、俺が借りてるんじゃないけどな」

 リビングは来客用の椅子なんてない。けれど椅子に座ってもらった。

 俺はソファーに座る。

「どうしたんだ?」

 俺が切り出した。

「どうかしてるのはお前の方だ」

「……」

 脈絡がないことに驚く。

「ああ、実際に私は話すことを忘れた」

「そうか、やっぱりタオルを持ってくるよ」

 行きながら、頭が効かないことに自分で責めた。

「なぁ、なんだが」

 リビングへ戻ると、歯切れ悪いセリフが聞こえる。

 クレア嬢は勝手にキッチンを使っていた。お湯を沸かそうとしている所みたいだ。

「お前、泣いてただろ」

「泣いてないし、吸血鬼は泣けないんだぜ」

 即答する。

「ズボシだな」

「全然ちがうし」

 俺はバスタオルを手に持ったままクレア嬢に寄った。見れば多少、髪の水分が拭われていた。

「悪いな、そのタオルは用なしだ」

 いつもの皮肉だが、でも心做し元気がない。

「どこのタオルを使ったんだよ」

 聞くと、クレア嬢は指を指す。

 ほとんど使わないが、かけておいたキッチンのタオルだった。

 俺は呆れた。

「なぁ、でもな」

 途中で話題を変えた。

「お前こそ元気がないんじゃないのか?」

 言いながら視線を動かす。調理スペースの横にティーカップが2つ並んでいた。

「どうしてカップの場所を知ってるか? て顔をしてるぞ?」

 クレア嬢はニヤニヤ笑っていた。

 頷く。

「私はな、べつにミレニアムの発動をしなくても、粒子の計算ができるんだよ」

 俺は訝しんで聞いた。そして。

「つまり視覚的に、粒子原子や体積と流れを理解出来るんだ」

 俗な言い方だが透視能力だ。と加えた。

「へーー」

 頭脳は、天才の域を迎えるとそうなんだ。と思った。

「実は泣いてたんだ」

 紅茶を2つの手の中に、俺は告白した。

「吸血鬼のクセに」

 クレア嬢は毒ついた。

 さっきの俺の即答を、そのまま応酬されたらしい。

「そうだな、確かに」

 俺は笑う。

「クレア嬢はどうなんだよ」

「私は……まぁそのウチ話すさ」

「それはまぁ、待ってるよ」

 俺はカップの中の湯気を見て、深呼吸をする。

 温度が分からない――。連鎖して幾重もの思考が逡巡して、話そうとする前に喉が詰まる。

 口を開いて舌がからまった。

「相当なんだな」

 見かねてか、クレア嬢は言った。

「気楽にできる話じゃないが、先に例の話をしよう」

 頷く。

 浴室に置いてきたはずの気持ちが、蘇って妨げる。

「明日、私は対物ライフルで狙撃する」

 ズシン、胸が沈むようだ。

「でもそれは、お前たち3人で決着が着かなかった時だ」

 冷たい声。残酷な口調で現実を言うのがクレア嬢だ。

「だから、しっかりやれ」

 でも気負うんじゃないぞ。と加えた。

 そうだ。

 ――やるべきをやれるように、悩んでいる場合じゃない。

「もういい、悩みは全部話すよ」

 そしてティーカップの温度が冷めて、水位が白い底を見せた。

 傾けて指についた、香りの余韻が喉を満たした。

「しっかり聞いたぞ」

 クレア嬢は頼もしく頷く。

「聞いたぞ」

 少し震えて繰り返す。

「知っているよ、引きこもっているばかりじゃなかったさ」

 冷静に聞こえて、実は俯いている。

「私は、彼ら彼女らみなを信じている」

 クレア嬢は顔を上げて胸を張った。

「一時的に、私たちが……助けても、その後の皆は困窮を自覚し、そして、不幸を理由に弱者に甘んじるんじゃないのか!」

 クレア嬢は一滴も紅茶を飲んでいない。

「私は見てきたぞ、簡単に援助を受けた人間がどれほど簡単に没落するか」

 そしてきたないかを。

「私は見てきたぞ! 庶民の中から愛する者と離れ、覚悟して戦場に望む英雄たちを」

 この街の外でも。

「私は見てきたぞ! 滅亡と再生の歴史。友情や数多の愛の形を」

 どんな状況でも。

「立ち上がる力を、皆は備えているんだよ」

 ティネスも分かるだろ。

「俺は分からない! だって今まさに、子供が愛に飢えているんだ!」

 親のいる子供は、ネグレクトでも法律は機能しない。

 俺は立ち上がる。

「俺はこの街に来て知ったんだ! 親の言葉を信じて教育を拒絶する子供の目を!」

「そっちこそ分かるだろ!」

 言いたいことを言わなきゃ気が済まなくなった。正論では人は救われない。

「分かるさ、誰よりも一万年をいろんな世界を見てきた」

 数字の膨大さが俺は堪えられない。

「長生きってそんなに偉いのか? 俺は持て余して死にそうだぞ!」

 おかげでローラと皆に出会った。

「私は蓄えたぞ、生命の記録を!」

 初めてのクレア嬢の怒声だった。

「私は知っているぞ、目の中のやいばが奮い立って! 共に生きる為の平和な炎になる姿を」

「詭弁だ! 綺麗言だ! 理想論じゃ飯は食えない!」

「バチャン!」

 紅茶を顔にかけられた。

「目を覚ませ! 希望はパンより雄弁だ!」

 俺は、歯噛みした。

「俺は、その冷静さが妬ましい」

 バスタオルが、目を塞いだ。 

「すまないな、だが……世は残酷を許容して生きるものだ」

 温かい。はずのタオルが柔らかく、氷を溶かす。

「ほんとうに、羨ましいよ」

「そうだろう、年寄りの知恵袋だ」

 皮肉が通じない人だ。

「飲むよな」

 またクレア嬢は台所に立つ。

 遠慮もなく道具を使う。

「コーヒーだ。眠れない夜になる……かもな」

 わざわざ新しい皿に乗せてコーヒーを持ってきた。

「元々、吸血鬼は眠らない」

「そうか」

 短い返事の後に、この水分を吸ったタオルを差し出せと手が伸びる。

「実は、前に話した吸血鬼の子供たち、遺伝の変異で吸血鬼になってしまった子供たちの村がある」

 そこに保護しているんだ。と口説くように言った。

「スタンピードのあと、落ち着いたらティネスに託そうと思っているんだ」

 ここで初めてクレア嬢がコーヒーを飲む。

「それは、どういう理由で」

 俺は器じゃない。と思った。

「お前は元々、吸血鬼だったろう?」

 それに。と言う。

「ティネス。お前は子供が好きだろう?」

 クレア嬢はニヒリと笑いながら、首を振った。

「だから常に、ティネスなら優しさを伝染させられると信じているんだよ」

 孤児院のガキどもの顔が思い出される。

「全部分かってるみたいな言い方をするんだな」

「全部分かってるんだよ、透視能力は、特権だからな」

 満面の笑みで言った。冗談だと示すように。

「笑うなんて珍しいな」

 俺はコーヒーを飲んだ。

「何を言ってる。ずっと笑っていたよ。両方の意味で、心でな」

 言って軽快に笑う。

  

「いやな」

 言い難そうに話始める。

 もじもじとカップを包み、指を交互に上下していた。

「私の話」

「昔話をしよう」

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