　時の塔は、悠久（ゆうきゅう）の時を飲み込みながら孤高（ここう）を貫く存在だった。その塔には、五千年に一人ほどの頻度（ひんど）で訪問者が現れる。外界では何千年も流れ去る間に、塔の中ではほんの一日しか過ぎない――それは塔の魔力がもたらす異質（いしつ）な時間の流れだった。

　訪問者たちは、人間、エルフ、獣人（じゅうじん）とさまざまな種族だった。しかし、彼らの多くは迷い込んだ者たちであり、目的意識を持たない者ばかりだった。彼らが塔を探索する姿を、司書は隠された影の中から観察していた。彼女は魔法によってその姿も気配も完全に消し去り、塔を彷徨（さまよ）う訪問者たちが自分の存在に気づくことを許さなかった。

　訪問者たちは奇妙な本に触れるたびに困惑（こんわく）し、時には苛立（いらだ）ちを隠せなかった。塔の書物には理解不能な文字が並んでおり、意味をなさない文章ばかりだったのだ。彼らは諦（あきら）めと共に塔を去り、外界に戻ると自分たちが元いた時代が遠く過ぎ去っていることに衝撃（しょうげき）を受けるのだった。塔で数日過ごしただけで、外の世界では数千年が経過している――その現実が彼らの証言を神秘的（しんぴてき）な伝説へと変えた。人々は塔を「時の塔」と呼び、その存在を求めて旅に出る者も現れた。

　しかし、時の塔は決して容易（ようい）には見つけられない。その姿は霧に包まれ、気まぐれに現れる。多くの冒険者たちはその探求の途中で命を落とし、あるいは塔を前にして挫折（ざせつ）した。それでもなお、時の塔を求める者は後を絶たなかった。

　そしてある日、一人の訪問者が現れた。彼はこれまでの迷い込んだ者たちとは異なり、時の塔そのものを目的としてやってきた初めての人物だった。彼の名は「大賢者」。若くして魔法の頂点（ちょうてん）に立った彼は、世界の真理（しんり）を求めるために時の塔を目指したのである。

　司書はこれまでと同様に、彼を影から見守った。彼が塔の書物に触れ、他の訪問者たちと同じように何も得られず去っていくのだろう――司書はそう考えていた。しかし、彼は違っていた。数日が過ぎても彼は塔を後にする気配を見せず、自らの住処（すみか）を作り始めたのだ。

　司書は困惑（こんわく）し、その行動を煩（わずら）わしく感じた。彼女にとって自由は至高の価値であり、それを他者に侵されることは耐えがたい屈辱（くつじょく）だった。彼女の静かな生活は、その訪問者によって乱されつつあった。彼の存在を意識することで、図書館を歩く足取りさえも慎重（しんちょう）にならざるを得なかったのだ。

　そのうえ、大賢者が塔の書物を片手に何かを呟きながら読みふける姿は、司書の胸に奇妙な感情を芽生えさせた。嫉妬（しっと）――それは彼が何かを見つけ、理解し、塔の秘密を解き明かすかもしれないという恐れから来るものだった。

「なぜ彼だけが、塔の秘密に近づくことが許されるのか？」

　司書は心の奥底で自問した。そしてその疑念（ぎねん）が次第に募（つの）り、ついには彼女自身の存在理由を揺さぶり始めた。ある夜、彼女はついにその感情に耐えきれなくなり、静かに姿を現した。

「何を探しているのですか？」

　司書の声は冷たく、しかしどこかに沈んだ哀愁（あいしゅう）が込められていた。大賢者はその声に驚き、振り返った。彼の目に映ったのは、星空を纏（まと）ったような服を身にまとい、紫の輝きを放つ髪を揺らす司書の姿だった。彼女は彼の瞳を捉（とら）え、その奥に潜む本心を読み取ろうとするかのようにじっと見つめた。