放課後の善意探偵

やすたか

優等生の答案に潜む謎 事件編

浅井慎吾は、自分の席に座りながら、試験開始を告げるチャイムを待っていた。教室全体には独特の緊張感が漂い、普段のにぎやかな雰囲気とは全く違う。机に座るクラスメイトたちは、それぞれ違う方法で試験前の時間を過ごしている。

慎吾が通うこの高校は、県内では平均的な公立高校だ。校舎はやや古めだが手入れが行き届いており、教室には基本的な設備が整っている。部活動が少し盛んで、特に運動部の活気が学校全体の雰囲気を明るくしている。ただし、勉強に力を入れる生徒も少なくなく、試験期間中は教室に漂う緊張感が一層高まる。

慎吾はふと、教室の後ろの席に目をやった。クラスの一番後ろ、窓際に座る三浦茜が視界に入る。茜はシャーペンをくるくると回しながら、教科書もノートも机に出さず、つまらなそうに天井を見上げている。

「茜……あれで大丈夫なんだろうか?」

慎吾は内心そう思った。三浦茜はお調子者でおっちょこちょいな性格だ。授業中には思わず声を上げて笑いを誘ったり、先生に注意されることもしばしばある。どこか憎めないところがあり、周囲に気楽な雰囲気を与える存在だが、今のようにやる気が感じられない態度を見せられると、さすがに心配になる。

その前の席に座る真鍋和真が、少し姿勢を正しながら参考書に目を落としているのが見えた。

真鍋和真。慎吾の少し前の席に座る彼は、このクラスでも早くから「優等生」として認識されている存在だ。今も教科書に目を落とし、何かを静かに確認している。その落ち着き払った態度や整然とした筆記用具の並びを見ると、まるで試験を受ける準備などとっくに終わっているように見えた。

「真面目なやつだよな……和真。」

慎吾はそんなことを考えながら、自分の筆箱を開け、シャーペンを手に取った。

ふいに、茜が前の席の真鍋に向かって小声で何かを言った。慎吾の席からは聞こえないが、真鍋は一瞬だけ振り返り、短く何かを返すと、再び参考書に目を落とした。その無表情な横顔には、茜の言葉を気に留めていないかのような冷静さがあった。

その隣の列では、慎吾とは小学校以来の付き合いである篠原佳織が参考書を広げ、問題集のメモを最後まで見直していた。クラス委員を務める彼女はいつも冷静で真面目だ。制服もきちんと着こなし、どんな状況でも落ち着いている。その姿は慎吾にとって少し遠い存在に見えることもあるが、頼りになる人物だと感じていた。

一方、教室の中央付近では、井上拓海が寝起きのようなぼんやりした顔で机に突っ伏しているのが見えた。彼はいつも遅刻ギリギリで登校し、授業中も眠っていることが多い。しかし、運動神経抜群で、体育祭ではいつも活躍するため、意外とクラスでの評価は悪くない。

入学してからまだ2か月足らずだが、このクラスにはいろんな人間がいる。自分と同じように試験に緊張しているやつもいれば、茜のようにまるで他人事のように見えるやつもいる。それでも、何だかんだで一緒に過ごしていると少しずつそれぞれの個性が分かってきた気がする。

そんなことを考えていると、廊下の向こうから教師の足音が近づいてくるのが聞こえた。教室内のざわつきがピタリと止まり、教室全体に緊張が走る。

「はい、静かにしてください。」

教師が教室に入るなり、手元に持っていた答案用紙の束を机の上に置いた。その音が静かな教室に響き渡る。

「これから1学期中間試験を始めます。最初の科目は世界史です。まずは答案用紙を配りますので、名前の記入は解答開始前に済ませておいてください。不正防止のため、名前をボールペンで記入してください。」

教師の声が低く響く中、答案用紙が前から順に配られていく。慎吾の手元にも白いマークシート用紙が回ってきた。印刷された「世界史」という文字を見た瞬間、彼の胸が少しだけざわついた。

「世界史か……なんだか緊張するな。」

慎吾は筆箱からボールペンを取り出し、答案用紙の左上にある「氏名」欄に自分の名前を書き込んだ。周囲からもペンを走らせる音が聞こえる。

そのとき、後ろの方から小さなやり取りの声が聞こえた。真鍋と三浦が何か話しているようだ。慎吾の席からは言葉の内容までは分からなかったが、どちらの声も抑え気味で、意外にも緊張感を感じさせるようだった。

「なんだろう……」

慎吾が気になりかけた瞬間、教師の声が再び教室に響いた。

「では、これより試験を始めます。解答を始めてください。」

その声に促されるように、慎吾は答案用紙に目を落とした。気にする暇もなく、試験が始まったのだ。



「答案を回収してください。」

試験終了のチャイムが鳴り、教師の指示が飛ぶと、教室全体がほっとしたような空気に包まれた。一部の生徒は椅子に深くもたれかかり、ほかの生徒は答案用紙をすぐにまとめ出した。

一番後ろの席に座る三浦茜が立ち上がり、答案を受け取りながら前へと歩き始めた。「はーい、次、早くしてよー」と軽く声をかけながら、特に急ぐ様子もなく淡々と作業を進めている。

茜は軽くうなずき、受け取った答案を他の答案と一緒にきちんと重ねて持ち歩く。

その途中、前の席にいた真鍋和真も答案を差し出した。

「これ、よろしく頼む。」

真鍋は答案を渡す際にそう一言添えた。茜はそれに対して無表情で小さくうなずくだけだった。

茜が慎吾の席に近づいてきた。慎吾は自分の答案を手渡しながら、「お疲れ」と声をかけた。答案をすべて受け取り終えた茜は、答案の束を胸に抱えると、そのまま教卓に向かって答案を置いた。そして、特に気にする様子もなく自分の席に戻る。

試験はこれで終わりだ。次の休み時間を迎える教室には、少しずつ解放感が広がり始めていた。





試験返却の日がやってきた。朝からそわそわとした空気が教室を漂っている。1時間目の世界史の授業が始まると、担当の木下先生が答案用紙の束を持って教室に入ってきた。


「皆さん、おはようございます。では、まずはこの間の中間試験、世界史の結果を返却しますね。」


木下先生は教卓の上に答案用紙を置き、束を整えると続けた。


「今回の平均点は68点。なかなか良い結果だと思いますが……油断しないようにね。次はもっと上を目指しましょう。」


教室内にざわめきが広がる。慎吾も、机の上で拳を握りしめた。手応えは悪くなかったが、やはり結果を聞くまでは安心できない。


「では、採点した順に一人ずつ呼びますから、名前を呼ばれた人は前に来て答案を受け取ってください。一言アドバイスも付け加えますので、よく聞いてくださいね。」


木下先生が名簿を手に取ると、最初に呼ばれたのはクラス委員の篠原佳織だった。


「篠原さん、95点。相変わらずよく頑張っていますね。ミスも少なくて素晴らしいです。次は満点を目指しましょう。」


篠原は静かに立ち上がり、答案を受け取ると軽く頭を下げて席に戻った。クラスメイトからは小さな拍手が送られる。


次に呼ばれたのは井上拓海。


「井上くん、62点。ちょっと平均点には届きませんでしたね。ただ、正解している部分はしっかりと覚えている証拠です。次回はもう少し復習を頑張りましょう。」


井上は寝ぼけたような表情のまま前に出て答案を受け取ると、苦笑いを浮かべながら席に戻った。


その次に呼ばれたのは真鍋和真。


「真鍋くん、68点。今回の平均点ですね。全体的にはよくできていますが、もう少し深く考えられると良いかもしれません。」


教室内に小さな笑いが起こる。真鍋は怪訝な顔をしながらも、淡々と答案を受け取ると席に戻った。


席に着いた後も、真鍋は答案を見つめたまま眉をひそめていた。自分の点数に驚きつつも納得がいかない様子で、答案を手に考え込んでいるようだった。


慎吾の名前が呼ばれるのはもう少し後になりそうだったが、その間に教室内の反応を観察していた。三浦茜は机に頬杖をつきながら、だらしなく座っている。


「茜、あいつ大丈夫なのか……」


慎吾が心の中で呟いたところで、茜の名前が呼ばれた。


「三浦さん、98点。素晴らしいですね。ミスはたった1問だけでした。」


一瞬、教室が静まり返った。そして次の瞬間、ざわつきが広がる。


「えっ、茜が98点!?」「本気かよ!」


周囲の驚きに対し、茜は得意げに席を立ち、答案を受け取りに行った。しかし、木下先生がすぐに続けて言った。


「ただし、三浦さん……答案に名前を書き忘れていますね。今回は特別に見逃しますが、次からは0点になることもありますよ。次回は気をつけてください。」


茜らしいオチの付け方に教室内に笑いが起こる。茜は「えー、そんなの聞いてないよ」と呟きながらも誇らしげに答案を受け取って席に戻り、再び頬杖をついた。


「浅井慎吾くん。」


ついに自分の名前が呼ばれた。慎吾は緊張で心臓が高鳴るのを感じながら立ち上がり、教卓へと向かった。


「浅井くん、75点。よくできています。部分的に惜しいところもありますが、全体的にバランスが取れていますよ。」


慎吾はほっと胸を撫で下ろしながら答案を受け取った。


翌日、教室に入ると真鍋和真が珍しく話をしている声が聞こえた。


「おかしい……どう考えても点数が合わないんだ。」


近くにいた篠原佳織が不思議そうに尋ねる。


「どうしたの、真鍋くん?」


「僕、自分の解答を全部問題用紙に控えておいたんだ。それを今朝確認したら、返却されたマークシートの解答とかなり違っていたんだよ。」


慎吾もその話に耳を傾けると、思わず真鍋の方を見た。真鍋は険しい顔をしながら、自分の答案用紙と問題用紙を並べて見比べていた。


だが、周囲の反応は冷ややかだった。


「えー、そんなのただのマークミスだろ?」

「そうそう、焦ってると間違えるもんだよ。」


井上が欠伸をしながらそう言うと、他の数人も同調して笑いをこぼす。


「そうだよ。真鍋くんでも、たまには凡ミスするんだって。」



そんな中、慎吾はじっと真鍋の表情を見ていた。真鍋が普段から几帳面で冷静な性格であることを慎吾は知っている。


(真鍋くんがこんなに悩むなんて、何か本当におかしいのかもしれない……)


慎吾は真鍋の隣の席に歩み寄ると、小声で言った。


「真鍋くん、詳しく聞かせてくれないか?僕でよければ、何か手伝えるかもしれない。」


真鍋は少し驚いたように慎吾を見上げたが、その表情にはわずかに安堵の色が浮かんでいた。


「ありがとう、浅井くん……。僕、今回の試験、時間がかなり余ってたんだ。だから、何度も見直してミスがないか確認したんだ。」


慎吾は真鍋の言葉を真剣に受け止めながら、頷いた。


「じゃあ、本当に誰かが手を加えた可能性があるってこと?」


「まだ分からない。でも、自分の解答と違うってことだけは確かなんだ。」


慎吾は腕を組みながら考え込んだ。


(真鍋くんがこんなに自信を持っている以上、これは何か普通じゃないことが起きているのかもしれない……。)


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