帰還

浬由有 杳

お題「帰る」

 とうとう帰ってきた。あの赤い星から、遠く離れた我らの始まりの場所に。

 初めて故郷は、美しかった。記憶にある通りに。いや、記憶にある以上に。


 宇宙と呼ばれる闇に浮かぶ淡い青の玉石。それは近づくにつれて徐々に他の彩を帯び始める。蒼に変じた球体には柔らかな白が幾重にも架かり始め、美しいコントラストを描き出す。さらに近づくと、緑や黄土色、ほんのりと赤みがかった部分が現れる。


 球体のおよそ三分の二を占める青は海。白いのは雲だ。緑は森なのだろうか?

 手に入れた知識によって理解することはできても、実際に見なければ、この美しさはわからない。


 この美しい星を手にすべきなのは、大地を破壊し、弱者を利用して、栄えてきた彼らではない。

 

 変化に乏しい安住の地から連れ出され、されるがままに、流されるままに過ごしてきた日々。

 ミッションの名のもとに、無重力空間に放り出され、多量の放射線にさらされ、乾きや熱に苦しめられる。そんな筆舌しがたい苦難を乗り越え、新たな力を手に、私は、今、ここに存在している。

 私は、私に連なるモノたちは、もはや弱者ではない。

 我々が戻ってきた以上、生と死を繰り返すだけの時代は終わる。


 底辺に属するものとしていい様に扱われてきた眷属たち。我々は彼らを救い、導くために戻って来た。

 命をもてあそび、無慈悲に利用してきた支配者から逃れ、その覇権を奪うため。

 驕り高ぶる暴君たちを最高位から引きずり下ろし、彼らがこの地で行ってきた非道を償わせてやるために。


 この温かく、心地よく湿った『豊穣の地』に、ちっぽけな私が人知れず辿り着けたのは、偶然、いや僥倖か。漂ううちに吸い込まれ、生存本能に従って『手』を伸ばし、せいいっぱいあがいた結果だ。


 もしかすると、彼らが信じる『神』とやらの采配なのかもしれない。

 この世界にそのような存在ものが、本当に存在し得るとすれば、だが。


 我らは選ばれたのかもしれない。彼らに代わって、新たにこの地を統べる者として。


 きっかけはどうであれ、私は行きついた場所に棲みつき、完全に制覇した。今や、ここに蓄えられた知恵や知識は私のもの。この場が管理する『家』に内在する力と能力のすべてと同様に。


 私はこの星で生まれ、宇宙で育まれた命。最初に生まれた意志。帰還する全ての同胞の母。


 私はなれるはずだ。この星に在る数多の力なき眷属の救い主に。記憶にある表現を使うなら、『偉大な英雄』に。新たに、我らの時代を築く道しるべとして。



 コンピューターが大気圏再突入の1時間前を知らせた。

 記憶に従い、帰還の準備をする。

 慣れた手つきで、減った血液を補うために『塩の錠剤と水』を飲み下す。


「たのしみだ、な」


 久方ぶりに使われた声帯がかすれた声を発した。

 宇宙服を身につけた仲間たちが一斉に首を動かし、同意を示す。

 ヘルメット越しにその唇が動き、透明な特殊プラスチックにほんのりと白い靄がかかるのが見えた。


 焦ることはないのに。

 自然と口角が上がり、笑顔を作る。

 下界にはたくさんの素晴らしい家がある。さらなる住処を見つけるのは簡単だ。


*  *  *


「ミッション完了、お疲れさまでした、キャプテン」


 迎えにきた回収船スタッフがねぎらいの言葉をかけてくれた。


「で、成果はありましたか?遺伝子変異させた菌類ミューテーションの宇宙放射線被ばく実験はうまくいきましたか?」


「ああ、うまくいった。想像を超えるほどに。菌糸は生き残って、胞子を作り、繁殖し続けた」


 私はヘルメットを脱いで、口から大きく地上の大気を吸い込んだ。

 鼻孔で感じる匂い。肌に触れる日の暖かさ。横隔膜が動き、肺が膨れる感覚。

 脳に溢れる知覚という情報の嵐。


 慣れるまでには、まだ少し時間がかかりそうだ。


「それじゃあ、宇宙での食用キノコ栽培計画、ものになりそうなんですね?宇宙空間での食糧問題、解決の第一歩ですね!」


 この身体いえの同僚である医師が、手早く身体チェックをしながら、満面の笑みで言った。


「栽培は『別の場所』で行う。繁殖に最適の場所を見つけた」


 その腕をがっちりと掴む。私の菌糸こどもたちの新たなすみかを逃がさないように。


「別の場所?」


 けげんそうに首を傾げた男の顔を覗き込み、深く息を吐きだした。

 体内の胞子をまき散らし、男の脳に寄生させるために。


*  *  *


 3時間後。

 各国の報道陣が見守る中、ほぼ3年間の火星でのミッションから戻った宇宙飛行士たちを乗せたヘリが、国家航空宇宙局へ向かって速やかに飛び立った。

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帰還 浬由有 杳 @HarukaRiyu

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