第19話 耄碌
服を脱いだカダスマは、ゆっくりと黄緑色の液体に満たされた浴槽に身を沈めた。白い肌の潤いが蘇る。
「さて、状況はどうかな」
秘書がリモコンを操作した。天井のホロ投影装置がカメラ映像を投射。ガラスの墓地にいる四人の姿を映し出す。
浴槽の肘置きにグラスが置かれ酒が注がれる。流れる映像を肴に、カダスマは酒をあおった。グラスを持つ手の人差し指でグラスを叩く。イラついている時の老人の癖だった。
「昔、ある男がいた。心身ともに健康的で優秀な男だ」
カダスマは語りだした。この場で聞いているのは秘書だけだ。だがその言葉は秘書に語り掛けているわけではない。独り言のようなものだ。声に出しておのれのこれまでの人生を振り返り噛み締めているだけだった。
「男は遺伝子工学を学び、最大手ではないが業界内で独自地位を築いていた企業に入社した。そして何年かの現場経験を経て、生体兵器開発を目的とした部門の一つを束ねる部長に昇進した。思えば、その頃が一番大変だったかもしれない。幹部の席は限られている。同期の仲間を大勢蹴落としてきた。それでも充実していた。順調な人生だった。当然だな、そうなるように育てられ励んできたのだからな。そして私は妻を迎えた。幹部になるための通過儀礼として。人口知能が人に反旗を翻し、世界の半分を滅ぼしても、会社組織の論理というものはそう大きな変化はない。いや、行き過ぎた個人主義からの揺り戻しで、大昔よりも妻帯者に対する根拠不明の信用はより強固になったかもしれない。少なくとも、守る家族や体裁のない人間は、ニギタマでは信用されない」
そこで言葉を切り、カダスマは「ハハハッ」と乾いた笑いを漏らしてから、顔をしかめた。
「だが順調な日々にも、いつかは終わりが来る。結婚は人生の墓場と古人は言った。結婚してからの暮らしで、まさにと思った。何度も何度も。元々、他企業との関係構築のための政略結婚だったが、あの女はひどかった」
今はもう、かつて妻だった女性の顔すら忘れてしまっていた。かつての妻への悪感情だけが老人の記憶には残っていた。
「どれだけ血統が良かろうと、その素質も使い方を学び発揮されねば意味はない。金を使う事とセックス遊びをするしか能のない女には荷が勝ちすぎていた。……今となってはどうでもいいことだな。それとあとは…… そうだ。娘だ。結婚をして数年後、娘を授かった。正直いってかわいいとか愛らしいとかの感覚はいまいちわからないが、その時だけほんの少しだけ理解できた気がした。妻を持ち、娘も産まれた。そして消えた」
それは老人の人生のなかでも数少ない汚点の一つだった。
「子供が三歳になったころ、接待を終えて帰宅すると、二人の姿はどこにもなかった。残されていた置き手紙には、『もう耐えられない。なぜ自分だけでなく娘すら愛してくれなかったのか』そんな風なことが書いてあった。ますますもってバカな女だと思った。金は自由に使わせて自由に過ごさせてやった。それの何が不満だったのか、まったくもって理解に苦しむ。身勝手さには呆れたが、一つだけ良いことがあった。それは、何年かぶりに静かな我が家が戻ってきたことだ。それからはずっと一人だ。消息も追わなかった。すでに妻の血縁の企業はうちに吸収されていたから、利用価値もない。もはや用済みで、探すだけ無駄だと考えたからな。まったく女というのはどいつもこいつも……」
カダスマは酒を飲み干すとため息を吐いた。
「その後の数十年はまた順調だった。そして、いよいよ昇進を重ねてある程度の事は自由に動かせるようになった頃、私はこの研究所を作り上げた。それとほぼ同時期に、社はある女性科学者を雇用した。一目でわかった。あちらも最初から認識していた。私が父親だと。彼女は母方の姓を名乗っていた。アキハマと」
***
「母から聞いていました。父はニギタマ製薬の重役だと」
若きアキハマが、向かい合って座るカダスマと話していた。
「母ですか? 亡くなりました。ご心配なく。恨んでなんかいません。恨むほどあなたの事も覚えていませんし」
「別に父親だってことを広めるつもりもありません。ただ私が専攻していた研究と合致していて、貴社からもオファーがあったから入社を決めただけ。気にしないでください」
***
「彼女はひいき目を抜きにしても優秀だった。血統の優秀さが出たのか、多くの同期と比べて飛び抜けていた。見ていて悪い気分ではなかった。だが悲しいかな、娘もまた、私を失望させた。親元を離れて育ったから仕方がないことなのだろうか。子どもたちを使って何をしたかったのか、それを知った彼女は、真っ向から反対をしてきた」
***
「本気で言っているのですか? あの子たちを使って、子どもを産ませるなんて、まともじゃない!」
「まともじゃない、か。君はそう言うが、これは私にとって重要なことなのだ。この体を見たまえ。金と技術に糸目をつけずアンチエイジング処理を施してきた。だがそれでもいつまでも生きていられるわけはない。かならずいつか死ぬ。だからその前に、純粋な私の血筋を残したいと考えた結果だ。その理由の一つに君の母親がある。彼女が君を連れて去らなければこんなことにはならなかった」
「ショックを受けていた。何を期待していたのか? もしかすると父親としての情でも求めていたのかもしれない。そしてあの火災だ」
心血を注いできた研究所と研究成果が焼け落ちていく光景を、老人が忘れたことはなかた。娘が死に、その成果も焼失した。復旧作業は難航を極め、サルベージされた数少ないデータを元に作成された子どもたちはすべて失敗に終わった。老人は諦めかけていた。延命にも限界がある。もはや生きている間に再び成功例を作り出すことはできないのだと。
「だが、子どもたちは生きていた。健やかに育ち、そして再び親元へと戻ってきた。ああ、待ちきれない。ヒメコ。私の精で、君の命の宮を満たしてあげよう。純粋な子どもたちを育もう!」
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