第15話 愛されてる
タカミの指が、扉横に設置されたテンキを叩く。機械のランプが赤から緑へと変わると、扉はゆっくりと左右に開いた。部屋の中の空気が廊下に流れ出てくる。クイーンは覚悟を決めて踏み込んだ。
「なに……これ」
クイーンは言葉を失った。部屋の中には、二メートルサイズの円筒ガラス容器が整然と並んでいた。
ガラス容器の内部は濁った液体で満たされている。クイーンはその正体を確かめようと、容器に顔を近づけた。中で何かが揺れている。
「なにか嫌な感じがする。見るな、よせ。ヒメコ!」
ホワイト医師がなにかに感づき、クイーンに容器から離れるよう警告した。
容器下部に設置された機械が作動した。ゴボゴボという音がして容器内部の液体が入れ替えられたのか、少しだけ濁りが軽減された。
容器の中身が見えた。それを見たクイーンは、驚きで呼吸を忘れた。
黄金色の瞳がクイーンの視線がぶつかった。液体に浸かりふやけた小さな肉塊。濁った網膜の一つが漂いながら揺れながらも、その目はクイーンから外れない。
少女は一歩また一歩と後ずさる。心臓が早鐘を打ち、肺が空気を求める。自分と同じ色をした瞳に見つめられ、少女は目を逸らすことが出来なかった。
「やめろ! 見るんじゃない!」
ホワイト医師がクイーンの肩を掴み振り向かせた。
「あれは……人、ちがう、子ども。子どもよ」
か細い声でクイーンは何度も呟いた。
「考えるな。ジャックを助けるんだ。今はそれだけを考えろ」
しかしクイーンはホワイト医師の言葉の半分も理解できていなかった。息が苦しい。手足が震える。クイーンはホワイト医師にすがりつくが、立っていられずに膝をついた。
肉塊に埋め込まれた目玉。直視してしまったグロテスクな光景が頭から離れない。その正体にはおおよその見当がついている。それが事実だったとしても、受け入れることなど到底できない。認めたくなかった。
「タカミ! ここはいったい…… くそっ!」
パニックで動けなくなったクイーンを抱き寄せた状態で、ホワイト医師はタカミ所長を問い詰めようとした。しかしほんの少し目を離した隙に、彼は姿を消していた。足音が部屋の奥へと遠のいていく。次の瞬間、タカミの悲鳴が部屋に響き渡った。
ホワイト医師は部屋の奥に銃を向けた。照明は落とされていて見通しが悪い、整然と並ぶガラス容器たちだけが淡い光を放っている。どこからか足音が聞こえた。銃を左に向ける。今度は右から音がした。そちらに向くと今度は部屋の奥から聞こえてきた。
「しっかりしろ! ヒメコ!」
先ほどの悲鳴から、タカミ以外にも誰かが部屋にいると感じ取ったホワイト医師は、この場から一刻も早く移動するべきだと判断して、クイーンを立ち上がらせようとした。しかし彼女はホワイトの服の裾を掴んで顔をうずめたまま動こうとしない。とても動けるような状態ではなかった。
「先生……、先生、教えて。あたしたちは、あたしは何なの?」
嗚咽混じりの問いかけ。小柄な身体が震え、細い指がホワイト医師の服を強く握りしめている。
「何を言っている。何なのかだと? 君はヒメコだ。それ以外になにがある」
クイーンの求めている答えではない。それはホワイト医師にもわかっていた。しかし良い言葉を見つけられなかった。見つかったとしても彼女は納得しないだろう。クイーンは今、自分の存在そのものに疑念を抱いている。ガラス容器に浮かぶ産まれそこなった者たちを見たクイーンがいったいなにを思ったのか。それはホワイトにも容易に想像できた。
「きっとここにいるのは、生まれてこれなかったあたしやジャック。兄弟たちなのよ。そうなんでしょ。どうして、どうしてこんな酷いことができるの!」
悲しみに満ちた慟哭。復讐に燃えていた心が砕けそうになる。
まともな生まれ方ではないのだろうとは想像していた。しかし現実はクイーンの想像を容易く上回る。部屋に並ぶ何本ものガラス容器。そこには、黄金色の瞳を持つ肉塊、手や足のみが形作られたものや、次の瞬間には目を開けて動きそうなほどにまで大きくなった胎児が浮かんでいた。皆、クイーンとジャックの兄弟たちだ。不完全な技術で創造された歪な存在たち。彼らは存在しない。産まれてくるその前に死んだからだ。だから、ここにあるものはすべて命が吹き込まれることすらなかった抜け殻なのだ。
だが、クイーンはこの部屋で最初に見た単眼の兄弟。彼あるいは彼女の瞳を見て、そこに命を見出してしまった。それは、少女の心を絶望で満たすきっかけになってしまった。
クイーンは思った。ここに眠る兄弟たちは、自分が生まれてくるために、いったいどれほど犠牲になってきたのか。いったいどれほどの屍の上で自分は今生きているのだろうかと。
「もういや。もう見たくない。なにも……」
目頭が熱くなる。腹の底から熱いものがこみあげしゃっくりが止まらない。復讐に燃える暗殺者クイーンはもうどこにもいなかった。いるのは、心を守っていた鎧の一切を失った少女だった。
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