第1話 姉弟 後編

「ねえおじさん、何でこのムチが四万もするの。これこの間三万だったわよね?」

 クイーンはショーケースに陳列された愛用のムチを指差して言った。先日の仕事にて、愛用していた武器を仕事現場に置いてきてしまったため、新たな装備を購入する 必要に迫られたのだ。


 しかし、クイーンは今、決断に迫られていた。以前に購入した時と現在の価格の大きなギャップに、彼女は面食らっていた。明らかに予算オーバーなのだ。だが、ムチを武器とする人間はムサシでも少ない。店頭販売で愛用のムチを取り扱っている店はさらに少ない。選択肢は限られている。


「これ値段間違えてない? 本当に?」クイーンが店主に訊ねた。これで二回目だ。


「諦めないねえ。でも残念。いくら聞かれても値段は変えられないよ」禿げ頭に鉤鼻の店主があくびをする。


「それでも高すぎる」


「そりゃそうよ。鞭なんて使うやつはなかなかいない。てことは需要が少ない。需要が少ないと仕入れの数が少ない。仕入れが少ないと仕入れ値が値切れない。そうなると店に並ぶころには、こうなる」店主は肩をすくめた。


「おのれ資本主義……」クイーンは低く唸った。


「これなんかどうだ。見た目は違うが種類は同じムチで数も多いから値段も安い」店主はそう言って持ち手から先が幾重にも分かれたムチを示した。


 クイーンは怪訝な表情でムチを手に取った。平たく薄い人口皮革が細断されて無数の触手となっている。軽く振ると情けなくムチが空中で揺れた。これでは全力で振らなければ相手にダメージを与える事は難しい。それに射程もまったく足りない。少し相手が距離を放してしまえばたちまち無意味になってしまう。クイーンの求める要素の一切を、そのムチは持たなかった。


「こんな物、なにに使えるわけ?」


「何って、そりゃあなあ。いるんだよ。うちの店をそういうグッズの店だと勘違いしてくる馬鹿が結構。それを馴染みの業者に言ったら安く売ってくれた。悲しいことにかなり売れる」


「理由になってない。これの使い道を聞いてるの」


「本気か? お楽しみ用に決まっているだろ。そりゃあ」店主は苦笑いで答える。この客は見た目よりもずっと年齢が若いのではないか。そんな疑念がよぎった。


 店主の返答にクイーンは納得がいかない様子でムチを棚に戻した。


「意味わかんない。まあでもいいわ。とりあえずこっちのムチをちょうだい」クイーンは手首に埋め込んだマイクロチップを決済端末にかざした。


「まいどあり。袋はつけるかい?」店主がレジを操作して売却を承認。契約が成立した。ショーケースから取り出された鞭がクイーンに手渡された。


「いいね。よく馴染む」商品を受け取ったクイーンはムチの感触を確かめ、二、三振るった。軽快な音をたてて空気を切り裂く。店主の取り出した紙袋にムチをしまい込むと、クイーンは満足げに店を後にした。先人は言った。悩む理由が値段なら買えと。信用のおける装備を用意するのは、命のやり取りを生業とする者にとっては当然の選択だ。


 クイーンは次に雑貨屋を訊ねた。頭上の古くなった看板には消えかかったキソイ商店の文字がある。


「いらっしゃい」前掛けをつけて背中を丸め正座姿勢で座布団に座る老婆が、クイーンに言った。


「こないだの仕事。それの報酬を受け取りに来た」腰に手を当てたクイーンが老婆に言う。キソイ商店は一見するとレトロな個人商店に見えるが、実態は傭兵や殺し屋に仕事を斡旋するフィクサーの根城であった。


「ヒッヒッヒッ、ご苦労様」老婆が不気味に笑う。その笑いが、クイーンは少し苦手だった。まるで絵本に登場する魔女そのものの笑い方。これだ、この響くような笑い声。暗く薄汚れた室内と相まって余計に不安を駆り立てる。


「今回の報酬だよ。確認しとくれ」老婆は棚の引き出しから輪ゴムでまとめたニューイェン札の束と指先サイズのデータチップを取り出し、テーブルに置いた。兵器工場襲撃犯への協力。その見返りが今回の金銭とチップ内の情報だった。


 クイーンは金をポケットにしまい、データチップを耳の裏に増設した補助脳のスロットに挿入した。求めていた情報が網膜ディスプレイに投影。二名の名前とそれぞれの人物の行動予定がチップには記録されていた。この情報はクイーンにとって金よりも価値があるものだ。


「また何かわかったら知らせて」クイーンは老婆に念を押した。


「勿論だよ。その時には……ヒヒヒッ」老婆が意地悪そうに笑う。


「わかってる。仕事でしょ。やってやるわよ。ジャック! 行こう!」目的の物を手に入れたクイーンはジャックの手を引いて外に出た。


 装備は調達した。必要な情報も手に入れた。あとは決行当日を待つばかりだ。

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