中 訳あり皇帝のたった一つの願い事

 俊熙は梓豪の話を最後まで無言で聞き終えた。俊熙にとって、梓豪の話は驚きの連続だった。

 まず、この龍人皇帝……雄ではなく雌だそうだ。初対面で裸体を見られたことが、今更ながらに恥ずかしい。いや、池の中に下半身は浸かってたからまだましか。何となくいたたまれない気持ちになりながら、彼女の話を聞き続けた。

 聖女をあの池で見定めるのには理由があるらしい。これは番にしか伝えることのない、龍人だけの秘密なのだと前置きをされた。

 あの池は、龍人の生まれる池でもあるそうだ。厳密に言うと、龍人は俊熙のような獣人とは理の違う存在らしい。どの獣人も生殖活動で個体を増やすが、龍人はそうではないのだという。


 龍人はこの世界を維持する為に生まれ、寿命が来たらこの世界に還るらしい。亡骸が残らないのは、そういうことなのだと教えられた。

 それを聞いた俊熙は、唐突に師匠のことを思い出す。彼も亡骸が残らなかったのだ。蛇だと聞いていたし、実際に蛇の姿を見たこともあるのだが、もしかしたらもしかするのかもしれない。後で知り合いだったのか聞いてみようと思いながら、俊熙は彼女の話を聞き続けた。


 一般的な生殖活動を行わずに、どう次代を成すのか。その答えが禁池なのだという。つまり聖女とは、連日龍人と共に禁池で過ごす者のことを指しているのだ。

 本来は、性別はどうでもいい……ということだった。

 で、彼女は俊熙を選びたいという。いや、何でだよ。思わずそうつっこみそうになった彼だったが、梓豪の話はまだ終わってはいなかった。


 現在、梓豪は男性の皇帝として過ごしている。龍人は梓豪が雌だと分かっているが、全員がそのことを口にすることはない。龍人にとって、性別はどうでもいいことであるからだった。

 しかし、獣人たちはそうではない。


「なにやら、権力争いが起きていてな……周囲が騒がしいのだ。それで、権力とは関係のない人を番に選びたかった。それと、私は肉欲的な雌はそんなに好きではない。あと、自分が毛の少ない姿をしているから、できれば毛並みの良い者が好ましい。

 鑑賞するのならば好みの見た目が良いに決まっている。あと、大人しいのが良い。四六時中共に過ごすのだ。居心地の良い相手を選びたいではないか。

 そうなると、あのきゃぴきゃぴした彼女たちは少々……色々な意味で落ち着かない」


 龍人皇帝は、意外とわがままだった。真面目に権力争いを避ける為、彼らを牽制する為に想定外の存在を番にしたいと言って俊熙を感心させたかと思えば、いつの間にか自身の好みについて語り続けるではないか。

 俊熙は静かに彼女の要望を聞き続けた。聞けば聞くほど、俊熙という存在は、龍人皇帝の望む番そのもののように感じられる。だが、しかし俊熙の気持ちはどうなるのか。


「えっと……皇帝陛下?」

「私のことは梓豪と」

「…………梓豪?」

梓梓ヅーヅーでも良いぞ」


 やりにくい。他者との交流経験が師匠しかいない俊熙は、こういう時にどんな反応を示すのが正しいのか、全く分からない。


「……梓梓」

「何だ? 小俊シャオジュン


 とりあえずで愛称を呼べば、とろけるような笑みを向けられた。美醜には詳しくないが、これはきっと最高の美だ。だが、彼女を呼ぶたびにそんな反応をされては体がもたない。

 俊熙は破壊力が強すぎる笑顔にどぎまぎとしながら、あだ名呼びを遠慮する旨を口にした。


「ごめん、梓豪って呼ばせてくれ。あんたの笑みが俺の冷静さが乱す」

「……そうか? それは残念だが仕方ない。是非、私におねだりしたい時にでもまた呼んでくれ」

「は、はぁ……」


 いまいち調子が出ないな。己よりも背丈が大きく、また同性の姿をしていて異性のように考えにくいからだろうか。俊熙は梓豪にやりにくさを感じながら、自分の考えを主張する。


「俺は、まだ梓豪の番になることに承諾したつもりはないぞ」

「ああ。じゅうぶん承知している。だからこうして、口説いている」

「……でも、周知はしたんだろ?」

「まぁ……どうとでもなる。それに、きっとおまえは私の番になってくれる。私の唯一の願いは、おまえと番うことなのだから」


 そう言われても困る。俊熙は中途半端な笑みを浮かべ、その言葉を飲み込んだ。




 師匠、俺はあなたから教えてもらえていないことが沢山あるようです。俺は老師奕辰イーチェンに思いを馳せる。

 俊煕の師匠は自身のことを蛇人だと言っていた。だが、本当はそうではなかったらしい。あれから、梓豪とこの宮で生活するにおける打ち合わせじみたこと――いつのまにか俊煕は聖女内定として生活することになっていた――をしていたわけだが、その時に彼女から奕辰について知らされたのだ。


 奕辰は梓豪の叔父にあたる龍人であり、龍人の中では一目置かれる存在であったようだ。故に、奕辰の名を聞いた途端に俊煕の待遇が良くなったのだった。

 ただの隠居老人だと思っていた俊煕は、大いに驚いた。

 亡骸が残らないという話を梓豪から聞いた時に師匠のことが頭に浮かんだものの、そこまでは想像していなかったのだ。


「……俺、どうなっちまうんだろ」


 俊煕の問いに答えてくれる者は、誰もいない。




 梓豪はただ一つの願いがかなう目前という瞬間に、一人気分を昂らせていた。今、自分の宮に長年求めていた相手がいる。奕辰から話を聞いていた、あの美しくて優しい白虎がここにいるのだ。

 もともと、梓豪は虎が好きだった。梓豪が皇帝の座についた時、周囲の獣人はこぞって己の娘を自慢してきた。その中にも虎人はいたが、梓豪の好みではなかったのと、性格に難がありすぎて番にするのは遠慮したい人ばかりで辟易してしまった。

 性格は大切だ。権力に取り込まれるような人は困るし、梓豪のことを大切に思ってくれるのはありがたいが束縛してきそうなくらいに強い感情を抱いているのも困る。かといって、政略的な考えから親の言われるがままに取り入ってこようとするのも何となく嫌だった。

 この世界を調律するという大役を担っているのだから、番くらいは自分の理想を追求したかった。梓豪の特権は番選びくらいしかないのだ。

 世界を維持する為に生み出された存在である龍は、本来食事を必要としない。豪華な食事も、煌びやかな装束も、梓豪にとっては価値のないものだ。梓豪は心の繋がりを欲していた。


「私の望みは、そんなに贅沢なものなのだろうか」


 隣の部屋で悩んでいるだろう俊煕を思い、梓豪はため息を吐いた。すり寄ってくる同性には好ましい者はいないし、同性だと思われている異性からは当然ながら声をかけてくる者はおらず。梓豪も男性のように振る舞っているせいか、彼らを番になる候補として見る気分になれなかった。

 そんな時、叔父の奕辰から美しい白虎を拾ったのだという話を耳にした。当時彼から見せられた似顔絵には子猫のような虎が描かれていた。それが徐々に成長していき、逞しくなっていく姿を教えてもらうたび、いつか会いたいという気持ちを膨らませてきたものだ。

 だが、叔父はいつの間にか死んでしまった。ふいに彼の死を感じた時、一人残された白虎がどうなったのか心配になったが、よくよく考えてみれば、梓豪が彼の幼い姿を知っているだけで、彼自身はとうに大人になっていたのだった。

 結局、梓豪は奕辰から俊煕を紹介してもらうことは叶わなかった。だからよほどのことがない限り、彼とは一生会えずに終わるのだろうと梓豪は思っていた。


 ――なのに。世界は梓豪に優しかった。


 禁池で白虎の姿を認めた時、梓豪はようやく運気が回ってきたと思った。夢にまで見た白虎がいた。彼の名を聞くまでは、そして彼の師匠の名を聞くまでは、信じられない気持ちでいっぱいだった。

 本物と分かった時、梓豪がどれほど興奮したことか。そのまま掴み、宮廷へ連れて行ってしまいたいという欲望を抑えることでいっぱいだった。何とか耐えて会話を重ねれば、奕辰が評価していた通りの雄だった。驚くようなことや理不尽なことに遭遇したにも関わらず、冷静さを維持していたのも好感が持てる。

 ――あれは、私だけの虎だ。

 梓豪は彼のいる部屋へと繋がる扉を見つめ、どうやって攻略するべきなのか、思考を巡らせるのだった。

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