下 白虎獣人、龍人皇帝の思いに気づきて――

「どうしてあんな毛むくじゃらなど……」

「獣臭いったらありゃしない――っと、大臣のことじゃありませんよ。あの野良の話で」

「白虎だから百歩譲ってやらなくもないが、それにしてもあんな粗野な相手を番にするなんて、いったい龍皇様はどうなされたのか」


 現実って酷い。俊煕は想像以上の状況に苦笑した。誰も彼も、俊煕が聖女候補だと知って困惑している。だが、陰でこそこそと――いや、聞こえているから堂々と、だろうか――話をしているのは良くない。

 そもそも、皇帝の番候補を下げるような発言をするということは、皇帝の判断を否定するということに繋がる。奕辰から一般常識を詰め込まれていた俊煕には、この異様さが際立って感じられた。

 聴覚の優れている俊煕には全部筒抜けである。梓豪と出会って数日しか経っていないが、この状況に対して危機感を覚えていた。


「想像してはいたが、すげぇ言われようだな」

「まあ、仕方あるまい。想定外の配置だ」


 俊煕の言葉に梓豪は小さく笑う。その余裕のある姿は彼らの言動を気にしていないというよりは、彼らに対して何の期待をしていないという事実を俊煕に突きつけてくるかのようだ。それはあまりにも悲しいことだと俊煕は思う。

 龍人同士の繋がりは良好そうだが、獣人たちが駄目だ。


「彼らの支持が必要なら、俺はいつでも辞退するぜ」

「勘弁しておくれ。私にはおまえだけなのだ」


 茶化すように俊煕が言うと、梓豪はゆるりと目を細めた。だが、彼女は真剣だ。その目から真っ直ぐに貫いてくる光を感じ、俊煕はどきりとした。彼女の紫色の虹彩は淡く青い光を放っていて、俊煕はそれに吸い込まれそうになる。目が細められていても、その光は俊煕を誘い込んでくるのだ。

 抗いがたい欲求を感じずにはいられない。彼女の香りを嗅いだ時もそうだったが、どうやら彼女は俊煕の好みにぴたりとはまる何かを持っているようだ。

 嫌いではない――が、彼女の番になる覚悟を決めるまではいかなかった。


「しっかし、これって大丈夫なのか?」

「どういうことだ?」

「梓豪、甘く見られてるんだぞ。搾取できると思われていて悔しくないのか?」

「甘い蜜が吸えると勝手に勘違いしているだけだ。構う価値はない」


 俊煕には、梓豪が何を言いたいのか分からなかったが、彼女がそれで良いと言うのならば、良いのかもしれない……と、その時は思っていた。




 ――いや、駄目だろ!

 度重なる厭味、実害のない嫌がらせ、政敵への対抗心だけで俊煕に取り入ろうとしてくる者、俊煕に対して面倒なことが降りかかってくる。梓豪が気にしていないのならば、と無視していた俊煕だったが、さすがに無視できなくなってきていた。


 俊熙はいわば“野生育ち”である。奕辰が教育してくれたといっても、所詮は実体験を伴わない机上のもの。宮廷の彼らと接して自分がかなり高等教育を受けていたことに気づいたものの、それとこれとはまた別の話であった。

 このままでは駄目だ。俊煕がそう覚るのも時間の問題なのだった。というわけで、早々に俊煕は全てを梓豪に報告した。問題が発生している時には上司に相当する存在へ報告することがら始めるように、というのが師匠からの教えである。つまり、俊煕は師の教えを忠実に守ったのだった。


「そういうことだろうと思った」

「まあ、そうだよな」


 梓豪の言葉に俊煕は半笑いになった。既に迷惑をかけている。あれだけ派手なことがあったのだ。誰だって気がつくだろう。


「それで、どうしたい?」

「は?」


 どうしてここで聞いてくるのか。俊煕が信じられないといった表情で梓豪を見つめると、彼女はなぜか嬉しそうに笑った。梓豪は自ら茶を淹れ、俊煕に差し出した。彼女はいつも、最後の仕上げとでもいうかのように器へ茶を注いだ後、ふうっと息を吹きかける。

 一連の動作に見惚れていた俊煕だが、梓豪の視線を感じてすぐに我に返った。


「私は、おまえの好きなようにしたい。私に何を望む?」

「何を望むかって聞かれてもな……」

「難しい質問をしたか。では、俊煕はどうすべきだと思ったのかを聞かせてくれないか?」


 それはそれで難しい質問だ。俊煕は眉間に深い皺を寄せた。思わず唸れば、なぜかキラキラした目で見つめてくる。彼女の鋭い八重歯が口元からちらりと漏れ見え、その可愛らしさに思考が飛んだ。


「……俊煕?」

「あ、ああ……いや。そうだな……」


 名前を呼ばれて己を取り戻した俊煕は、どうにかしなければならないと判断した件について羅列していく。まずは権力に群がる民について。権力のあり方が問題なのか、大臣の性格に問題があるのか、このあたりは俊煕に判断がつかない。とにかく、人の足を掬うことばかり考えている彼らをどうにかする必要があると考えたのだ。

 次に、権力とは別に梓豪という存在に対して異常な執着を見せる者の存在。権力は関係なく、梓豪の人柄が引き起こした純粋なものだ。これに関して言うならば、おそらく俊煕が正式に梓豪の番になったら落ち着くのだろう。

 最後に、ここ最近の天候の乱れ。基本的に穏やかな日は続いているものの、唐突に天候が荒れるのだ。龍人の誰かが気まぐれを起こしているのだろうが、突然雷が落ちたり通り雨のようなものがあったりと、何とも落ち着かない。

 俊煕が全てを伝える頃、梓豪は複雑そうな顔をしていた。かなり難しい問題が混ざっていたのだろうか。そう俊煕が考えていると、彼女はうなだれてしまった。


「…………梓豪?」

「……すまない」


 蚊の鳴くような声で梓豪が謝罪の声を上げた。それが自分が頂点に立つ者として部下の不出来を謝罪するものなのだろうか。俊煕は首を傾げた。俊煕は詳しく聞きたい気持ちを抑え、彼女の言葉を待つ。

 茶を啜り、しばらく沈黙の時間を過ごす。師匠とふたりきりで生活していた時は静かな時間が多かった。喧噪よりも沈黙の方が心地良い。俊煕は梓豪との沈黙を密かに楽しんだ。


「――私のせいだ」


 長い沈黙の末に口を開いた梓豪の顔は、ほんのりと赤く色づいている。部下の代わりに謝罪をするにしては、顔色がおかしい。顔が赤くなる要素として憤怒というのもあるが、表情が違う。俊煕は再び首を傾げた。


「大臣たちの件は、私が甘く見られているだけだろう。これに関しては、多分どうにかなる。

 私に好意を持っている者がおまえに危害を加えようとしてくる件だが、これも……私がはっきりと望みはないと断れば良いことだ。それが刺激になって……という可能性もあるが、その時は私が牙を剥こう」


 頼もしい言葉だが、表情が伴っていない。これは、照れ……か? 梓豪のことを冷静に分析しながら、俊煕はその表情の意味が分からず眉根を寄せた。


「最後の件は……あれは、私が修行不足だからだ」

「ん?」


 修行不足とは、いったいどういうことだろうか。俊煕の脳内は疑問符でいっぱいだった。梓豪は俊煕の疑問に対する答えを訥々と語り始めた。


「皇帝になる龍人の条件は、天候を操る能力があるかどうか、だ。だが、この能力は私の精神状態にも左右される。

 つまり、私が平静でいられなかったりすると――」

「天候が荒れるってことか」

「……そうだ」


 梓豪の精神を乱すなど、よほどのことだ。いったい何が起きたのか。俊煕が彼女をじっと見つめて無言で問い続けると、梓豪は観念したように長いため息を吐いた。


「その、おまえが……ちょっかいを出されているのを見たり、して……私の、番になるはずなのに、と。私がこんなことを考えるのはおこがましいのだと分かっている。だが、私の修行が足りないばかりに……つい思考が乱れてしまって」

「そんなに、番になってもらいたいのか?」


 俊煕の言葉は、何気なく発せられたものだった。困っているから、ちょうど良く現れた俊煕を番にしたいのだと思っていた。だが、梓豪にしてみれば、そうではなかったらしい。彼女が唐突に、キッと睨みつけてくる。


「わ、私は、本気だ」


 そう言う梓豪の目は興奮で潤み、その頬がますます赤みを帯びていく。穏やかな表情ばかりを見せてきた彼女が始めて見せる表情に、俊煕の心臓がばくばくと暴れ始めた。梓豪の興奮がこちらにまで移ってしまったかのようだ。

 どうしてか「いつから」とは聞けなかった。


「俺は……野生児だぞ」

「知っている。だが、奕辰の教育を受けているから困らないはずだ。それだけの知識がおまえにはある」

「……俺は雄だぞ」

「周囲は知らぬが、私は雌だから問題ない」


 俊煕には彼女へ対する気持ちはないはずだった。だが、彼女の気持ちを受け入れ、育てていくのも悪くはない――そんな考えが浮かぶ。


「おっさんだぞ」

「良いのではないか? おっさんが聖女というのも悪くはない」


 梓豪がはにかんだ。その瞬間――このまま流されても良いかもな、と俊煕は思ってしまった。


「――なるよ、聖女に」


 俊煕が発した言葉に、梓豪は満面の笑みを浮かべるのだった。

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訳あり龍皇に白き虎 ~池で水浴びをしていたおっさん、聖女になる~ 魚野れん @elfhame_Wallen

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