七月四日
あおいそこの
オープニング
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助けられたかっただけなんだよね。
私も、貴方も。
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何もかもが上手くいかなかった。
そう思うには早いような気がする、と心の中で言っている自分の一部もいたけれど聞かない、見ない振りをした。そうすることで自分を守れると信じて疑わなかった。それでいて守ることが出来ていた。
自分にまつわる一切、合切が理不尽の塊でしかない。
ようこそ、ヘブンへ、って感じの思考に吐き気がする。
自動販売機はお釣りが詰まったみたいだったし、電車で足は踏まれる。乗り換えのタイミングで絶妙に降りた方がいいのか、そのまま乗っていていいか分からなくて立ち止まっていたら舌打ちされたし。アイスコーヒーを頼んだはずが、ホットが出て来て違います、とも言えなかったり。
それだけかよって誰かは思うようなことでも私からしたら一大事件。
それでも細かい、と思うならそう思えばいい。そして、それを、どうぞ、ぶつけて。どんなに小さなものでも物心ついて、自分の考え方が変化していって、その度に疲労を背負って、もう変わりそうにない。言い換えれば救われそうにない考え方で今までを生き残ってくると疲労って溜まるんです。
それくらいは是非とも理解をして欲しい。
よそはよそって言うなら、みんなはこうって言わないで。
法律はみんながある程度同じように扱われるために存在するだけ。決して誰のことも守っちゃいない。公共物の軒下みたいなもの。大した存在じゃない。
守ろうと思って存在しているわけじゃない。なんか結果的にみんなが守られているみたいな顔をしていて、そういう親が子供を産んで、そしてその子供はその通りに教えられる。汚いところは見ない振り。自分の損には敏感で。
でも、って否定ばかり。
『でも』は逆接の接続詞だ。だから『でも』『悪である』と続けるのならば『でも』の前に来る『』の中身は『良い』であるはずなのだ。故に『でも』っていう言葉は抱いている感情の反対が事実であると認めた上で、納得が出来ない。子供みたいなことを言うな、って実にその通りだ。
自分の感情と違うから納得をしません。それは確かに子供じみている。
でも私は嫌だ。その理論。
なんか嫌い。
子供らしさのフルコンボ。自分でも笑っちゃうくらいには愚かだ。
足を引きずりながら歩いていると後ろから走ってきた自転車がチリンチリンと私に向かって警笛を鳴らした。ごめんごめん、今退くよ。そうしたいんだけど、なんか体がもう動かなかった。このまましゃがみ込んでしまいたい気分だった。
そうしたら誰かは助けてくれる?誰かは私がこの世で生きていると今日くらいは覚えていてくれる?
そうじゃないなら私はしゃがみ込んだりしないかもしれない。すみません、とか呟いて苛立たせているであろう自転車の人に少しでもいい気分になって帰ってもらえたら、って。これは優しさ?それとも罪滅ぼし的な?
いい人でありたいなんて薄汚れた願望を誰かに褒めてもらおうとは思ってはいないよ。でもちょっとくらい大切にされることは望んでもいい?
明日、大学なんてサボってしまおうかな。誰か私のことを心配して連絡をくれるだろうか。いいや、きっとくれないだろう。レポートを忘れたって一生学校にいるただのお客様くらいにしか教授だって思わないだろう。
もういいだろう。
いいよ、今だけは全てを忘れて真っ白になろう。
どうかそれを客観的に見て許せるような自己肯定感を私にください。
翌日になっても私の腐り切ったメンタルは変わっていなかった。運命の出会いでもしたいものだ、とは思いつつ、メイクという嗜みさえ忘れて決して美しくはない私とは出会ってほしくない。この前どこかで見た名言に心が苛立った。
どうしようもないくらいに。
今日が運命の人と出会える日かもしれないから美しくいるべき、って感じの格言だった。でもこの世に自由にコスメを買えるような大学生はどれほどいる?そんなにいないぞ。少なくとも私は必死にバイトをしても、節約できるところ全てを切り詰めた光熱費、水道代、そしてクソほど狭い家の賃料に消えていく。
大学生ってこんなもの?主語が大きいかな。
なぁんてさ。
無駄なことを考えながら私は家を出た。
運命の人、明日は頑張るから。明日は、メイクするから。明日はもっとありのままの私を認めながら着飾るから。だから出会うなら明日にして。明日の明日は私はきっと頑張らないから。頑張れないから。
今日は一限からある最悪な日。楽単だけど朝からはしんどいって。毎日必死に生きるてるじゃないか。私だって。
頑張ってるのにって言葉が私を取り巻く。どす黒くて、痛々しくて、汚れた純粋が飲み込めなくて喉の辺りに吐き気に似た感覚として溜まってしまう。どんな言葉も誰かを傷つけてしまいそう。もう存在しない方が吉なんじゃないかなって。
誰か否定して。重たいなんて思わないで。
帰り電車に乗っていたら涙が出てきてしまって衆目に耐えられなくなったから電車を降りた。それくらいしか今の私に許されている行動はない気がした。
嫌だった。全てが。
嫌になった。全てが。
たまたま空いていたベンチに座って電車が何本も通り過ぎていく音にだけ耳を傾けていた。あの人何してんだろうって案外誰も思わないことはよく知っている。じろじろ見られているのかどうかは顔を下に向けているから分からないし。
よく考えたらさ、私も関わらないようにしてたもの。変な人がいれば。
あんな人になっちゃいけませんよって親が指をさすような人間にならぬようにと。関わり合いにならぬように。失礼、だなんて考えたこともなかったけれど。今になって思い返したらそれってものすごく残酷な教えで、失礼極まりない。他人だったら何を言ってもいい、なんて存在しないはずなのにな。
どこか分かっていたが故の無感情だったのかもしれない。変な匂いでもしなければ、声をかけられなければ、顔をしかめることもせずに道に迷ったような感じを出して、頭の方向をかえたりするだけ。それは自衛であり、攻撃ではない。もしも攻撃になることがあるとするならばそれは相手の受け取り方の問題だ。
「っ、はぁ~…」
なるべく音にならないように。
なるべく大人にならないように。
音が似ていて、嫌になった。
涙が止まらないなぁ。
七月はこんなにも悪質な暑さだっただろうか。汗が滲む。地下鉄だったら変わったかな。帰る人たちの家を求める熱気で息苦しくはならないだろうか。今日という日を思い出すけれど、劇的な日ではなかったことだけは確かだった。
大した日ではなくていい。
人生最後の日に一番最初に『大した日ではなくていい』と思った日からの差が果てしないものに感じられるほどに変わっていればそれでいい。毎日のように変化があると疲れてしまうから。でも平凡と呼べるような日が続くのは現状維持という皮を被った退化なような気がするから。それは耐えられない。
人間はどんな苦難も耐えられると思う。結局寿命とか、病気以外で死ぬともなれば殺害されるか、自殺するか。それは人為的なものだから防ごうと思えば防げるわけで。耐えられないってすごく大層に聞こえるけれど耐えようとしなければ、限界という名の美徳はすぐに訪れる。無理に耐えなくていい、けれど盲信の自己愛は失望と隣り合わせだ。
死のうとしない限り、死ぬことはない。
生き続けるのに意味などないのに、この現代は意味を求めたがるガールとボーイが山のようにいる。蔓延る流行り病のように。それが素晴らしいんだと信じて疑わない人たちの人生に対する絶望を見出す力には本当に脱帽する。全ての絶望が今の自分を形成しているって。
繋がってなかったタイミングだってあったでしょうに。。。
意味なんかないよ。生きるのに。
ただ意味を求める。探求するっていうのが人間としての尊厳なんじゃないの?
失ってはいけないプライドとかね。そういう、ナニカ、であるだけじゃないの?
世界は私個人のことなどどうでもいい。だから私に意味を与えない。それにいちいち希望を失った、とか壮大な感情を抱いていたら本当の意味で消えたくなってしまう。そもそもなかったことにしたくなってしまう。
死にたい、ってそういうわけじゃないこともあるでしょう。
単純にこの世から逃げたい。この世のありとあらゆる試練を自分の身から遠ざけたい。二度と降りかからないで、再会することもなく平凡、しかし平和に生きられるならば生きてもいい、みたいな。出来なさそうだから死にます、みたいな。
もうワンパターンが自分の誕生という人生最大のイベントをなかったことにしたい、という派閥。
死にたい、より逃げたい、が近い感情。
死にたい、より消えたい、が近い感情。
交わらなそうで、ものすごく近い。密接なようで、無関係でしかない。
今、私は、消えたい。
「あの、大丈夫、ですか?」
ーーー
【続く】
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七月四日 あおいそこの @aoisokono13
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