第12話「さぁて、出発じゃ」
「いやあ、いいのかのう? わしみたいな行商人が、正式に衛兵隊と契約なんぞしてしまって」
ネイマンは、宿屋『アヴニール』の一室で笑みをこぼしていた。
先日まで戦乱に巻き込まれていたゲルムントの街が、ようやく落ち着きを取り戻しつつある。街を騒がせた“黒いローブ”の一団も捕縛され、魔物の恐怖も去った。
そんな中、ヤナック隊長ら衛兵たちが「ネイマン酒を指定酒にしたい」と打診してきたのは、思いも寄らない嬉しい話だった。元々ネイマンの酒は評判が高まりつつあったが、“平和が戻った記念”だそうだ。
「もちろんです、ネイマン様。私たち衛兵隊にとって、あなたが造られる酒は特別なんです。いや、街の誇りと言ってもいい」
そう力説するのはヤナック隊長。精悍な顔に笑みをたたえ、わしの手をがっちりと握ってくる。
隊員たちもそれぞれ敬意を表しながら、定期購入の契約書類をわしに差し出した。
「これで我が隊が訓練や式典のときに飲む公式の“ネイマン酒”が確保できます。安定した供給をお願いいたします」
「へへっ、まあありがたいことじゃな。わしも世界を回る身だが、定期便を飛ばせるように手配してみるとしよう。量や回数、細かいところは決めておかんとな」
宿の主人や看板娘も嬉しそうに「おめでとうございます!」と拍手してくれる。これでわしはしばらく生活費の心配もせずに、旅を続けられるというわけじゃ。
書類に軽く目を通し、隊長らが用意してくれた契約内容に合意のサインを入れる。銀貨の受け渡し方法、酒の出荷ルートなど、細かい取り決めが書かれておるが、問題なしじゃのう。
「よし、これで定期収入が保証されたわい。……いやあ、行商冥利に尽きるのう」
「ネイマン様のお酒を飲めるなら、隊員たちも士気が上がります。これで街の治安維持にもよりいっそう力を入れられますよ!」
隊長の言葉に、周りの衛兵たちが「万歳!」と楽しげに声を揃える。かなりの盛り上がりじゃが、いいことだのう。
娘さん(看板娘)が「また宿屋で試飲会やりましょうね?」と笑顔で言ってくる。わしは「もちろんじゃ」と、うなずき返した。
それから翌朝。
わしは荷造りを終え、宿の前でバイスとともに出発の準備を整えていた。 バイスの傷もずいぶん良くなり、以前ほど長距離移動に支障はなかろう。
門の近くには見送りに来たヤナック隊長や衛兵、宿の主人、そして看板娘の姿がある。
「ネイマン様、本当にお世話になりました。もし何かあれば、いつでも戻ってきてください。私たちもできる限り協力いたしますから!」
「ありがとさん。こっちも酒の発送は忘れんから安心せい。銀貨の支払いが滞ったら、すぐ来るからのう。へへっ」
半分冗談交じりにそう言うと、周囲にくすくす笑いが起きる。もうすっかり、わしらは旧知の仲という雰囲気じゃ。
宿の主人が「また試飲会をぜひ……」と遠慮がちに言えば、娘さんが「帰ってきたら最新作のお酒をぜひ置いてくださいね!」と元気に声をあげる。
「そうじゃな、もっと美味い酒を研究しておくからの。じゃが、まだまだこの世界には未知の材料が溢れとる。わしはそれも探しに行かんといかんのじゃ」
ここゲルムントの街は、わしにとって大きな転機になった。
黒いローブの謎に巻き込まれ、魔物を退け、衛兵隊との特別な契約まで結べた。旅の先には、きっとさらなる出会いがあるはずじゃ。
「行くぞ、バイス。怪我の具合は大丈夫か?」
「グルル……!」
バイスは軽く翼を広げ、宙を舞うような仕草を見せる。もう無理なく飛べる程度には回復したようじゃ。わしはその姿を見て笑顔になる。
ヤナック隊長が最後の挨拶として、わしに深々と頭を下げた。
「ネイマン様、我々はこれからも街を守り続けます。定期便の酒、どうかよろしくお願い申し上げます。そして、あなたの旅路に幸多からんことを!」
「お主らも頑張るんじゃよ。」
言いながらわしは杖に魔力を込め、小さく風を起こす。
すっと身体が浮き上がり、バイスの背中へ飛び乗ると、見送る人々を見下ろす形になる。皆、笑顔と少しの寂しさが混じった表情じゃ。
「皆の衆、さらばじゃ。酒がなくなったら手紙でも出してくれ。あるいはわしが気まぐれでまた立ち寄るかもしれんけどのう。ハハッ」
わしがそう呼びかけると、「お気をつけて」「また来てくださいね!」と、あちこちから声が返ってくる。
見送る声を背中に感じながら、バイスが大きくはばたき、ゆるりと上空へ舞い上がる。街の石畳が小さくなり、やがて城壁の向こうに出ると、まだ見ぬ地平が広がっていた。
ゲルムントを後にしたわしとバイスは、緩やかな風に乗って次の街を目指す。
はるか遠方には高い山脈が連なり、その先には連邦の領地があると聞く。どんな材料や出会いが待っているのか、考えるだけで胸が弾むのう。
加えて、“黒いローブ”の本拠地や、悪魔族の再侵攻といった懸念も完全に拭い去られたわけではない。この先の旅路でも、また別の騒動に遭遇するやもしれん。
「だが、わしはもう迷わんよ。バイスと共に、世界中で酒を広める。それがわしの務めじゃ」
バイスが低く唸るように応えてくれる。傷は治りきってはいないが、こうして空を行く姿を見ると、互いに心強いものじゃ。
後ろを振り返れば、ゲルムントの城壁が夕陽に染まっている。もう少しすれば、完全に闇へと溶け込むじゃろうが、あの街に希望と賑わいが戻ったことを思えば、なんとも幸せな光景だ。
「さて……次の目的地では、さらに美味い酒の研究ができるじゃろうか。新しい材料や製法を見つけたいのう。フフッ、思えば行商も忙しくなるぞい」
わしはそう独りごちると、バイスに向かって軽く肩をたたいて合図をする。
軋む翼を畳み、次第に高度を下げながら、未知なる街の方向へと向かう。空には星が一つまた一つと瞬き始めていた。
「ま、苦労も多いじゃろうが、行商の醍醐味はこれじゃよな。飲みたい奴らのもとへ、自慢の酒を届ける――フフッ、まさに至福の行脚じゃ」
ゲルムントで手に入れた定期収入と、増えた仲間たちの信頼を糧に、わしはさらに“ネイマン酒”を進化させるつもりだ。
きっとどこかで、悪魔族や新たな敵と出会うこともあるかもしれん。だが、そういう時はまた杖を握りしめ、バイスと共に立ち向かうまでのこと――。
こうして、ネイマンとバイスの“酒売り行脚”は、次なる地平へ踏み出す。
夜の闇を走る風が、どこまでも心地よくわしらを包んでいた。
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