第7話
「健全になればいいって、どういう意味だ…」
言われた言葉の意味が理解できず、ゆっくりと確認するようにオウム返しにした。突拍子もないことを朱里が言うのは初めてではない。それなりの回数聞かされてきたが、流石に今回のことは悠希の理解の範疇を超えていた。付き合ってもいない異性同士が頻繁に交流することを不健全と定義するのならば、健全になるというのは。
眉間に皺を寄せ苦悶している悠希をあっけらかんとした表情で見つめる朱里は、やはり普段通りの淡々とした口調で告げた。
「んー、付き合うとか?」
「え」
呆気に取られるとはこのことを言うのだろう。どういう思考回路ならば健全=付き合うという結論に達するのか。朱里は学年トップクラスの成績だから頭が悪いと言うことはあり得ない。大体何でも出来るためある意味では天才と言えるが、時に天才の思考回路は凡人には理解できないことがあると言う。これもそれに該当するのか。
「いや、何で付き合うって結論になるんだよ」
「要するに悠希はただの幼馴染の私たちの距離が近すぎることが良くないって言うんだろ、じゃあいっそ付き合えばいいんじゃないか。恋人同士なら頻繁に見舞いに行こうが家に行こうが変じゃない、寧ろ普通だろ」
「…」
一応筋は通った言い分に一瞬納得しかけたが、やはりおかしい。距離が近すぎることに対する解決策が恋人になることというのは。普通に距離を改めるとかもっと他に方法はあるのでは、と感じずにはいられない。どんな荒唐無稽なことを言っても如何にもまともに聞こえてしまうのだから、話し方というのは大切なのだと実感する。そういえば生徒会長選挙の応援演説でもその手腕を発揮し、当選に導いていたとふと思い出す。
「何かそれっぽく聞こえるから恐ろしいな、ほんと。で、付き合うって俺と朱里が恋人になるってこと?」
「ああ、と言ってもフリだけだけど」
「…」
「何だ、不満か」
「言葉が足りないんだよ最初からフリならフリって言えよ」
一瞬、ほんの一瞬だが付き合っている自分と朱里を想像してしまった悠希は恥ずかしくなった。期待していたからではない、あまりにも不釣り合いだったからだ。本当に付き合うわけではないと分かりホッとするとともに、惨めな気持ちになるのは避けられなかった。微かに怒りを滲ませる悠希を朱里は宥め始める。
「いや、悪い悪い。本当の事を言うとな悠希が幼馴染にしては距離感がおかしい、って言った時『これ使えるな』と思ったんだ。普段から距離が近いんならその流れで付き合ったとしても不自然じゃないし、誰もフリだなんて思わないって」
「…フリでも恋人が欲しい理由があるのか」
「流石言わなくても分かってる」
感心したように笑う朱里に何年一緒にいると思っているんだ、と毒づいた。
「もういい加減、告白されるのも面倒くさくてな。フリでも恋人がいればマシになると思って」
告白されるのが面倒とは聞く奴が聞けば嫉妬で怒り狂いそうな台詞だ。悠希は嫉妬も何の感情も抱かない。傍でモテまくる朱里を見て来たため、その苦労が良く分かるからだ。しかし、悠希はそこで疑問を口にする。
「前に好きな奴に告白して付き合えばいいじゃん。絶対断られないだろ?」
そう、朱里には現在想い人がいる。こんな欠点らしい欠点が見つからない自慢の幼馴染が振られる様など想像もできない。しかし、気のせいかもしれないが一瞬悲しそうな顔をした朱里は不自然な明るい声で答えた。
「無理。だって脈なしだからな、私は勝てない戦はしない主義だ」
(だからどんなやつなんだそいつは…まさか凄く年上とか?教師、既婚者…は絶対あり得ないし。大金持ちの御曹司のほうがまだあり得る…)
朱里をして脈なしと言わしめるその相手がどんな奴か想像すらも難しい。というか、相手についての情報が一切ないため想像もできない。どんなやつか聞いても教えてくれないからだ。割と明け透けに何でも話す癖に、この話題に関してだけはガードが著しく固いのである。恋愛経験はおろかコミュニケーション能力もないに等しい悠希が出来ること等ないかもしれないが、相談に乗るくらいの事は出来るのに、と常々思っていた。
そしてこの話題になると時折胸の辺りが鈍く痛むのである。不整脈か何かかと心配になり主治医の先生に頼み検査をしてもらったが、異常なしだった。何故かその時の先生の生温かい笑みが頭に残っている。ストレスか何かだとあまり気にしないことにしているが、今この時も胸に痛みを覚えた。
頭を切り替える。想い人に頼むことは不可能、フリを悠希に頼む理由については。
(まあ、普段からべったりしている幼馴染同士がそのまま付き合うって割と普通の事だしな。薫には頼めないよな)
悠希が把握しているうち二回告白して二回振られている薫に恋人のフリを頼むなど、デリカシーが欠落している人間以外は絶対にできないであろう。もしかしたらもっと告白して振られているかもしれないな、と勝手に薫を不憫に思う。だが、ここでフリを引き受けると言うことは体外的に恋人同士として振舞うことだ。それは薫に対してもだ。朱里とは距離を置くと啖呵を切った昨日の今日で、付き合うことになりました、なんて下衆を通り越してサイコパスである。もしかしなくても自分への当てつけに嘘を言った、と取られかねない。薫との友情が壊れても大して困らないが、人としてあまりやってはいけない気がするので引き受けるのは気が引ける。
目を伏せ考え始めた悠希に朱里は労わるように声をかけた。
「おい、そんな考えることか。嘘でも彼女がいるってなれば女子に話しかけられることも面倒な奴に絡まれることも減るぞ」
何か通販番組みたいにおすすめされている。というか、悠希は中学以降面倒かつ心配をかけられたくないからと朱里に振られた、好意を持っている男から絡まれても朱里には黙っていることにしている。だから朱里は知らないはずなのだが、この言い方からすると全部把握していそうだな、と薄ら寒くなる。もしかしたら絡んでこなくなった男たちの中には朱里が対処した奴もいたかもしれない。セコムよりセコムしている気がする、この幼馴染は、と少し呆れながら相手を見つめた。
しかし、薫の事を抜きにしても悠希にもメリットがある申し出だと言うのも確かだ。だからこそ悠希は良く熟考し、答えを出そうとした。
「ごめん、少し考えさせてほしい」
口から出たのは、そんな情けない言葉だった。
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