第5話

衝動に任せて薫に啖呵を切ってしまった悠希は午後の授業は一切頭に入らなかった。友人と昼食を取っている時も相手の話を上の空で聞いていたし、午後の授業が終わると午前中とは違う理由で机に突っ伏した。クラスメートが教室から出たり、友人とのお喋りに花を咲かせている中で悠希だけが頭を伏せたままだった。当然ながら昼間の事を悔いていた。


(何であんなこと言ったんだ俺!感じ悪すぎだろ)



周りから心配されることも気にせず悠希は一人脳内で反省会を行っている。朱里と離れる決心をしたせいでタガが外れたのか、今まで誰にも明かしたことのないどす黒い胸の内まで晒してしまったことに自分でも驚いていた。薫の性格上、悠希のセンシティブな情報を誰かに漏らすことはないだろうが誰にも明かすつもりのなかったことが知られている状態というのは何とも言えない居心地の悪さを生み出している。しかし、それはどうしようもないと割り切る。

幸い、と言っていいのかは微妙だが悠希と薫は普段から話す間柄ではない。気まずさがにじみ出ていても周りに怪しまれる可能性は低いだろう。


問題はもう一つの方だ。


(あそこまで言ったんだから、本当に朱里から離れないと…)



決めていたこととはいえ、薫に言ったことである意味で決心がついた。朱里にもう自分に構う必要はない、と伝えることを。しかし、どのタイミングで言うかについては決まっていない。直近で朱里に会い予定は今のところはない。というか、朱里は予定を聞かず突然来ることがほとんどだからだ。仮に悠希の予定が合わなくても家が近いためその後の予定に支障はない。こういう時、家が近所というのは便利だとしみじみ思う。

こちらからわざわざ呼び出して、「もうあなたの手は必要ありません」と伝えるのは普通に考えて酷い奴である。友人としての縁すら切られてしまう。やはり、向こうからやってきたときにさりげなく伝えるのが一番マシな気がしてくる。


取り合えず首の角度がきつくなってきたのでいい加減頭を上げようとしたら、頭上から声が降ってくる。


「どうした悠希、具合でも悪いのか」


頭を上げ、声の主を確認すると翔が心配した顔でこちらを見下ろしていた。右の肩にはリュックをかけている。


「昼休みからなんか変だぞ、大丈夫か」


昼休みという単語にギクリ、と肩を震わせる。それなりの付き合いのため翔には何かあるとすぐに勘付かれるのだ。仮に薫と話したとこが原因とバレても、その内容だけは絶対に言うつもりはないが。



「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」


誤魔化すように笑うと翔はそっか、と言い一応納得してくれたようだ。久しぶりに学校に来ると少し疲れてしまうのは昔からなので、特に怪しまれなかったようでホッとした。が、次の瞬間その心の均衡も消え去ることになる。


「そういえば、隣のクラスの東郷、西条先輩を呼び出したらしいぜ」


「ゲホっ!!!!!」


突然薫の名前が出たことで、余りの衝撃で盛大にむせた。慣れた手つきで翔が背中を擦る。暫くして呼吸を整えた後、恐る恐る訊ねる。



「え、それいつのこと…」


「ついさっき、授業終わってすぐ東郷が西条先輩のクラスまで行って呼び出したらしい。女子も男子も大騒ぎよ。あの二人って結構話してるの見たことあるけど、東郷って西条先輩狙ってたんだな」


意外という様子の翔を尻目に悠希は背中に変な汗をかき始めていた。薫がそんな愚行を犯したのは間違いなく悠希の言葉が原因だからだ。


『アタックするなりなんなり、するといいさ』


確かに焚きつけるようなことを言った自覚はある。しかし、言ったその日のうちに行動に移すとは思わなかった。薫の行動力を甘く見ていたようだ。というか、言っちゃなんだが馬鹿なのではと感じてしまう。



「…あの二人家同士が仲いいから付き合いは長いぞ、俺より」


薫が告白(仮)をしたことを意外に思っている翔に補足するように二人の関係性を説明した。二人が幼馴染であることはあまり知られていないようだ。もしかしたら、小学生の頃薫が告白したことも知っている奴は少ないかもしれない。そういえばあの時、薫は騒がれることを危惧して朱里の家まで行って告白したと言っていた気がする。だから知られていないのか。

薫は暫定10年、朱里に思いを寄せ続けてることも悠希しか知らない可能性がある。



悠希の言葉を受けた翔が驚いたようで目を見開くがすぐに苦笑いを浮かべる。


「悠希と東郷の仲いいのか悪いのか分からない関係性、不思議に思ってたけど、そういうことね」


勘の鋭い翔は少ない情報だけで悠希たちの関係性を察したようで、大変そうだ、とでも言いたげな微妙に憐れみの籠った視線を向けてくる。こちらとしても話が早くて助かる。


「東郷ってモテるのに誰とも付き合わないで有名だったけど、西条先輩のこと好きだったんだ。逆に凄いな、それなのに悠希と友達として付き合えるの。普通なら嫉妬して嫌がらせするんじゃないのか、好きな相手が男の世話焼いていたら」


翔の指摘は最もだった。薫は恐らく悠希が出会う前から朱里に好意を抱いていた。それが恋情かは判断できないが、憧れの相手が同い年の男子の世話を焼き、それが理由ではないにしても告白を断られたら嫌がらせの一つでもしたくなるだろう。その一線を越えず距離を置くに留めた当時の薫は子供とは思えない対応だ。そして断られても諦められず、6年近く経って再び告白をする薫の一途さが悠希には眩しかった。

悠希には初恋の経験すらなかったからだ。冷え切った両親を見てきたせいか無意識にそういった感情を遮断していた。



悠希が薫を羨ましいと感じていた理由は、一途に誰かを思える真っ直ぐさ、思い人が気に掛ける相手とも仲良くできる心の広さだったのかもしれない。


「それで、結局その後どうなったんだ」


二人の顛末を聞こうとした時机に入れていたスマホがブーっと鳴った。中身を確認するのと、女子がクラスに駆け込んでくるのはほぼ同時だった。


「東郷君、振られたってさ」


「マジで?西条先輩本当に容赦ないね」


女子がケラケラ喋っている声を聞きながらメッセージアプリに届いたメッセージを確認した。


『(´;ω;`)ウゥゥ 』



絵文字だけだが誰が送ったか一目瞭然だった。やはりというか、ダメだったらしい。朱里に好きな人がいるのは確実だったが、それが薫である可能性はほぼゼロだった。長年見て来たから分かる、弟としか見られていないのだ


というか、先ほど罵詈雑言を浴びせた相手にわざわざ事の顛末を伝えるとは、思い悩んでいたのが馬鹿らしくなり拍子抜けしてしまう。もしや薫の中でアレは喧嘩の内に入っていないのか。

女子の話が聞こえていた翔が気の毒そうな顔をする。それに釣られて悠希も居心地の悪さを感じた。


「…西条先輩って」


「言うな」


続く言葉を予想して遮る。悠希から何かしらの意思を感じたのかそれ以来特に朱里と薫の事に触れることはなかった。

だが、薫がある種意地を見せたので、それに応える意味でも悠希は行動に移さねばという気持ちになっていた。




******************


「こんばんは、おばさんに頼まれて夕飯作りに来た」


「…………」



家に戻り、夕飯をどうしようかと悩んでいた18時半頃、玄関のチャイムが鳴ったのでこんな時間に誰だ、と面倒に感じながら戸を開けると、見慣れた顔が立っていた。Tシャツに短パンという白く細い足を惜しげもなく披露しているので、目のやり場に困る。



「いや、俺料理できるから、わざわざ来てもらわなくても。というか高1だし」



「私もそう言ったけど、病み上がりで心配だから今回だけはって頼まれて、断るのも申し訳なくてな。まあ、作ったらすぐ帰るから安心しろ」


その安心しろは何についてなのか、疑問が頭に浮かんだが突っ込むのは辞めた。祖母は早くに亡くなった祖父に代わり会社の会長職に付いている、因みに社長は母の弟にあたる人間だ。今でも忙しいらしく家を空けることも多い。普段はお手伝いさんがいるのだが今日は都合が悪く、家には悠希一人だった。

簡単なものなら作れるので、食事に関しては朱里の手を借りることはほとんどなかったが、よりにもよって今日顔を合わせることになるとは、と頭を抱える。

朱里以上に過保護な祖母を何とかしなければ、と心に決めるが、ここで意地になって朱里も追い返すのも良くないので取り合えず家に迎い入れた。


まるで自分の家のように勝手知った広い悠希の家の中で、迷うことなく台所に直行する。冷蔵庫の中身を確認し、オムライスを作ると言うので悠希も手伝いを申し出ると


「じゃあ玉ねぎ切ってくれ」


と言われたので目が染みるのを耐えながら準備を進めた。




*********************


それから20分後。テーブルの上には喫茶店で食べるような焦げ一つない卵に包まれたオムライスが置かれている。結果、悠希がやったのは玉ねぎと鶏肉を切っただけで、殆ど朱里がやってしまった。朱里が作った方が見た目も味もいいので、悠希としては助かるのだが内心複雑であった。


作り終えると最初に言っていた通りすぐさま帰ろうとエプロンを外し、玄関に向かおうとする。いつもよりやけに早く帰ろうとするなぁ、とぼんやりと考えていると例の事を言うのは今では、と頭に浮かび勢いのまま朱里に声をかける。


「あのさ、言いたいことがあるんだけど」


すると朱里はこちらに振り向き、不思議そうな表情を浮かべている。いざ本人を目の前にすると言おうという意思はあるのだが、言葉が喉に引っかかって中々出てこなくて戸惑う。視線は宙を彷徨い口をモゴモゴさせる。余り長い時間黙っていると朱里に不信感を与える、焦り始めるが数秒経ってやっと声が出る。


「…薫が呼び出したって聞いたけど、何だったの」



口から出たのは全く違うことだった。そうじゃない、心の中で突っ込むがもう遅い。当然問われた朱里は答える。


「ああ、普通に付き合って欲しいって言われたけど断った。昔も今も弟しか思えないから」


思いのほかあっさりした返答だったが、そのあっさりさが薫への男としての関心のなさを表しているようで、そんな資格はないと分かっているが薫に対し同情した。しかし、その言葉の節々には薫への申し訳なさがにじみ出ていると感じるのは気のせいだろうか。



「…好きな相手がいるから?」



「ああ、そうだな」


何故かまた心が痛むが、それを境に言えなかったはずの言葉が口からスラスラ出てくるのを感じた。気まずさのあまり相手の目を見ることが出来ず、目を伏せる。朱里がどんな顔をしているのか分からない。



「好きな相手がいるなら、尚更俺に構わない方がいいんじゃないの。俺もう高1だし自分の事は自分でできるし、朱里も受験だろ。俺に構う時間自分に使って欲しいんだ。その好きな相手が誰か知らないけど朱里に好かれて断る奴いないだろう?」



言い終わった瞬間得も言われぬ達成感と喪失感が生まれていた。突き放すと共に、ささやかながら悠希なりに朱里を激励したつもりだった。悠希にとって唯一誇れるのが朱里だったから、朱里が好きな相手がとうまくいって欲しいという気持ちは紛れもなく本当だった。だからこそ、自分に構うことなく自分の人生を歩むべきだとも。背中から変な汗が吹き出し、着ているTシャツをぐっしょり濡らし始める。

恐る恐る朱里の顔を見ようしたが、



「は?嫌だよ」


「え?」


思いもよらない言葉が返ってきたため、変な声が出て呆然とする。その声には紛れもなく怒りの感情が籠っていた。

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