第1話

(…うーん)



あれから数日後、迎えに来る朱里を待ちながら退院の準備を進めていた。下着やパジャマ等をトートバッグに詰め込み、朱里に持ってきてもらった漫画とゲーム機もカバンに詰めなければいけないが結局片付けの手を止め、ゲームを起動した。しかし、いつものように集中することが出来ない。ゲームを起動させたのに操作をしていないせいで画面が真っ黒になっている。



あの日、朱里のお荷物になるのを辞めよう、と決意したもののまず何をするべきかを決められずにいた。朱里は馬鹿正直に「もう朱里の助けは借りない、俺は一人で大丈夫」と伝えたところで「はい、分かった」と納得する人間ではない。むしろ今より世話を焼かれる危険すらある。それは絶対に回避しなければいけない。


一番の解決策は、朱里の手を借りなくても普通に日常生活を送ることができる、ということを証明することだと思っている。それを証明できれば朱里も安心してくれるのでは、というのは楽観的な考えかもしれないけど。

悠希は持病があるわけではないが、そもそも子供の頃より丈夫になったとはいえ虚弱体質すぎるのだ。入院は年に数回、体育の授業で10回に一度は貧血で倒れる、風邪は最低1週間長引く。もう一度言う、これでもマシになったのである。今も昔も散々周りに迷惑をかけて来た。それももう終わりにするのだ。



一応普段から出来るだけ歩くようにしている。子供の頃は車での送迎が当たり前だったころと比べると十分な進歩と言えるだろう。もっとも、小学校までの道のり30分の間に貧血でうずくまることが多かったことから母と祖母に無理やり決められたことだ。今思い返してみても、自分の身体脆過ぎである。



母はよく健康に産んであげなくてごめんなさい、とよく謝っていたの覚えている。この身体では制約も多いが、恨んだことは一度もない。母や祖母、朱里を始めとした西城家の人間や友人など優しい人間に囲まれて育ったからだろう。悠希は自分を卑下することはほとんどなかった。



(…いや、例外がいたな)



微かに記憶の奥底に封じたものが呼び起こされそうだったその時、病室のドアをノックする音が響く。



「おはよう悠希、準備出来てるか…って何してるんだ」


ドアを開けるなり朱里の呆れた声が静かな病室に響く。朱里は青いワンピースに歩きやすそうなパンプスといういで立ちだ。相変わらず何を着ても様になるな、と心の中で呟く。

悠希は画面が真っ黒になったゲーム機を両手で掴んだままベッドに腰かけていた。壁掛け時計を見るとぴったり10時半。時間に厳しい朱里は予定の時間に遅れることはない。時間にルーズな悠希とは対照的だ。



「朱里、ごめん。もうほとんど終わってるから」



ゲーム機を漫画の入っている紙袋に仕舞い、衣類の入ったトートバッグと一緒に持とうとしたら光の速さで朱里に取られた。かなり重いはずだが本人は涼しい顔だ。朱里は絶対重い方の荷物を持ってくれるのだ。その辺の彼氏より彼氏感が強い。今でもモテるが性別が逆でもモテるだろう、男らしくて。

だが、お荷物にならないと決めたばかりだ、今までのように甘えるわけにはいかない。



「重い方、俺が持つ。いつも持ってもらって悪いから」


荷物を持った朱里の右手首を掴み、懇願するように告げる。今までの反応と違ったためか驚いた様子を見せるが、それも一瞬だった。



「どうした急に、これ重いぞ。私の方が握力強いんだから気にするな」


朱里が何気なく呟いた言葉がグサッと悠希の心に刺さる。当然朱里には悠希を傷つけるつもりはない。ただ事実を言ったまでだ。身長はギリギリ170㎝あるが、体重は50キロもなく、かなり軽い。筋肉も中々付かず当然握力も女子並みだ。下手したら女子より非力である。

一方、生まれつき体が丈夫で運動神経も良い朱里は体力テストで全てA判定をたたき出している。握力も男子並みだ。文化祭の準備の時男子ですら辟易していた荷物を軽々と運んでいたのを目撃した時は、自分の非力さに泣きたくなった。



もうこのまま運んでもらおうと悪魔が囁くが、断固拒否してもう一度告げた。



「…もう俺高一だよ、いつまでも子供扱いしないでくれない?」


自分の口から出たとは思えないほど冷たく硬い声が漏れた。その瞬間しまった、と反射的に朱里の顔を見てしまうが、見た感じ変化はない。すると自分の手首を掴んでいた悠希の手を外すと、漫画の入った紙袋を悠希の胸に押し付けていた。



「分かった、はいこれ。本当に重いから気をつけろよ」



悠希が紙袋を掴んだのを確認すると下着やパジャマの入ったトートバッグも持ち病室を出て行った。紙袋は本当に重かった。

余りのあっけなさにその場に立ち尽くす。いや、よく考えれば意外ではない。朱里は。朱里は人よりも勘が鋭い。親しい人間ならその相手が何をしたがっているか、何を考えているのか大体分かるらしい。


昔から悠希が体調が悪いのを我慢して遊んでいると必ず朱里にはバレた。母や祖母よりも先に。超能力者かと疑ったこともあった。あれだけ聡いのも大変だろうと思っていたが、親しい人間以外には鈍くなるらしい。要するに他人に関心がないのだと、それが悪いことのように告げた朱里の顔も覚えている。

他人に関心がない人間なんていくらでもいるだろう。あそこまで思いつめたような表情を見せた理由が未だに分からなかった。



朱里は悠希が本気でもう世話を焼く必要はない、ときっぱり言えばその通りにするだろう。必要以上に関わることも、もしかしたら関係もスパッと切ってしまうかもしれない。だが、そうなれば悠希は何事も自分の力ですることが出来るし、朱里は手のかかる幼馴染に割いていた時間を有意義に使うことが出来る。朱里は『優しい』から、悠希がきつい言葉を吐いても、心の底から望めば怒りもせず淡々と受け入れるだろう。



それを出会ってから10年以上経つのに実行に移していないのは、つまりそう言うことだ。迷惑をかけたくない、荷物になりたくない等と殊勝な言葉を並べる癖に朱里が居なくなることが嫌なのだ。端的に言えば依存している。悠希と朱里は当然ながら付き合っていないし、過去そういうことがあった事実もない。ただの幼馴染であり、いっそ色っぽい関係の方がまだ正常に見えてしまう。


悠希は、自分が心のどこかで美人で頭が良くて、何でも出来る朱里が近くにいてくれることで優越感に浸っていることに気づいていた。友人に「西条先輩と仲が良くて羨ましい」と言われるたび気まずそうに振舞っていたが、内心『西条朱里の隣にいることが出来る』自分を皆が羨ましがっていることで心が満たされていた。そんな自分の事をいつも、醜く浅ましいと卑下している。



自分の身体すら気持ち悪く感じていると、本当に気分が悪くなってきた。喉の奥から何かがこみ上げてくる感覚だ。このままだと朝食べた朝食を全て戻してしまう、と困っていると突然ドアが開かれた。誰かが来るとは思わなかったので、驚いて変な声をだしてしまう。その衝撃で出そうだったものが引っ込んだ。


見るからに挙動不審な悠希を一瞥したのは出て行ったはずの朱里だった。訝し気な視線を向けられ、どうしたら良いか分からず目を泳がせる。しかし、ついさっきまで気分が悪かった名残か顔が真っ青になっていることに気づいたようで、スタスタと近寄り顔を覗き込む。見慣れた顔とはいえ、不意打ちで恐ろしく整った顔が近づいてくると動揺してしまい反射的に後ろに遠ざかる。当然、朱里はただでさえ大きい眼を見開いている。心なしか寂しそうな表情に見えてしまい、更に焦る。

それと同時に朱里の不信感が増幅しているのを雰囲気で感じており、内心どうしたものかと思案していると


「どうしたんだ、悠希。…顔色が悪い、取り合えず座れ」


「大丈夫だ、か、ら~~」



その細腕のどこにそんな力が、と言いたくなるような力で無理やり椅子に座らされる。非力なもやしに抵抗は無理な話だった。朱里も部屋の隅から椅子を持ってきて自分も座る。どうやら悠希の体調が良くなるまで待つつもりらしい。自分なんて放っておいて先に帰ってくれてもいいのに、と口に出しそうになったが、そんなことしたら怒られるのは火を見るよりも明らかなので黙ることにした。



「…………」




先ほどの醜い自分を思い出し、悠希は顔を見ることが出来ずに俯いていた。朱里はそれほどまでに体調が悪いと思ってしまったらしく、「大丈夫か」と声をかけられるたび罪悪感で潰されそうになる。心底心配してくれているのが伝わってくるのが、余計にきつい。

その度に大丈夫、と答えたので一応は納得してくれたのかそれ以降特に会話はなく、朱里は持ってきた本を読んでいる。

二人は一緒にいる時ずっと喋っているわけではない。会話のない時間の方が長いこともあるが、その沈黙を耐え難いと感じたことは一度もない。むしろ落ち着くのだ。一緒にいるのに喋らないので、幼い頃は喧嘩でもしているのかと勘違いされたこともある。


その心地よいはずの沈黙が、今は異常に気まずく感じてしまう。自分でも分かるほどに落ち着きがなく、ソワソワしているのが分かる。向かいに座っている朱里は気にする素振りすら見せない。漫画でも読もうかとも一瞬考えたが、集中できないのが目に見えている。


沈黙に耐え兼ねて悠希は口を開いた。


「そういえば、さっき出て行ったのに何で戻ってきたんだ」



苦し紛れに絞り出した言葉だったが、朱里は読んでいる本を閉じ顔を見据えた。



「いや、普通に受付で入院費の清算してきたんだよ。終わってから暫く待っても悠希が来ないから、なんかあったのかと思って戻った」


「あ」



荷物の事に気を取られ過ぎて、入院費の清算が頭から抜け落ちていた。シンプルに言って馬鹿である。だから学校の成績も中の下なのだ。朱里が出ていく段階で気づいていれば、余計な手間をかけさせることもなかったのに。いつものように、予め祖母から入院費を貰っていたので、リュックの中から財布を取り出し札を何枚か出して朱里に渡す。


「後でいいのに」


「こういうのは早めにしないとダメだろ」



財布を仕舞うと椅子から立ち上がり、リュックを背負い床に置いていた重い漫画の入った紙袋を持つ。



「そろそろ出よう、気分も良くなったし」


そう言うと朱里も無言で椅子から立ち、荷物を持ってドアに手をかけようとするがその直前ガラッとドアが開かれる。開いたドアから出て来たのは小柄で小太りの優しそうな看護師だった。その看護師は朱里の顔を見るなり、嬉しそうに声を上げる。


「あら~朱里ちゃん久しぶりね、相変わらず美人ね。悠希君を迎えに来たのかしら、仲が良いわね」



「渡辺さん、お久しぶりです」


ニコニコとしている渡辺さんと表情を変えず淡々としている朱里を眺めながら、面倒な人に会ってしまったと悠希は荷物を持っていない方の手で頭を掻いた。



「もう帰ったと思って部屋に入っちゃったけど、二人きりで何して…あらごめんなさい」


「……」


この人こういうこと言わなければ優しくていい人なんだけどな、とやや冷ややかな目を向けながら心の中で呟く。渡辺さんは自分の息子と年の近い悠希を病院に来るたびに可愛がってくれた。家族よりお見舞いや遊びに来る朱里とも当然ながら顔見知りだ。今回の入院で二人が顔を合わせるのは初めてだった。


「これからデートでも行くのかしら、けど悠希君退院したからって無理しちゃ駄目よ。まあ朱里ちゃんがいるから大丈夫だと思うけど」


「そうですね、まああまり連れまわすのも良くないので、すぐに帰る予定です」


『デート』という単語に一切触れない朱里。下手に突っ込むと話が長くなるのは過去の経験で知っているからだ。渡辺さんに限らず、この病院の看護師の何人かは悠希と朱里が付き合っていると思っており、訂正しても『照れ隠し』と受け取られてしまう。面倒なので二人とも放置している。

まあ、下手すれば家族よりお見舞い、遊びに来ており高校生になってもそれが続いている。ただの幼馴染にそんなに親身になるわけがない、とそう思ってしまうのも仕方がないのだろう。何でもないと言い張るには距離が近すぎるのだ。



これ以上付き合ったら話が長くなると判断したのか、おもむろに悠希の手首を掴む朱里。先ほどやったことの意趣返しだろうか、と一瞬頭を過るが突然のことに「ひっ!」と変な声を出してしまった。渡辺さんはその様子を見てニコニコしているし、反対に朱里は特に反応がない。今日だけでかなりの奇行を見ているせいだろうか。



「すみません、そろそろ失礼します」


すれ違いざまにそう告げると悠希の手首を掴んだまま病院の出口まで歩き出す。悠希は軽く会釈をすると引きずられるように朱里の後に続く。






二人の姿が見えなくなると


「…あれだけ煽っても付き合うか気配がないのは逆に凄いわ。朱里ちゃんは分かりやすいけど悠希君がねぇ…鈍いのか気づいてないのか」



それなりの長さ、二人を見守っていた女性の苦悩がため息とともに漏れていた。

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