年上幼馴染に世話を焼かれている件
有栖悠姫
プロローグ
(…暇だな)
悠希は病室のベッドに寝そべりながら真っ白な天井を眺めていた。幼い頃から世話になっている病院なのですっかり見慣れた天井で、何の面白みもない。
悠希の病室は個室なので他の患者の話し声も一切聞こえない。金だけ払えば親としての義務を果たしていると思っている父親と親代わりの祖母のおかげでこんな広い病室を一人で使わせてもらっている。
「Wi-Fiないからスマホでゲームも出来ないし、急だったから漫画も持ってきてない」
モバイルWi-Fiも置いてきてしまったし、この何もすることのない入院生活で暇を潰せるものがない。
母親に似て病弱な悠希は大きな持病こそないものの、ちょっとした風邪でも重症化して下手すれば入院、張り切って体育に出れば貧血を起こして保健室に運ばれる。
今回もただの風邪だと侮っていたら拗らせて肺炎になり、心配した祖母によって病院に叩き込まれた。一日経てばかなり良くなり、もう退院してもいいと言ったが大事を取ってあと数日入院することになった。
しんどかった初日と違いそれなりに楽になってしまうとこの広い病室は、悠希にとって檻と同じだ。出歩けば顔見知りの看護師に咎められるし、売店にも碌な本が売っていない。
祖母に連絡して何か持ってきてもらおうかとも考えたが、自分より元気とはいえ70近い祖母の手を煩わせることは気が引ける。父は論外だ。息子が入院したというのに顔を見せにも来ない。今日は仕事だろうがたとえ休みでも悠希の見舞いになんて来ず、あっちの家族の中で「いい父親」をやっていることだろう。
元々母は家同士が決めた婚約者だった。しかし、病弱で地味な母を父は良く思っていなかった。結婚したのも母が悠希を身ごもったから仕方なく、だったらしい。悠希が生まれても生まれる前からも父は家庭を顧みることは一切なかった。そのため悠希は母と祖母に育てられたようなものだ。母が亡くなると父は悠希を引き取ることを拒否し、これ幸いと新しい恋人と暮らし始めた。それから暫く経たないうちに悠希の弟だか、妹だかが生まれた。明らかに母が生きていた頃から関係があったようだ。祖母や母方の親戚は反対したが、父は聞く耳を持たなかったため、見かねた祖母が悠希を引き取ったのだ。今は祖母と何人かのお手伝いさんと一緒に古くて広い日本家屋に住んでいる。
ちなみに父方の祖父は健在だが、父と同じく全くの無関心を貫いている。身体が弱い孫は必要ないのだろう。
あんな人間をもう父親とは思っていない。入院した時、来てくれたのは祖母を除くと幼馴染だけだ。血が繋がっていても、父親は他人なのだ。
父親の事を考えて気分が悪くなっていると、突然病室のドアが開かれる。
手入れの行き届いた一度も染めたことない漆黒の髪は、サラサラとして光沢が見える。透き通るような白い肌は陶器のような滑らかさで、長いまつげに彩られた大きな瞳は見た者を魅了する。
二つ上の幼馴染、西条
悠希に誇れるところがあるとしたら、この才色兼備な幼馴染がいることだろう。
「悠希、調子どうだ?どうせ暇を持て余してると思ったからゲーム機と漫画、おばさんから預かってきたぞ。あ、あとお前が好きなプリン、新しい味が出ていたから買ってきた」
そう言うと朱里はビニール袋からプリンとスプーンを出した。大きなカバンからは携帯ゲーム機と漫画を取り出し、悠希が取りやすいように傍の棚の上に置いてくれた。口は悪いが一つ一つの行動が優しいのは出会った時から変わらない。
「…わざわざ学校帰りに家に寄ったの」
朱里は悠希も通っている高校の制服を着ていた。小さい声で呟いたが聞こえていたらしく、「そうだけど、そもそも近所だし手間じゃない」と返事が返ってきた。
高校三年生で色々忙しいはずなのに、こんなことをさせて申し訳ない、と思うことは中学の時辞めた。この完璧な幼馴染に世話を焼かれていることを全面的に受け入れたわけではないが、悠希が何を言ってもこの幼馴染は聞く耳を持たない。学校生活よりも病弱な幼馴染を優先させるのだ。勉強が遅れている悠希の勉強を見たり今日のように差し入れも持ってきてくれる。
学校で孤立していないか心配になるが、時々学校で見かけると複数人に囲まれているのをよく見るのでその心配はなさそうである。友人の少ない悠希に心配されたくないだろうな、とぼんやり考える。
悠希の母親と朱里の母親は家同士の付き合いがあり、親友だった。母が健在の頃から朱里の家族は悠希を気にかけていた。母が亡くなり、父に見捨てられ祖母に引き取られてからもそれは変わらなかった。
朱里は椅子をベッドの横に寄せて座った。口調が粗雑なだけで所作は丁寧だ。朱里の家もそれなりに裕福なので、教育の賜物だろう。
「退院、明後日だろ。休みだし迎えに来るよ」
「いいよ、別に。一人で帰れるし」
休みの日くらい友人と遊んだり、やりたいことをやって欲しいと常々思っているのだが、それも「好きでやってることだから」と言われると何も言い返せなくなる。そもそも朱里は良くも悪くもストレートな性格なので、本当に嫌々やっていたらはっきりそう言うだろう。年の離れた姉しかいない朱里にとって悠希は弟同然の存在である。朱里にとって病弱な弟の世話を焼くのは当然なのかもしれない。
(…同情だけで10年も続けられるわけないよなぁ)
父親に見捨てられ、母親も入院してばかりで、学校にも満足に行けず病院暮らしを繰り返す。そんな悠希の世話を焼くのは同情心だと思っていたが、割と早い段階でそうではないと悠希は気づいていた。何故こんなにも良くしてくれるのか、悠希には未だに分からないのだ。もしかして悠希に怪我でもさせて、その償いかと一度は考えたが、悠希の身体に大きい傷痕は一切ない。もやしのように細く白い体があるだけだった。
すると朱里のカバンからブーブーという音がした。カバンの中を探りスマホを取り出すと、あからさまに嫌そうな顔をした。
「何でそんな嫌そうな顔してんの」
「嫌いな相手から電話きているからだよ、告白断ったからってしつこくてさ」
今日も朱里は包み隠さず正直に答える。心底面倒くさそうなのを隠しもしないのは相変わらずのようだ。
「そんな面倒くさそうな相手に番号教えたのかよ」
すると朱里は更に眉を吊り上げ、怒っているように言った。
「クラスメートが勝手に教えたんだよ、ったくプライバシーも何もない」
すると朱里は音の鳴っているスマホをカバンに仕舞い、何事もなかったように話し始める。無視するつもりらしいが、音が止むことはない。流石に痺れを切らしたのか「ごめんすぐ戻る」と言い残し、病室を出る。
「相変わらずおモテになるようで」
独り言のように呟く。当然答える人間は居ない。
中学の時、こんなことがあった。廊下を歩いていると突然知らない先輩に声をかけられた。名前は知らないがかっこいいとクラスの女子が騒いでいた人だ。
『鶴見悠希ってお前?』
初対面のはずがその声には敵意が籠っていた。一緒にいた友人も緊張した面持ちだ。
『…そうですけど』
そう呟くと、敵意満載の表情から人を見下しているような表情に変わった。顔は整っているはずが酷く歪んで見えた。
『病弱だかなんだが知らないけどさ、中学生にもなって西条のこと縛り付けて何とも思わないのかよ』
吐き捨てるように目の前の先輩は言った。短い言葉だったが悠希には、この先輩が朱里が悠希の見舞いに行ったり放課後も行動を共にしていることを良く思っていないことが分かった。
『お前の世話焼いてるせいで俺、西条とどこにも行けねぇんだよ。言ってる意味分かるだろ。西条に対して悪いと思ってるなら、解放してやれよ』
言いたいことだけ言ってその先輩は去っていった。解放してやれ、とはまるで悠希が朱里を縛り付けているようだ。何も分かっていない、と心の中でほくそ笑む。あの自慢の幼馴染を縛ることが出来る人間は存在しないと言うのに。
今の先輩、朱里との関係を言わなかったが普通に考えると恋人、ということだろう。しかし悠希は朱里から恋人が出来たなんて話を聞いたことがない。
なのでその日の夜、電話して聞いてみた。答えは否だった。
『彼氏なんているわけないだろ…そいつはクラスメートの和泉だな、それなりに話す関係だが友達ってわけでもない。最近妙に馴れ馴れしいと思ってたけど…迷惑かけて悪かったな』
恋人どころか友人ですらかったことに電話越しで顔が見えないのに、驚きで目を見開いた。
その後、和泉とかいう先輩が絡んでくることはなかった。
数年前の事なのにまるで昨日のことのように思えるのは何故だろう。それは恐らく、数年前と今とでは考えが変わったからだ。当時は朱里を縛っているつもりはなかったし、朱里も縛られるような人間ではないと思っていた。
しかし、今ならはっきりと朱里を縛っていると断言できる。あれ程の美人で大層モテるだろうに恋人が出来たことがない。以前何故つくらないのか聞いてみると「好きな相手はいる」と言われた。何故か胸が痛くなったが、何故その相手に告白しないのかと尋ねると
『その相手、私の事なんて見てないから』
そう寂しそうに呟いた朱里の顔が忘れられない。その相手の事はいくら聞いても教えてくれなかったが、悠希でないことは確かだろう。
やはり悠希のことがネックで恋人を作らないのでは、と朱里が高校三年生になってから考えるようになった。朱里は今年受験だ。どこの大学を受けるかは知らないが、もし悠希のことを気にして進路を決めようとしていたら大変である。
(…荷物にはなりたくないな)
そう心の中で呟くとベッドに横になった。
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