【カクヨム10 短編用作品】僕らはいつも繰り返す

やきいもほくほく

第1話

今日はバケツをひっくり返した様な雨だった。


深々と落ちる水滴は冷たくて心地よい。

まばらに散る雫だけは、誰にもでも平等に与えられるような気がして……。

パラパラと音を立てては消えていく。


(羨ましい……)


突然、海底に沈みたくなって潜り込んだのは水の中。

息を吸うことすら億劫だったから重みに身を任せて沈んでしまおうと願った。


その願いを泡に乗せて淀んだ想いは水中に溶け出していく。

吐き出した空気はゴポゴポと鈍った音と共に暗い空へと昇っていった。

そして空気に触れれば同化して無に還る。

そしたらまた雲になって、また雨を吐き出すのだろう。

地面に叩きつけられて溜まることもなく染み込んで染み付いて消えてなくなる。


───そのまま、どうかこのまま



「ッ、ちょっと! 何してんのよ!? あぁっ、もうびしょ濡れよ。最悪だわ」


「……ごっほ、ごほ」



肺と胃から思いきり水を吐き出した俺を、顰めた顔で見ている女性。

自分と同じびしょ濡れな服が張り付いて、地面に散らばる濡れかけた書類を必死で掻き集めていた。

前髪からポタポタと滴が落ちていく。


眉を顰めながらカバンに仕舞い込んでから首根っこを掴まれて、橋の下まで引き摺られていく。

スカートの端を掴んで絞った女性は髪をパサリと掻き上げた。


長い指が肌を滑るのを、他人事のように見ていた。


おかしな話ではあるが、その姿を見て熱い涙が頬を伝った。

けれど髪から流れる雫と混ざり合って、何事もなく消えていく。

瞳に映る景色は現実味を帯びて生々しい。

けれど、なによりも綺麗だと思った。



「アンタ……何するつもりだったの?」


「コホ…………あんたには関係ない」


「随分な言い草ね……助けてあげたのに。最近の子どもって皆そうなのかしら」



こちらを睨み付けながら言う女性が、怒っているのを妙に冷静に見ていた。

子どもだと言うけれど、大して身長も変わらない。

むしろ見下ろしている状態なのに、やはり女性から見ると子どもに見えるのだろうか。

体がスッと冷えていく。



「別に……頼んでない」


「クソガキ、あぁもう最悪よ……どっちにしても胸糞悪いのは変わらないじゃない」



どこにもぶつけられない苛立ちが沸々と湧いて出てくる。

そんな時、本音がポロリと溢れた。



「…………邪魔、すんなよ」



ずぶ濡れになった女性とびしょ濡れな俺と。

チラリと女性を見ると、少し俯いて何かを考えているようだった。

滑稽な現場に吹き抜ける夜風。

まとわりつく水を拭うこともせずに空を見上げれば透き通るような夜空がどこまでも広がっていた。


濡れて重たくなった服が不快で地面に寝転がった。

何も喋らなくなった女性に視線を送ることもなく、欠けた月と並べられた星たちをぼんやりと見ていた。


すると、いつの間にか隣に座り込んでいた先ほどの女性も同じように空を見上げていた。



「……何? おばさん、まだいたの?」


「おばさんじゃねぇよ、クソガキが」


「クソガキじゃねぇよ、おばさん」


「…………」


「…………」



キッチリとしたスーツ、上品で綺麗な顔をしているのに口から出る言葉は汚い。

そんなところに妙なギャップを感じながらも、隣にいる安心感に温かさを感じて膝を抱えた。



「マジで濡れ損じゃん……ったく」


「勝手に濡れたんだろ」


「少し黙りなさいよ」


「いやだ、おばさんが黙れば?」


「まだ二十代なんですけど……」


「アラサー?」


「その言葉は嫌いなの。言わないで」



とことん可愛くない子どもね……そう吐き捨た女性からチクチクと刺さる視線。

咎めるように横目で睨みつける。



「……なんだよ?」


「別に。クソガキの割りには綺麗なツラしてんのね」


「……はぁ?」



先程とは一変、意味のわからない言葉をストレートに投げられて声を漏らす。

投げ返す言葉を懸命に組み立たのは照れくささを隠すためだ。

戸惑いを消すように顔を伏せた。



「女の子にでも振られた?」


「…………違う」


「人生捨てたもんじゃないわよ?」


「……意味、わかんねぇよ」


「…………」


「何も知らない癖に」


「…………そうね、何も知らないわ」



再び訪れた静寂。

チラリと視線を流せば、女性の瞳から涙が溢れた気がして……。


溜息を飲み込んで僅かに目を見開けば細められた瞳と目があった。



「何? 化粧崩れてた?」



誤魔化すように笑ったその笑顔と言葉が苦しい。

必死に誤魔化そうとしてしているのだと気付いたから、何も言えなくなった。



「……おばさんの方こそ、まぁまぁ綺麗だと思うけど」



そんな事を口走ったのは、踏み込んではいけない一線を越えてしまった事に対する贖罪と、慣れない気を遣ったからかもしれない。



「何よ、いきなり……」


「別に、思ったこと言っただけ……」


「この格好で綺麗はないでしょう?」


「…………」


「口説くにしても、もっとマシなことを言ってくれる?」


「口説いてないんだけど……」



掴めない会話に苛立ちと焦りが募る。



「じゃあ……何で俺に綺麗って言ったの?」


「別に。思ったことを言っただけだけど」


「なんかムカつく」


「あははっ!」



髪を掻き上げ、ワイシャツの胸ポケットから濡れた煙草を取り出した女性はライターをカチカチと鳴らす。

もちろん水に浸かった煙草に火が付くはずも無く、ぐちゃぐちゃと箱を握り潰した音が聞こえた。

そして舌打ち。

服を絞りながら立ち上がった女性は、地面に転がっていたビジネスバッグに箱も詰め込んで立ち上がる。



「このままじゃ煙草も買えないわね。補導される前にさっさと家に帰りなさいよ……この格好でよければ送ってこうか?」


「………いらない」


「警察に保護してもらうとか」


「絶対に嫌だ」


「……」


「でも放っておけないわ」



随分と男前な人だな、なんて思いつつ小さく首を横に振る。



「もう帰る……場所、無いし」


「は…………?」


「……もういいだろ、早く行けよ」



誤魔化すように言ってから顔を伏せた。

覆われる暗闇と冷たい指先……。

体は重たくて眠気に襲われていた。

瞼を閉じようとした瞬間、背後から聞こえたのは服が擦れる音だった。

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