おまじない
執行 太樹
私は幼い頃から、歌手になるのが夢だった。歌手なんか安定していない、もっと現実を見ろ。両親にはそう言われた。しかし、夢はなかなか諦められなかった。親に内緒で、密かに歌手になるための勉強や練習をしていた。いつしか、両親とは関わらなくなった。
高校生になっても、歌手になりたいという夢は捨てていなかった。捨てきれなかった。本気だった。周りの友達からは、私が夢見る少女に写っていたのかも知れない。友達は、ほとんど離れてしまった。それでも、構わなかった。大丈夫、自分は自分だ。私は、むしろ強がって、友達を寄せ付けようとしなかった。
そんな特異な性格だった私だったが、幸い叔父が私の変わった部分や尖った部分を全肯定してくれた過去があった。叔父が、大丈夫、それでいいのだと許可を出してくれた。だから、私は学校でうまくいかなくても、両親と分かり合えなくても虚しくなかった。大丈夫という言葉に、私は何度も助けられた。
結局、歌手にはなれなかった。現実は、そんなに自分勝手に進められなかった。
大学を卒業後、私は保育士さんになった。大好きな歌で、子どもたちを笑顔にしたい。それが理由だった。
小さな子どもたちと過ごすのは、楽しかった。ただの保育士さんだけど、子どもたちと歌を歌い、子どもたちが笑顔になるのは、気持ち良かった。しかし、心のどこかで、もっと多くの人の前で歌を歌いたいという思いが引っかかっていた。心の奥底で、歌でみんなを幸せにしたい、という思いがわだかまっていた。
そんなある日、同僚の保育士さんが1枚のパンフレットを持ってきてくれた。
「興味あるかなと思って」
そのパンフレットには、のど自慢大会と書かれていた。
舞台に立つと、スポットライトが私を照らした。会場は静まり返り、みんなの視線を感じた。マイクを握る力が、強くなった。
大丈夫、私らしく歌うだけだ。聞き慣れた曲のイントロが流れた。体が自然とリズムを打った。
私は、思いっきり歌った。どんどん、気持ちが軽くなっていく。心地よい高揚感だった。ちらっと会場を見ると、会社の同僚が、こちらに手を振ってくれていた。嬉しかった。
みんなが私を見てくれている。みんなが私の歌を聞いて、笑顔になっていく。夢みたいだ。歌を歌うことが、こんなにも素晴らしいことだなんて・・・・・・。
曲が終わった。あっという間だった。会場を包む拍手の中、私の鼓動は高鳴っていた。私は心から笑っていた。
グラウンドの隅で、おとなしい女の子が転んで泣いていた。私は慌てて駆け寄った。女の子は、ひざを押さえて、すすり泣いていた。私は女の子の側に座り込み、そっと抱きしめた。
大丈夫。痛くない、痛くない。
私は明るい歌を歌いながら、女の子の頬をつたう涙をそっと拭いてあげた。女の子は泣き止み、笑顔になった。あぁ、良かった。
今日も、小さな子どもたちのために、目の前にいる大切な人たちのために、私は歌い続ける。
ただの保育士さんだけど。
おまじない 執行 太樹 @shigyo-taiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます