罪と砂塵

正野司

前編


 ただ、ぼんやりと、青い星を眺めていた。

「どうして火星と呼ばれているんだろうね?」

 宇宙空間を覗く小さな窓から視線を移すと、青年が笑っていた。

「と、言いますと?」

「いや、だってさ、どちらかというと青い星だろ? なのに火の星、と呼ばれているなんて、なんだか滑稽でさ」

「昔は、星全体が赤かったからじゃないですかね?」

「えっ? 地球のように真っ赤だった、ってこと?」

「そうです。まあ、僕もある人に聞いたんですけどね」

 おとぎ話じみた情報の出どころは、父だった。信憑性は疑わしいものの、なんだかんだでその話を僕は信じていた。

「それに、かつては地球も青かったそうですよ」

「……本当に?」

「ええ。今はそのほとんどが干からびてしまって、赤く見えるようになってしまいましたが」

「てことは、地球と火星が入れ替わっちゃったみたいだな」

「見た目はそうかもしれませんね」

 僕が頷くと、青年は目を輝かせた。再び小窓の奥の惑星を見つめる。さきほどは青い星と形容したが、もう少し詳しくつけ加えると、星全体が青いというわけではなく、赤い色の大地が点在し、それらを白い雲のうねりが包んでいる。

「くわしいんだな」

「そんなことはないですよ」

「謙遜するなよ」

「はは、そんなつもりは」

「その手に持っているのは科学雑誌だろう? 俺にはまったく理解できない難しい論文がいっぱい載っているんだろう? もしかしてあれかい? ひょっとして、ゆくゆくは、立派な学者先生になるつもりなのかい?」

「そんな予定があるのなら、この宇宙船には乗っていませんよ」

 青年は目を丸くした。

「それもそうか。はははっ」

 青年のそれは、とても爽やかだった。つい、僕もつられて笑った。手に持っていた雑誌を閉じてリュックにしまい込むと、青年と何気ないことを話しながら辺りを見渡した。眠っている者、酒を飲む者、下品な会話に興じている者、様々だ。安価な労働力である人間がひしめき合っていて、それは、青年も僕も同じだった。この宇宙船は地球と火星を往復する定期便で、こうして出稼ぎ労働者を輸送する用途で使われている。

「俺はリョウタ。君の名前は?」

「僕はタロウ。よろしくお願いします」

 名前を聞かれて戸惑ってしまったが、それでも本名を口にしてしまったのは、彼の人柄ゆえだろうか。

「こちらこそ、よろしく」

 そう言うと、リョウタは手を差し出してきた。僕もそれに習って手を伸ばし、座ったまま二人で握手をした。手を離そうとしたところで、宇宙船に設置されているブザーが鳴った。そろそろ、火星に到着するという合図だ。

「君、火星への出稼ぎは初めて?」

「はい、初めてです」

「俺は二度目なんだ。何かわからないことがあったら、なんでも聞いて」

「ありがとうございます。とても心強いです」




 火星に到着し、宇宙船から降りて踏みしめる大地。錆の混じった砂が巻き上がり、頬に当たる。宇宙船の離着陸に使われているスペース・ポートから空へ視線を移すと、巨大な無人工場が並んでいて、幾つもの煙突からは黒い煙が上っている。火星の景色は、地球のそれとよく似ていた。

「こうしていると、地球と変わりないよな」

「僕もそう思っていたところです」

「さてと、そろそろ行くか」

「そうですね」

 リョウタと僕は労働者の群れに混ざり、歩いてついて行く。進む速さはのろのろと遅く、ここの現場スタッフが誘導しながら、労働者一人一人に防寒具を渡していく。僕も受け取り、いつ使うのかと訝しんでいると、リョウタは「俺たちの作業場は寒いからな」と教えてくれた。そうして歩いていると、進む先に、巨大な観音開きの扉が見えてきた。

「大きいですね」

「地下へ続くエレベーターだ」

 その扉の奥に入って行き、作業監督やスタッフの指示通り、リョウタと僕を含んだ労働者たちが整列していく。

 大きな音を立てて、扉が閉じ始める。その向こうには、まだエレベーターに乗っていない労働者たちが、次の輸送に備えて並んで待機していた。扉から差し込む光が、段々と細くなる。

「地上の風景も、しばらく見納めだ。俺たちが三ヶ月働く場所は、この、ずっと、ずうっと地下深くだからな」



 

 エレベーターの扉が開くと、目の前に大きな洞窟が現れた。スタッフに誘導され、ひんやりした空気に震えながらエレベーターを降りれば、皆、物珍しそうに、きょろきょろと辺りを見回していた。洞窟は奥の方へ三つに分かれていて、その一つは氷で塞がっていた。その氷に目が留まる。

「もしかして、これが……」

 リョウタを見やると、彼は笑顔を浮かべて頷いた。

「そうだ。あれが『ウォーター99』さ。すごく美味いんだぜ」

「これがあの──」

 寒さに耐えられなくなり、支給された防寒具に袖を通しながら記憶を巡らせる。

 ウォーター99。通称、99(キューキュー)。それは、火星で採れる水の中で、地球の水の成分に最も近く、その類似率は、99.9%という脅威の数値を記録していた。ただし、そのうちの0.01%は、地球に存在しない未知の成分だった。

 テラ・フォーミングが盛んだった時代。99を流通できるよう、異例のスピードで法整備が進んだ。未知の成分を危惧する声が上がったものの、水不足で危機的状況だった人類には、調査機関を発足する猶予は残されていなかった。見切り発車と言っても過言ではない最中、火星からの水の輸入が始まったが、その後、何年経っても健康被害を訴える者は現れず、未知の成分を心配する声は、次第に消失していった。

 その時代を経て、今では貴重な飲料水として、99は富裕層に愛されていた。

「あの氷を運びやすいサイズにカットして、輸送するんだ。水の状態より、運搬しやすいからだろうな」

 リョウタが説明してくれたところで、巨大な重機とトラックが並んで動き出し、氷が詰まった洞窟へ近づいていく。エレベーターから降りた労働者たちは、その邪魔にならないよう岩壁の方へ移動する。そこへスタッフ達がツルハシを持ってきて、労働者に渡していく。僕は受け取ったその重さを確かめながら、再び重機の方へ視線を移した。

 重機はレーザーで氷を円形にカットすると、それを引き抜き、隣のトラックのウイングボデーにゆっくりと、慎重に氷を乗せていく。だが、まだまだ氷はこびりついている。貴重な資源である99をそのままにしておくのは、いささか惜しい気がした。

「カットしきれていない氷、勿体無いと思わないか?」

 心を読まれたのかと不安になる言葉に、思わず笑った。

「だから、これの出番ってわけ」

 リョウタは、先ほどスタッフに渡されたツルハシを持ち上げ、ニヤリとした。

「だからさ、このツルハシで、洞窟の端っこにくっついてる氷──つまり、99を削り取って回収するのが仕事ってわけ。俺たちの仕事は、さながら、耳掃除みたいなもんだな」

 リョウタは小指を耳に入れて、耳をほじる仕草をした。そのあと、リョウタの動きが急に止まったかと思えば、何か思い出したのか、ハッとして、両手をポン、と叩いた。

「そうだそうだ。絶対に変なことは考えるなよ」

「変なこと、ですか?」

「99を持って、トンズラしようとするとか」

 リョウタは悪巧みをしているような顔をした。

「ほら、見てみろ」

 リョウタはここのスタッフの内の一人を指した。

「スタッフの中には、あの通り銃を持っている奴もいて、常に監視している。変な気を起こそうもんなら、すぐにアレで撃ち殺されるってワケだ」

 リョウタの言う通り、そのスタッフはレーザー銃らしきものを持っている。

「そんなことで死んじまえば、元も子もないだろう? 出稼ぎ労働者にとっちゃあ、高待遇の仕事なのに」

「本当に、それは困りますね」

「それによ、そんなリスキーなことをせずとも、契約通り仕事が終われば、、ボーナスとして99をいただくことができる」

 僕は、リョウタに相槌を打つ。

「俺たちさ、ラッキーだよな」

「ラッキー、ですか?」

「ここの仕事は、誰でもいいってわけじゃないみたいだからな。俺たちは、選ばれし者ってワケだ」

「選ばれし者というのは、もしかして、生体検査のことですか?」

「ああ、そうさ!」

 貧困層向けの仕事だったが、誰もが採用されるわけではない。一つだけ条件があった。それは、生体検査を受けて、パスすることだった。

「さて、そろそろ仕事に取り掛かりますかね」

 リョウタは防寒着の袖をまくると、慣れた手つきで氷をツルハシで割っていく。僕も見よう見まねでツルハシを振り上げてみるが、ツルハシの重さに負けてよろよろとバランスを崩した。

「だらしがねえなあ、タロウ」

 呆れた物言いだが、リョウタは嬉しそうだった。

 仕事は辛かったものの、三食つきで、睡眠をしっかりとれる個室が用意されていた。貧困層向けの仕事としては、非常に恵まれた環境だった。



 

 契約期間の最終日。採掘場のスタッフから透明なボトルが支給された。

「この中身は……もしかして?」

「おう、お察しの通り。契約期間満了のボーナス、ウォーター99だよ」

 現品支給はこのボトルだけ。給金はインターネットバンクに送金されていて、リョウタも僕も電子端末で入金確認は済ませている。あらゆる角度からボトルの中身を観察してみるが、どうみても地球の水と変わらないように見える。

「わかるよ。地球の水にしか見えないよな」

「ええ」

 リョウタは片手でボトルを固定し、ついているキャップを回した。開け終わると、リョウタはさっそく飲もうとして、ボトルの飲み口を唇に移動させる。

「あっ……! 待ってください!」

「ん? どうした? タロウ?」

 思わず出てしまった声に自分でも驚きつつ、リョウタがまだ99を飲んでいないことを確認する。

「いや、その、もう飲むんですか? 楽しみはあとに取っておいても……地球に帰ってから、飲むとか……」

「誰かに盗られちまうかもしれないだろう? 前にも他人の99を奪おうとしたバカがいて乱闘騒ぎもあったし、早く胃袋に入れちゃいたいわけよ、俺は」

 リョウタはぐい、とボトルの先端に口をつけると、ごくごくを勢いよく飲み始めた。周りの労働者たちも、ボトルの飲み口を開けて、次々に飲んでいく。

「お前は飲まないのかい?」

 リョウタは不思議そうに尋ねてくる。

「……僕は、地球に持って帰ろうと思って」

 背負っていたリュックのチャックを開け、透明なボトルを入れる。

「どうして? 何か理由があるのかい?」

「ええ、まあ。父に飲ませてやりたくて」

「へえ、優しいんだな、お前は」

「……そう、ですかね?」

 軽く微笑むと、リョウタは頷いた。

「親孝行じゃないか! よおし、わかった。誰かがタロウのリュックを狙おうもんなら、そいつを俺がボコボコにしてやる!」

 リョウタは袖を捲って力こぶを作り、自信満々に笑った。

 リョウタと僕は、帰りの便の宇宙船で数日ともに過ごし、色んなことを話した。その中で、存外に二人の家が近く、一本道で繋がっていることが判明した。

 地球に辿り着くと、リョウタは赤い単車、僕は青い単車に乗り、別れを告げた。また会いたいな、などと話していたのに、連絡先は交換しなかった。

 けれど、リョウタとの思い出は、今も鮮明に覚えている。


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