カルマと果汁は絞れば絞るほど

しぼりたて柑橘類

第1話:そろそろ進学だし、超能力の話をしよう

 「そろそろ進学だし言うけど、私超能力が使えるの」


 鉢屋はちやが目も合わせずに言ったのは、粉雪の降る帰り道。住宅街にできた雪の轍を乗り越えていたら、脈絡もなく告げてきた。


 「何をどうすりゃその着地になる。脳みそ凍ったか?」


 「バカね当木あたりぎ。あんたじゃあるまいし、そんなはずないじゃない。私は常に忙しく物事を考えているから凍る暇も無いほど、代謝が活発なのよ」


 背の高い鉢屋は、平行線上の遠くを見ながら俺を鼻で笑う。目を合わせて話をしないあたり嘘の匂いがするが、当人は本気で超能力が使えると言い張るつもりらしい。

 吐いたため息が白い。


 「目え見て言えよ、わけも分からない嘘つくな」

 

 「えぇ?なんでわざわざ、背の低いあんたに目線合わせなきゃイケナイ訳ぇ?」


 ケタケタ笑いながら、鉢屋は俺を見下してきた。

 いつもお決まりの、目尻が綺麗に下がったドヤ顔だ。

 鉢屋の顔の印象を問われたら、真っ先に浮かぶのは目元。前に似顔絵を描けと言われた時、この顔を提出したら泣きながらぶん殴られたことがある。あの後先生からこっぴどく絞られて、本当に酷い目にあった。

 

 だがしかし、俺にとって鉢屋といえば、したり顔の印象しかないのだ。というか俺を見る時は、基本的に悦に浸るこの顔な気がする。

 今もまさにこの強烈な顔で、俺を指さしているし。


 「だいたいさぁ、私がいつ嘘吐いたの?何時、何分、太陽が何回まわった時ぃ?」


 「急に天動説信者になるなよ」


 「理知的なツッコミありがとう。でも先んじてボケた私の方が、もっと賢い!」


 「図に乗るなよ。数学期末テスト18点」


 「乗らなくったって、私の方が背が高く優れている!」


 「大喜利も思想も強いなお前」


 「それに、超能力が使える!」


 バカ話がとうとう一巡してしまった。思わず俺は目を覆う。余程、超能力について触れて欲しいらしい。とんでもない大ホラか、勘違いのどちらかな気はするが一応聞いてやろう。


 「で、何ができるんだよ。その超能力」


 10センチ上の鉢屋を見やると、奴は首ごと目を逸らした。あまりに機敏な勢いは、むち打ちになりそうな程だ。


 「何だ、ネタ切れか?」


 「違う。アレを見てなさい」


 鉢屋がスラリと長い指を向けた先には、みかんの木がそびえていた。民家の塀から道路にはみ出るように枝を伸ばしていて、その枝の先には暖色の実がいくつかぶら下がっている。カラスも寄るだろうし、近隣トラブル待ったなしじゃないか。

 

 「こんな住宅街で、はた迷惑な木だ」


 「そうよね!あれ当たると地味に痛いのよ」


 すぐ近くで実害が出ていた。児童に危害が加わるとか、通学路として本当にダメだろ。

 最近のPTAの対応に呆れていると、鉢屋は密かに口角を上げた。


 「それじゃあ今から罰として、あの実を搾り上げてやるわ」


 「はあ?」


 意味もわからず顔を上げると、鉢屋は目を大開きにして前を見ていた。鋭い視線は木にぶら下がったみかんに突き刺さっている。

 見つめること、3秒、5秒、そして。


 枝に付いたみかんの一つが、ぐちゃりと、音を立てた。曇り空の上に夕焼けが登ったかと思った。みかんは握られたかのように外圧で自壊し、橙色の果汁を白い雪の上に散らした。


 「ああ、もったいない!」


 「最初はすごいとか言うもんでしょ。全うしなさいよ、自分の役割を」


 「率直な感想で何が悪い。……で、あれお前が潰したのか?」


 俺は雪上の、柑橘類の惨死体を指さした。


 「そう。私ね、今まで黙ってたけど5秒以上見つめたものをギュッと絞れるの」


 鉢屋は俺の目の前で、手を合わせて強く握りこんだ。なるほど、外圧をかけて絞り取れるってことか。すごいな、便利そうだ。


 「じゃあお前、掃除の時間の雑巾もそれでやってるのか?」


 「当たり前。あんな冷たいのに直で手を触れたら、体の芯まで凍っちゃうから」 


 「誰かさんは頭使ってるから代謝がいいんじゃないのかよ」


 俺が悪態をつくと、鉢屋はピタリと足を止める。

 何事かと思い顔色を伺うと、真剣な顔でみかんの木の枝先を見つめていた。目線の木と鉢屋の顔を交互に見比べ、俺は嫌な結論に至った。


 いやまさかな、いくらなんでもそんなはずは無い。道路にはみ出しているみかんの枝は太く、まだまだ上に伸びる余地を残している。さっき潰した果実とはまるで固さが違う。どうせさっきの超能力だってなにか仕掛けがあるはずなんだ。

 俺は自信満々な奴の目を疑っていた。視界の外からめきめきと、何かがしなる音が聞こえるまでは。



 「……わー、バカみてぇ」


 みかんの木がスクリュー状に変形され、ウロボロスめいた機序で綺麗な円に、果実もろとも球形に束ねられボタボタと汁をこぼす。

 純粋な『暴』を前に、棒立ちになるしか無かった。

 目の前の光景が信じられずに頬をつねるが、信じ難いものに出会うと痛覚が薄れるので、ファクトチェックとして機能しないと今知った。


 「どうよ、まだ疑う余裕ある?降参?降参?」


 鉢屋はサッカーボール大まで圧縮したみかんの木を、塀に投げ入れつつ得意げな笑みを浮かべた。ついでに俺を舐め回すように見て来るのだが、その視線に背筋が思わず冷える。だって、今俺は重機のアームで体を撫でられているようなものじゃないか。


 「降参だ、降参!こっち見んなよ怖いなあ!」


 恐怖のあまり、そんな言葉が口から出た。俺は自覚したのだ、この女は俺を何から何まで上回っている。多少頭は足りないかもしれないが、それすら危険性を感じる。機嫌を損ねたら、次は俺がゴムまりのようにされるに違いない!

 思わず足がすくみ、厚手のダウンジャケットを着ているのに歯の根が合わなくなった。俺には目の前の幼馴染が急に、理解不能な超越的存在にのし上がっていくように思えた。

 俺は通学路を一歩ずつ後退りしながら、鉢屋から離れていく。


 「ち、ちょっと。まさかあんた相手にあんなことする思ったの?」

 

 「ああ、言うな!それが一番怖いんだから!なこんな恐ろしいことを、どうして今更カミングアウトするんだお前は!やるにせよ徐々に力を誇示しろ、バカ!」


 「バカって言うなバカ!って言うか、人に対してはそういう使い方出来ないんだっての!」


 鉢屋は眉間に皺を寄せ、俺を睨んだ。そしてしばらく睨み合いが続いた後、ハッとしたように目を背ける。


 「ごめん。やらかした」


 気まずそうに、小声で呟いた。

 恐怖はしたが、それより不可解が勝つ。


 「は?」


 確かに、俺の体は明らかに5秒以上見つめられた。しかし、絞り取られるどころか傷一つ付いていないのだ。じゃあ、一体……。


 「こらああああっ、ガキンチョ!」


 俺が熟考しかけていると、塀の中から声が聞こえてくる。聞き覚えのない声だ。そしてまもなく新雪を踏み鳴らしながら、ハゲ頭の男が出てきた。


 「わしのみかんにとんでもないイタズラをしよって!!」


 真っ赤になって憤慨する男は、自らの頭によく似た木製の真球を掲げる。よくもまあ、これが自慢の木だとわかったな。

 というか、厄介そうな人に絡まれてしまった。潔白の証明をしようにも、客観的に見ればその言説の不可思議さは言いがかりの範疇を出ない。つまり、いくら俺らがこんなことやっていない、できるはずもない、と言っても相手が納得しない限りこの話は終わらないのだ。


 「どうするんだよ?あの爺さん絞る気か?」


 小声で問いかけたが、鉢屋は答えない。というか爺さんの目をじっと見つめたまま、何も言わない。一体何がしたいのか分からないが、迫り来る爺さんには為す術がない。


 「……チッ」


 とりあえず話をして場を繋ごう。


 「よしてくださいお爺さん。僕たちただ通りがかっただけですよ?」


 「いいや!お前らがここを通る時、この木が邪魔だったとか文句ばっか言っていただろう!これを見ろ!なんて無惨な姿に!」


 爺さんは水晶玉のようになったみかんの木を俺の鼻先に近づけた。青臭く甘ったるい匂いが立ち込める。


 「だから、やってないですって。ただの中学生がそんな形にみかんの木を変形させられるわけないでしょう!?」


 「んん?わしはお前らがみかんの木にイタズラをしたかと聞いておっただけだが?なぜこんな形に変形させたなんて思い至るんじゃ!?やったんじゃろ!?」


 「証拠物件として突き出されたら触れるしかねえだろうがよ!誘導尋問だ!」


 思ったより頭のキレる偏屈爺だ。俺は想定していたよりずっと早く、窮地に立たされた。


 「とにかく、説教してやる!家の中に来い!」


 そう言って爺は俺の胸ぐらを掴みあげた。いくら老いさらばえど、学年で一番チビな俺よりはでかくて強い。これは下手に抵抗するより、説教なりなんなりで絞られた方が楽だろうか。

 そう考えた矢先、俺の胸ぐらに伸びていた腕が振りほどかれた。誰かが爺の腕を掴みあげたのだ。

 

 「ぐえっ」


 支点を失った俺は、一瞬遅れて地面にへたりこむ。されど頭は一向に追いつかなかった。


 「お父さん!そういうご時世じゃないのよもう!!よその子に何してるの!」


 俺の頭の上で怒鳴り散らすのは、カーラーを頭に巻き付けた妻。爺よりひと周り太い腕で、爺の首元を引っ張っていくのだ。


 「じ、じゃがみかんの木が!わしの木が!」


 「元々来週、伐採する予定だったでしょ!?剪定代浮いてよかったじゃない!それにあの子たちが木をこんな形に出来るわけないでしょうが!!」


 「そ、それは……」


 「話は家で聞くからね!容赦しないよ!」


 こうして爺は玄関から吸い込まれて行った。ちょっと悪いことをした気分だ。


 粉雪が降りしきる中、俺と鉢屋は迷惑爺さんの家の前に取り残された。

 鉢屋はひと仕事終えた顔で俺から目を背ける。満足気ではあったが、憔悴しきってどこかぼんやりしていた。


 「もしかしてさぁ。さっき2人が出てきたのもお前の超能力ってやつなのかよ、鉢屋ァ?」


 鉢屋は目を背けたまま、確かに頷く。


 「……中学も卒業でしょ?あんたにだけは伝えとこうと思って」


 その声は聞いたこともないくらい、か細いものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月10日 19:00 毎日 19:00

カルマと果汁は絞れば絞るほど しぼりたて柑橘類 @siboritate-kankitsurui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画