第18話 悲劇の始まり
リオネルは父、いや、国王の前で跪いていた。
先程、ベルから事情を聞いてこの部屋の前まで来た時、まだ中には大勢の衛兵たちが集められていた。扉をも突き抜ける声量で聞こえてきたのは国王の声だった。
「全勢力を挙げて敵国エクエスを打ち破り、民の命を守るのだ!五年前の無念を晴らすのだ!」
その後すぐに衛兵たちが同意の声をあげて部屋から出てきた。
それを見たリオネルは、自分の聞いた話が真実であると思い知らされた。
再び、悲劇の戦が始まろうとしていた。
「国王陛下、皇太子リオネルが参りました。何事もご随意にお命じください」
今は親子ではなく、国王と皇太子だ。命令をするものとされるもの。その立場をわきまえての言葉だった。
「リオネル、お前は戦場にはいかず城に待機しろ」
放たれた言葉は想像とは正反対の言葉だった。
てっきりリオネルは、軍の指揮を取れだとか命を持って戦えだとかを言われると思っていたので、肩透かしを食らったような気分だった。
「なぜです、陛下。皇太子なのですから私にも行かせてください」
そう言ったのは、自分の力を過信したのではない。己の立場には似つかわしくない行動に不満を持ったからだ。
あるいは、いつか見た兄の背中を追いたかっただけかもしれない。
「…やはりキアノスと同じことを言うのか。兄弟は似るものだな」
父は独り言のように呟いた。どうやらリオネルが言い返すことはお見通しだったようだ。
あの日、キアノスも父と同じような会話をしていた。頑なに許可を出さない父と、譲らない息子。結局折れたのは父の方だった。
果たして、今回はどうなるか。
「俺はまだあの日のことを後悔している。だから、お前を戦場に向かわせるわけにはいかない」
父の気持ちは十分理解できた。もし自分が父の立場なら同じことを言っていただろう。
でも、そんなことを言っている場合ではないのだ。今はリオネルのことを息子としてではなく皇太子として見なければいけないのに、父はそれができていない。
長男は二十歳までしか生きられなかった。リオネルはまだ十八。命を失うには若すぎる。
それでもリオネルは、国王の息子だからといって一人だけ高みの見物をする気にはなれなかった。
「陛下、私は兄上に命を繋いでいただきました。この命を国のために使わないでどうしろというのです」
父の表情は変わらない。今回は五年前のようには行かない。
「命なんぞ、自分のために使うものだろう。せっかく長生きができるんだ。それなのに、わざわざ危険な沼に足を突っ込む必要なんてない」
そうかもしれない。長生きができるのなら、それが一番だ。しかし、もし長生きをしたとして、その背後では多くの犠牲が出ていると言うことを忘れてはいけない。
「多くの人間が命を落とす中、自分だけ暖かいところで呑気に過ごして生き延びたとして、果たしてそれを喜べましょうか」
「しかしだな」
「陛下!」
リオネルは最高権力者の言葉を遮り、体制を変えずに言う。
「私は貴方様の息子です。英雄キアノスの弟です。その事実を誇り高く思っています。だから尚更、戦わせてください。力になりたいのです。どうか、ご許可を」
リオネルは頭を深く下げる。父の考えていることはわからない。
その時間が嫌に長く感じられた。リオネルは父を説得できそうな言葉をこれ以上持ち合わせていない。これで説得できないのならもう
「分かった」
そんなことを考えていた矢先、父がそう言った。リ耳を疑った。
「お前を戦場に向かわせよう」
待っていた言葉。リオネルは姿勢を正す。
「ただし…」
そう言って父は椅子から腰を上げてリオネルの方に向かって歩き出す。静かな室内には服の装飾品が揺れる音と、硬い足音のみが響いた。
二人の距離はそう遠くもなかったので、父が数歩進むと部屋には静寂が流れる。正面まで来た父に「立て」と言われたので素直に立ち上がると、あろうことか腕を背後に回されて抱きしめられた。
「─っ」
リオネルは動揺して言葉も出てこない。それをお構いなしに父は小さな子供を抱きしめるようにして言った。
「必ず生きて帰ってくること」
いつか聞いた約束。一人ではきっと破っていたそれを父は再び口にした。それはどんなどんな約束よりも重く、強いものだった。
リオネルも力を抜いていた腕を父の背後に回す。
「兄上に言われました。父上との約束は守れと。必ず、生きて帰って参ります」
会場では混乱が生じていた。
何とも、大陸の南方の位置する大国『エクエス』がエリオットへ侵入してきたというのだ。会場にちらほらその噂が流れた時、皆半信半疑で逃げることさえしなかったが、衛兵がそれはそれは大きな声で「敵襲だ!参加者は直ちに自国へ戻るのだ!」と言ってから皆が一斉に城から出ようとしている。そこらじゅうに皿やグラスの破片、酒と料理が飛び散って酷い有様だ。参加者はパニックに陥り、衛兵たちの指示する声はまるで聞こえていない。
そんな中、メアだけが群衆の流れに逆行する様に会場を彷徨いていた。
リオネルが見当たらないのだ。
白銀の髪の持ち主だ。いつもならすぐに見つけられるのに、どれだけ探しても彼だけがいない。
衛兵の言葉を聞いた瞬間、人混みの中を掻き分けて探し始めたのでパメラとは逸れてしまった。今頃、主人を必死に探している姿が頭に浮かんできて申し訳ない気持ちになる。
会場を見渡す。いない。いつもならすぐに見つけられるのに。
「メア王女、大丈夫ですか?早くこの城から出ませんと」
声をかけてきたのは顔見知りの女性だった。
「ええ、今から出ます」
そんなの大嘘だ。しかし、その女性は信じたようで「よかった。また後で」と言って出口の方へ歩いて行った。
「リオネル…どこ…」
会場にいる人の数は減ったのに、やはり彼だけがいない。
あの人を置いて国には帰れないのに。
そんな時。
鼻腔をに芳しい香水の香りが抜けた。ずっと探していた、あの香り。
メアは振り向き、すぐ近くの色白の男の手を取る。華奢で暖かくて、優しい手。何度も重ねた、自分を救ってくれた手。
「リオネル、どこに行くの?」
至って優しいその言葉は彼の耳にも届いたようで、驚いた様に目を見開いていた。
「…メア」
そう言ってから思い出した様に真剣な顔になって、彼女の肩を揺さぶりながら言う。
「何をしているんだ!早く国へ帰るんだ!衛兵も言っていただろう!?この城もいつまでもつか…!」
そう訴える彼は戦いに行く騎士の服を着て、腰には剣を腰に差していた。
それを見て涙が出そうだった。何で、なんで。
「ねえ、どこに行くの!?」
決して声を荒げたわけではないが、涙声で聞く。
メアは不安で仕方ない。彼までいなくなってしまうのではないか。また大切な人を亡くしてしまうのではないか。
「…なんだ、心配してくれているのか?」
リオネルはさぞ不思議なものを見るような顔で、でもどこか嬉しそうに言った。
「大丈夫さ。ちょっと、戦いに行くだけだ」
嘘だと思った。ちょっとという言葉だけで表せる戦などない。
「あなたは高みの見物をしていればいいじゃない。使える駒なんていくらでもあるんだから」
メアからしてみれば、城に使える衛兵などチェスの駒同様だ。決してその命を軽んじているわけではないが、彼らは国を守るのがのが仕事なのだから任せればいいと思う。戦わなくてもいい地位にいる人間が、わざわざ危険を冒す必要なんてない。
「メア、俺は誓ったんだ。今度こそは大切な人を守らなければいけない。兄に繋いで貰った命を自分のためだけに使っていたら勿体無いだろう?」
リオネルは笑った。これから戦いに行くとは思えないほど心が落ち着いているように見えた。
「じゃあな、気をつけて帰るんだよ」
そう言って彼は歩き出した。
行ってしまう。このままではもう二度と会えなくなるかもしれない。キアノスの時もそうだった。最後会った時にはまた今度会えると信じていた。そんなもの、ただの希望に過ぎなかった。気がついた時にはもう遅かった。取り返しがつかなかった。
「行かないで」
だからメアは歩いて行くリオネルの手を掴んで彼を引き留めた。
「…お願い、行かないで。私、あなたがいなくなったら…」
今度は涙を流してそう言った。そうしないではいられなかった。幸せを失うのが怖くて、続いて欲しかったから。
リオネルと一緒に未来を生きていたいと思ったから。
メアは更に強く手に力が入る。もう離さないというほどに。
リオネルは何も言わなかった。
何も言わなかったが、その代わりにメアを胸まで寄せて、彼女を体内に取り込んでしまいそうなほど抱きしめた。
「俺もできることならメアとずっと一緒にいたいよ。この幸せを失いたくないよ」
そう言う彼の身体は微かに震えているような気がした。
「でもね、メア。俺は大切な人を守るためならならなんだってする。たとえそれが間違っていたことだったとしても、俺はそれを実行する」
「嫌よ…行かないでよ…」
「大丈夫、生きて帰ってくるさ」
リオネルは体から離れて目線が合うように屈んでそう言った。
「…嘘だったら許さないわよ」
メアは大粒の涙を流していた。もはや、それ以外にかける言葉は見つからなかった。
「嘘じゃない。世界で一番愛しくて大好きな人を一人残して逝くことが、どうしてできよう」
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
リオネルは手でメアの涙を拭う。
そして今度こそ終わり、と小さな子供に言い聞かせるようにして言う。
「じゃあな、メア。早くここから逃げるんだよ。今度会った時にはうんと楽しいことをしよう」
そう言って皇太子は背を向けた。
その背中は小さな子供ではなかった。立派な騎士だった。
「ずっと待ってるから!あなたが帰ってくるまでずっと待ってる!」
リオネルは背を向けたまま手を振るだけで、振り返りはしなかった。
「お嬢様!何をしていらっしゃるのですか!早くここから出ますよ!」
ちょうどのタイミングでパメラが来た。
「ええ」
「ど、どうしたのですか!?その目は」
涙で真っ赤になった目を見てパメラはあたふたする。「なんでもないわ」と言って二人で会場か出た。
自分が死んででも守りたい存在と思うのはありきたりすぎるだろうか。
リオネルはメアの言葉に振り返らずにそんなことを考えた。いや、振り返ることができなかったの方が正確か。
目からは手では拭いきれないほどの涙が溢れていたのだ。こんな姿を最愛の相手に見せれるわけがない。
いくら皇太子だからといって、怖くないわけではない。怖くてたまらない。
メアにはあんな風に言ったが、絶対に生きて帰れる保証なんぞどこにもない。どちらかと言えば死ぬ可能性の方が大きい気がする。。
今生の別れになるかもしれないと思うと抱きしめないではいれなかった。
しかし、自分の死でメアを守ることができるのならば、喜んでその死を受け入れよう
これからはリオネルではない。
エリオット王国皇太子だ。
二人は城から出ようとメアの部屋の辺りを歩いていた。
別に出るためにはそこを歩く必要はないのだけれど、部屋に何か忘れてはないかと思ったのだ。もちろんパメラには全力で止められたが、まだ戦いらしき声は聞こえてこないので大丈夫だと勝手に判断した。
用意された自分の部屋よりもずっと手間、扉が半開きになった部屋があった。中を見ずとも場所で分かる。
ここは、リオネルの部屋だ。
丁寧な性格の彼だ。扉はいつもきっちり閉められていて、半開きになっていることなどほとんどない。
不思議に思って、メアは中へ足を踏み入れる。
「ちょっと、お嬢様!そんなことをしている場合では…!」
パメラの声を無視して、部屋の真ん中に立つ。
隅々まで掃除され、髪や埃の一つも落ちていないそこは微かな香りがした。
上品な、優しい香り。
それはついさっきまでリオネルがいたことを意味している。
こんな時にわざわざ部屋を訪れる理由が分からない。何か忘れ物だろうか。
そんなことを考えて何とはなしに部屋を見渡す。そして目に入ったのは、机の上に置かれた一冊の本だった。なぜこれだけ片付けられていないのか。
机に近寄り、改めてよく見てみるとそれは本ではなく日記だった。
確かに彼がマメな性格なのは否定しないが、日記をつけついたのは知らなかった。表紙を見るに今年の一月からつけられているみたいだ。
心の中で謝ってページを捲る。
一月十六日
メアに手紙を送った。無事届くことを祈る。
その日はたったそれだけだった。本当にその日起きた事のみを書き出しているようだ。
二月二十日
メアから手紙が届いた。ヴィーヴィオでは雪が降っているらしいが、こちらは全く。いつか雪だるまを作ろうと書かれていた。そんなの、楽しいに決まっている。今のうちに大きく作る練習をしておこう。
二月三十日
メアが縁談をしたとベルから聞いた。いつまでも心を決めれないでいるからこうなるんだ。しかも相手はヘンティルだった。メアの父上殿は何を考えていらっしゃるのか。人の不幸は望んではならないが、縁談がうまくいきませんように。
次会った時には必ず気持ちを伝えよう。
メアの顔は綻んだ。リオネルの心の中を覗いているようで面白くなったのだ。自分の知らないところでこんなことを思っていたなんて。気がつがなかった自分の鈍感さに呆れる。
日記はまだ続く。
三月三日
今日は舞踏会に参加。当然メアとも会った。
ついこの前「バレンタイン」という行事の存在を知ったので、チョコレートを渡してみた。メアは気づいていなかったが。なので直接言葉で伝えようとしたところタイミングが悪くてできなかった。どこまでできない男なんだ。
早くしないと取られてしまうぞ。
やっぱりそうだったのか。もう少し早くバレンタインのことを知っていたら、どれだけ嬉しかったことか。
三月九日
今日はメアと街を歩いている時に倒れてしまった。彼女に情けない姿を見せた。迷惑もかけた。恥ずかしい。これからは今まで以上に気をつけることにしよう。
夜は気持ちを伝えた。きっぱりと断られてしまったけれど。でも、諦めないと伝えた。ヘンティルも前向きなことを言ってくれた。俺はとことん幸せ者だ。
夜が明けた頃、二人で久しぶりに木刀で遊んだ。懐かしい感じがして楽しかった。またやりたい。その前にメアに縁談の話が来ないことを祈る。メアを必ず振り向かせると決心したのだ。一度決めたことが揺らいではならない。気長に頑張るとしよう。
そして明日は五回目の追悼式典だ。
兄上に会いたい。会って謝りたい。どれだけ後悔しても時間は巻き戻らないけれど、もし可能ならば戻りたい。
兄上、本当にごめんなさい。明日、しっかり弔うから。
そこで日記は終わっていた。
毎日つけているとはいえ、一月からのものなのでそこまでページは進んでいなかった。
特に意味もなくメアは次のページを捲る。何も書かれていないはずだった。しかし、そのページは黒インクの文字で埋め尽くされていた。
急いで書いたのだろうか。これまでの文字とは比べ物にならないほど雑で殴り書きのように見えた。
メアの目からは次第に涙が溢れてくる。嗚咽が漏れないように手で口を押さえるが、それでも抑えきれず床に座り込む。
書かれた内容は次の通りだった。
三月十日
神よ、どうかメアだけはお救いください。彼女の命を奪いたかったら、代わりに俺の命を奪ってください。
どうかメアが笑っていられますように。
幸せでいられますように。
「お嬢様、どうされたのですか!?」
部屋の外で待っていたパメラが駆け寄ってくる。
涙は止まらない。部屋にはメアの嗚咽のみが響き渡る。
なんで、なんで今まで気づかないふりをしていたのか。こんなに想ってくれていたのに。想わせてしまったのに。知らないふりをして、自分の感情を無視して無責任に断って。
「…馬鹿…」
それは自分に対して、またリオネルに対して向けた言葉だったのかもしれない。
なんで人はここまでならないと大切なものに気がつかないのか。手から無くなった瞬間、後悔と悲しみに溺れるなんて、馬鹿にも程があるだろう。
外では敵襲を知らせる鐘が鳴り響いている。
メアの涙は止まらなかった。
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