第14話 夢からの言伝
その日の夕方、ヴィーヴィオ王国の城内にはピアノの音が響いていた。いつもの明るいクラシック曲とは違い、追悼のためだけの静かな曲だ。
二日後に控えたエリオットの追悼式典では毎年、追悼の曲をメアが弾くことになっている。今年は、式典前日にエリオット到着してリオネルと街を歩く予定なので、今日の夜にはヴィーヴィオを出ることになければならなち。そのため時間があまりないメアは最後の仕上げに取り掛かっていた。
『先の戦でエリオット軍は敗北した。エリオット軍の死傷者は合わせて二万人、軍を率いるキアノス・ウェルズリー皇太子も戦死した』
そう書かれた新聞記事のことをふと思い出した。
それを初めて目にした時の衝撃は今でも消えない。
まさか、あの『騎士の国』とも言われるエリオットが敗北─いやそれよりも、大陸最強の騎士だと言われていたキアノスが戦死するなど誰が想像しただろう。
もう五年。しかし、この五年でメアは成人してしまった。それはリオネルも同じだ。
あの時期のリオネルの様子は今でも鮮明に覚えている。本当に、見ていられなかった。笑顔が絶えず、いつまでも子供のようだった彼からは笑顔が消え、まるで呪いにかけられたようであった。あれだけ稽古が嫌いで泣きじゃくっていた人間が、あろうことか時間があれば自ら稽古をするようになった。
兄が目の前で倒れる瞬間を見てしまえば、そうなってしまうのは当然と言えるかもしれないけれど。
メアはヘンティルの言っていたことを思い出す。
─彼の囚われている檻の鍵を開けてくれる、そんな方が現れるまで彼の心の拠り所になるべき人間なのではないかと
彼の言う通り、リオネルは檻の中に閉ざされているのかもしれない。でも、きっとその檻というのはメアが閉ざされている檻とは違って、決して誰かから無理矢理閉じ込められているわけではないけれども手を差し伸べてくれる人がいなければ生涯抜け出すことのできない、そんな檻なのだと思う。
それができる、彼をその檻から出してくれる人がいるのなら一度会ってみたいと思う。リオネルの心を掴み、呪いから解放してくれる人がいたなら、メアはその人に心から感謝の言葉を伝えるだろう。
でも、もしその役割が自分にできるのなら─
メアは首を横に振る。何を考えているのか。その役割ができる人はきっとリオネルと恋愛関係にある人なのだ。そんなのできるはず─
そしてメアはハッとした。
ここ最近何を考えている。何をするにも、どこに行くにもリオネルが脳裏に過ぎっている気がする。
恩師であるクレアと話した時にはリオネルのことを考え、舞踏会に行くまでの道も彼と会うことを楽しみにしていた。そして、偶然か必然かバレンタインの話を聞いた時も彼のことを思い出した。友人であるリオネルのことを考えることは今までもあったが、果たしてここまでだっただろうか。
舞踏会で彼を見つけた時にあれほどの安堵の気持ちを覚えたのはなぜか。
いや、と再び頭を振る。
そんなこと、あるはずがない。あってはいけない。きっと彼のことを考えるのは、ここ数ヶ月ずっと関わっていたからだ。
もしそうではないのなら─もし、この気持ちが友情ではないのなら、そんなもの誰が許してくれよう。
誰が、幸せになれよう。
「メア、手を止めるんじゃない」
突然部屋に響いたのは、父でありこの国の最高権力者であるハイゼルの声だった。
今彼女が居るのはいつも生活している屋敷ではなく、両親やフラムの住まう城の中だ。当然、ピアノの音はハイゼルの耳にも届いていただろう。
タイミングが悪いとはこういうことだ。
昔からそうだった。少し考えごとをしては叱られ、休む暇もなくピアノの練習をさせられた。千年に一度の天才だとか、奇跡の子供だとか言われているがそれは生まれ持ったものではなく、あくまで無理矢理練習させられてきた、いわば後付けのような才能なのだ。きっと本当の天才とは練習しなくとも美しい音を奏で、心からピアノを愛している人のことを言うのだと思う。メアには、一つも当てはまらない。
「はい、お父さま」
今までの人生でこの台詞を何度口にしたことだろう。所詮自分は父の操り人形にすぎず、言われた通りの動きしか望まれてないし、できない。そのことにふと気づいたとき、言葉に表せないほどの怒りと悔しさが湧いてくるが、それでもなお口答えすることはできない。
なんて、惨めな生き物だろう。メアはまた自分が嫌いになる。
「気を抜かすんじゃない」
そう冷たい声で言ってから、ハイゼルはどこかへ歩いて行った。
「別に、気を抜いてなどいないわ」
ハイゼルが離れたのを確認してから空気に向かって呟いた。メアからしても大切な式典だ。気を抜くわけがない。
ここ最近のメアは、ハイゼルの発する言葉にいちいち言い返したくなる。そんなことをしても無意味なことくらいわかっているので、なんとかその気持ちを抑えているのだが、そうできない時もある。
しばらく何もしないでいると、自然と気持ちが落ち着いてくるのでそれを待ってからピアノの演奏を再開した。
瞼を開けてまず初めに目に入ったのは見慣れた寝室の天井だった。もう朝か。
しかし、昨晩の記憶が全くない。夕飯に何を食べたのか、寝るまで部屋で何をしていたのか、さっぱり思い出せない。おかしいなと思いながらゆっくり体を起こすとある違和感に気がついた。
匂いを感じない。この時間、いつもならば調理中の朝食の匂いがするはずだ。
それだけじゃない。机の上に置いてあるはずの毎日必ず付けている日記もないし、メアからもらった鳩のペンダントも見当たらない。
ああ、そうか。これは、夢だ。
リオネルはそれに気がつくと一目散に庭へ駆け出した。これはきっとキアノスがまだ生きている夢だ。身の回りのものを見てそれを確信した。
見事予想は的中し、庭の真ん中でキアノスは剣を振るっていた。
涙が出そうだった。
『兄上!兄上!』
声変わり途中の不安定な声でそう叫ぶと、長身で白銀の髪を結った兄─キアノスは優しい笑みで振り返った。
『おい、落ち着け。そんなに慌ててどうしたんだ。まだ朝早いぞ』
そう指摘されて辺りを見渡すと、まだ太陽は昇っていない。彼がいた頃のリオネルは朝から稽古などしていなかったので、こんな時間に起きることなんてそうなかった。
その流れで自分の体に視線を落とすと、筋肉の一つもついていないような細身の体で背も今よりかは低いように感じた。
どう考えても夢か。
夢だと分かっていたからキアノスを探したはずなのに、心のどこかで現実であることを少し期待していたのかもしれない。
『兄上に会いたくて』
『ははっ。そうか、それは嬉しいな』
幸せそうにキアノスは笑った。
懐かしい笑顔だった。久しぶりに『弟』という立場になるのは不思議な気分だ。
『兄上』
『ん?』
キアノスは髪を結い直しながらリオネルに笑顔のまま優しく返事をした。
本当はずっとこの笑顔を見ていたかった。昔のようにふざけてもっと笑わせてやりたかった。
─この時間が永遠に続けば良いのに
でも、あまり時間がない。夢というのはいつも肝心なところで醒めるのだ。だから伝えられる時に伝えなければ、きっと後悔する。
『兄上、本当にありがとうございました』
どうせ夢なのだから、会話の流れなんてあってないようなもの。そもそもここにいる兄はキアノス本人ではなくただの幻覚のような存在なので、気にしたところで無意味だ。
『なんだ、急に畏まって。もしかして家出でもするつもりか?』
不思議なものを見るかのようにキアノスは言った。
─あなたがいるというのに家出なんてするはずないじゃないか
『しませんよ!』
リオネルは明るく笑って見せた。リオネルは嘘をつくことがこの世で一番苦手なので、うまく笑えてはいなかったかもしれないが。キアノスはそれについて何も言わなかった。
真剣に話して感謝を伝えようと思っていたのに、結局いつもの掛け合いになってしまった。
とても、楽しかった。
普段ならばこんな幸せな結末を迎えたらすぐに醒めるはずなのに、今日はなぜか醒めない。
これのままでいい。醒めないなくていい。
『なあ、リオネル』
それは、キアノスが何か大切なことを伝えたい時に決まって言う台詞だった。
『毎年、ありがとな。おかげで俺はこっちで元気に過ごすことができている。俺の背中を追ってくれているのは嬉しいのだが、急ぐなよ。長く生きて、何があっても大切な人を守るんだ。兄上はいつまでも待っているから、急ぐな』
そこで、目が醒めた。
体を起こすと頬に涙が伝った。
時計を見ると朝の四時。やはり夢だったか。
しかし、実に変な夢だった。
夢というのは脳内で記憶を整理する際に見ると言われているものなので、自分以外の登場人物が何をしようとそれはある種の幻覚だ。それなのに、キアノスは自分が亡くなっていることを分かっているようだった。
本当に不思議な夢だった。
ふぅ、と一息吐いてベッドから立ち上がり、机の上に置いていた鳩のペンダントを首に下げてから稽古に向かうために部屋を出た。
この大きな城の三階にはリオネルや両親の寝室がある。もちろん、キアノスの寝室も。
リオネルの部屋を出ると正面にはこれでもかというほど広い空間が広がっている。壁には何枚もの絵画が飾られ、かつてリオネルたちの遊具となっていた大きなソファが置いてある。
無駄に華美で権力を見せつけてるような感じがするのであまりこういう空間は好きではない。もっと普通の、一般人と同じような家に住めたらいいのにと思うが生まれが生まれたので諦めるしかない。
贅沢な悩みだと自分でも思った。
螺旋階段を使って一階へ降りると、ある絵画の前で父が立ち止まっていた。まだ朝早いのに何をしているのか。そう思ってリオネルは話しかける。
「父上、おはようございます。早朝から何をされているのですか?」
父は振り返らず、絵を見つめたまま言った。
「明日だと思うと眠れなくてな」
明日、エリオットで行われる年中行事で一番大切であろう追悼式典が行われる。息子の命日を目前にして呑気に過ごせる父親などどこにいよう。
「もう、五年ですね」
「そうだな。五年も経ったのに、俺はまだ前を向けないでいる。情けない男だ。きっと、キアノスに怒られる」
父はキアノスを戦場に向かわせたことをずっと後悔している。本来、キアノスは軍を率いるリーダーにはなっても戦場にいる必要はなかったのだ。高みの見物をしても何ら問題ない立場だ。それなのに、兵士たちと戦せてほしいと頼み込まれて父はそれを断れなかったという。
「前を向けないのは皆同じです。きっと悪いことじゃない」
そう信じなければ、いつか自分を殺してしまうから。
「なぜあの時許可を出してしまったんだろうな」
「父上のせいではないでしょう」
父は何も間違った判断はしなかったとリオネルは思っている。父があの時許可を出さずとも、キアノスはどうにかして戦場に出ていたはずだ。
父が何を言おうと、結果は変わらなかったと思う。
「ああ、そうだ。そうだよな」
父は自分に言い聞かせるように言った。
「誰のせいでもない。もちろん、リオネルのせいでもない」
自分のせいでキアノスが死んだ、リオネルがそう思っていることを父は知っている。だから気を利かせて言ってくれたのだろう。
しかし、リオネルの考えは変わらない。五年が経った今でも、キアノスを殺したのは自分だと思っている。
死ぬまで、そう思い続けてしまうだろう。
「そうだといいのですが」
しばしの沈黙が流れた。
声も足音も何の音も聞こえない空間は、父と息子という関係が生み出す独特の雰囲気を纏っていた。
「悪い、引き留めたな。今から稽古だろう。無理はしないように」
沈黙を破ったのは父だった。無理をしているのはどちらかといえばあなたのほうだ、と思った。
「ええ、もちろん。父上もおやすみなさってください。あなたが倒れてしまっては兄上が悲しみます」
「そうだな」
その顔は、先程まで見ていたキアノスのものと瓜二つであった。
父はすぐにこの場を立ち去る様子ではなかったのでリオネルは「お先に失礼します」と言って玄関に向かって歩き出した。
「そういえば」
タイミングを伺っていただろうに父がわざとらしくそう言ったので、リオネルは足を止めて振り返る。
「今日、あの子と会うんだろう?」
「あの子」と言われて思い浮かぶのは一人しかいない。
しかし、なぜそのことを知っているのか。メアと式典前日に会うというのはベルにしか言っていなかったと思うが。
まあ、噂というのはどこからともなく漏れるということか。
「はい。エリオットの視察をしたいとのことだったので」
少し、嘘をついた。
下見をするために街を回ろう、と提案したのはリオネルだが、父にそんなこと言えるはずもないのであくまで仕事のことで会うのだと強調したつもりだった。
しかしそれは逆効果だったようで、父は息子が可愛くて仕方がないというような声色で笑った。
「ははっ、そうか。それは楽しみだな」
「…ええ」
やはり父には勝てない。心を見透かされているようでなんとも言えない気持ちになったので「失礼します」とだけ言って足早に庭へ向かった。
庭に出て門のを方を見やると一人の少年が立っていた。リオネルは彼にわかるように大きめに手招きをし、稽古の準備をする。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
黒髪を結った異国の顔の少年─マテオは律儀に頭を下げてそう言った。
「おはよう、マテオ。今日は少し緩くしようか。昼に大事な用があって」
「わかりました」
今日はメアと街を歩く予定なので体力を温存させておきたい。精神的にも、いつも通りの稽古をしてしまえば待つ気がしないので。
「それじゃあはじめようか」
「リオネル様、薬は持っていますか?」
木刀を構えかけたその時、マテオが急にそう言ったのでリオネルは目を見開いた。
「…ああ、持っているよ。気にしてくれてありがとう」
「いえ」
稽古の際、リオネルはたまに発作を起こすことがある。それはキアノスの死というトラウマからやってくるものだ。発作が起きた時に落ち着かせるための薬をいつも持ち歩いているのだが…マテオは今までそんなことを気にかけるような性格ではなかった。他人の感情に疎く、言われたこと以上のことを行動することができない。
そう思っていたけれども。
人間というのは成長する生き物なのだと、それを実感できてリオネルは嬉しくてたまらなかった。
「今日はこれで終わろうか」
「はい」
どのくらい経っただろうか。辺りがだんだん明るくなり始めた頃リオネルはそう言った。いつもならばもう少し明るくなってからおわるのだが、例の通り今日はそんな余裕がない。
「明日の式典は来るだろう?」
「はい」
明日の式典に教会の子供は毎年参加している。彼が友達とどんな風に関わっているのかも見れるな、と思った。
しばらく水を飲んだり身の回りの整理をしていると、珍しくマテオが口を開いた。
「リオネル様」
「どうした?」
稽古以外の時間に名前を呼ばれたことなどほとんどないので驚いたのだが、顔に出さない努力をして続きを促す。
「キアノス様はどんな人だったのですか?」
まさか、彼からそんな質問をされるとは思ってもいなかった。過去のことに興味を示すような子ではないはずだが。
「どうして、そんなことが気になるのさ。マテオからすればずいぶん昔の話だろう」
リオネルや彼の父は「もう五年」だと思うけれども、マテオからした五年前など記憶にあるかもわからない幼い頃の話なのだ。
「教会で習ったから気になって。リオネル様と似ていらっしゃいましたか?」
なるほど、とリオネルは思った。
教会では国の英雄だとキアノスを讃え、子供たちには彼はこんなに素晴らしい人でみなさんも見習いましょう、なんて教えるのかもしれない。
英雄なのは確かかもしれない。でも、命を亡くしてまで国を守ってもらえて嬉しいとは思えなかった。国なんて滅びてもいいから、ただ一緒に生きたかった。
「顔は似ているかもしれないが…性格は俺とは全く違うよ」
「どう違うのですか?」
「もっと社交的で、まっすぐで、愛情深い人だった」
リオネルはなんでも前向きに考えることができる兄を尊敬していた。キアノスはなにがあっても、どんな困難なことでもきっとできると信じていた。実に諦めの悪い人だった。
でも、そのせいで命を落とした。
諦めが悪すぎた。
彼がもっと薄情で諦めがよかったのなら死ぬのはリオネルで済んだかもしれない。
「リオネル様も社交的でまっすぐで愛情深いと思います。こんな私を救ってくださるくらいですから、相当」
その少年のまっすぐな言葉がどれだけ嬉しかったことか。
でも、そう言われたとしてもそれが嬉しくても、リオネルの気持ちは変わらなかった。
檻が開けられることはなかった。
「ありがとう」
そう言って少年の頭を撫でた。
「今日はなんだか素直じゃないか」
「人は…変わる生き物ですから」
照れくさそうに視線をずらして言うマテオが可愛らしくてまた頭を撫でた。
ガタッ
そこで目を覚ました。
どのくらいの時間揺られていただろう。カーテンを開けると外はすっかり明るくなっている。時刻は昼前といったところだろうか。
目の前のパメラがガサゴソと車内を出る準備をしだしたので、まだ寝ていたい気持ちを封じてメアも準備をする。
ガチャ
馬車の扉が開かれたので、メアはゆっくりと地面に足をおろす。
耳元のインペリアルトパーズが輝き、ハーフアップでまとめた艶やかな赤髪が風で靡く。
城門の目の前に止まった異国の馬車とその王女の周りには、老若男女構わない群衆ができていた。
門に立つ衛兵に促され、王女は城へと続く石畳の道を歩く。ぽつぽつと咲いた花が春の訪れを感じさせた。
だんだんと見えてきた玄関へ続く階段には白髪の男性が立っている。間違いない、間違えるはずもない。一緒にいるだけで安心できる、メアの唯一の幼馴染─リオネルだ。いつもと変わらない皇太子らしい服を身につけ、胸元につけた鳩のペンダントと白銀の髪が輝いている。この世の女性で振り返らぬ者はいないと思えるほどの美貌は何度見ても飽きない。
「お出迎え感謝いたします、皇太子。本日はお誘いいただきまして誠に光栄でございます」
二人の間柄には似つかわしくない言葉だが、いつも通りのことなのでリオネルものってきた。
「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます。今日という日を待ち望んでおりました」
側から見ればごく普通の貴族同士の挨拶だが、パメラとベルはまたこのやり取りか、と言わんばかりの顔をしている。いつからか始めたこのやり取りは、いつのまにか二人の仲の良さを象徴するものになっていたようだ。
リオネルに促されて城の中に入る。
作りはヴィーヴィオの城と大して変わらないが、肖像画の多さや騎士の国らしい装飾を見て懐かしい気持ちになった。
「メア、疲れただろう」
不意にリオネルがそう言った。
「いいえ、馬車の中でずっと寝ていたんだもの。元気いっぱいよ」
「ならよかった」
リオネルは微笑んだ。それにつられてメアも笑ってしまった。
それから二人は他愛もない話をした。つい一週間前に会ったばかりだというのに会話が途切れることはなかった。
何年ぶりかに訪れたエリオットの城内は何も変わっていなかった。それが良いことなのかそうではないのか、メアにはわからなかった。キアノスが生きていた頃から変わっていないということは、前に進んでいないとも取ることができる。つい先ほどキアノスの部屋の前を通った時、少し扉が開いていた。中は何一つ動かされていないように見えた。机の上のペンや引かれた椅子までそのままで、まるで今でもそこに人が住んでいるかのような風景だった。
誰も彼の死を受け入れられていない。
当然と言えば当然のことなのだけれど、それでもメアは胸が痛くなる。遺された家族がどれだけの思いか。
「リオネル」
「ん?」
優しい顔で振り向く彼は大人だった。立派な皇太子になっていた。それを見て少し安心したけれども、それでも我慢できずに口に出す。
「大丈夫だからね」
一瞬、ほんの一瞬だけ彼の瞳が揺らいで子供のような顔をした、気がした。
「心配しなくても、俺は大丈夫だ」
そう言ってまた前を向いてしまった。けれど「大丈夫」という言葉を迷わず言ったのは安心していいのかもしれない。
リオネルの過去を変えてあげることはできない。でも、支えることならできる。
少しでも彼の心の拠り所にと檻の鍵を開けてあげなければと、そう思ってしまう。
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