金緑石の指輪

南条氷翠

第1話 王女

「…様!…お嬢様!」

声が聞こえる。もう朝か、と彼女はやっと脳を動かし始めた。

彼女の名前はメア・カペル。大陸最大の音楽王国『ヴィーヴィオ』の王室であるカペル家の長女だ。先ほど彼女を深い眠りから覚ましたのは従者のパメラ。パメラはメアが赤子の頃から面倒をみている。

「こんなに早く起きなくても…」

時計を見ると朝の五時。いつもなら、あと二時間寝ているところだ。

「お急ぎください!そろそろ国王陛下がお見栄になりますよ!」

それはまずいな、と彼女は心の中で呟く。先ほどまでの自分の行動を後悔した。国王陛下とは彼女の父のことで、まあそれは冷酷な人間だ。そんな父の前でだらしない姿など見せれるわけがないのだ。ところで、なぜ従者がこんなにも急いでいるかというと、今日はヴィーヴィオ王国五百年記念式典の日である。式典の目的は、ただただ祝いのためでもあるが、国の権力を見せつけ、貿易相手国などとの縁が切れないようにするためのものでもある。とにかく、大切な式典なのだ。このような時は必ず、その国の得意分野を見せる風習がある。音楽王国のここでは当然ピアノを演奏するのだが、その演奏者がメアである。何といったって、彼女は国一番のピアノの才能を持つと言われている人間なのだ。カペル家は国の中でも優れた音楽の才能を持った一族として有名だが、メアの才能は、ズバ抜けている。

父がこの屋敷にに来るということで、彼女はやっと急いで準備を始めた。普段父は、城の敷地内にある離れた屋敷で生活をしているので、こうやって会うことはなかなかないのだ。でも、昔からそうだったわけではない。子供の頃は、同じ屋敷で生活をしていた。彼女が仕事をするようになってから、屋敷を変えたのだ。窮屈ではあったが、一人でなかっただけましかもしれない、と思考を巡らせる。

パメラに誘導された部屋に移動して、ドレスの色を選ぶ。

「お母様は何色のドレス?」

「青と聞いております」

なぜ彼女が母親のドレスの色なんてものを聞いたのかというと、母親である王妃とドレスの色が被ることはあってはならないこととされているからだ。そもそも彼女に青のドレスを着るつもりなど初めからなかったので、色の選択には困らなさそうだと思い、安心した。たくさんの色がある中で、桃色のふわふわとしたドレスを手に取った。後ろにいたパメラに色の確認を取ると、合格だった。今日はパーティなので華やかな色にしたい。

「お嬢様、こちらに」

次にパメラに連れてこられたのは化粧台のある部屋だった。

今から化粧をさせられるのか、と少し心構えをする。彼女は普段、化粧というものをしない。なぜなら、普段は屋敷に篭りっぱなしで仕事をしているので、化粧をする必要がないからだ。その分、こういう式典になると顔に色々塗らなければいけないので慣れておらず、少し窮屈になる。今日だけは仕方がない、と何とか自分を説得する。

彼女はすでに成人しているが、まだ十七歳なので(この大陸では十六歳で成人が一般的)そこまで厚い化粧をする必要がない。そのため、化粧の時間はすぐに終わった。次は髪の毛だ。

いつもなら自分で簡単に髪をまとめるのだが、今日はパーティなので担当の者がしてくれる。彼女は髪型にこだわりなどないので、いつもお任せにしている。纏まれば、それでいい。

「ごめんなさい。私がもう少し早く起きればよかったわね」

国王が来るということで慌ただしい従者たちを見て、彼女は罪悪感が湧いてきた。

「本当ですよ」

パメラが冗談混じりで言った。本当はそれどころではないだろうに。メアの髪型や服装をきっちりしていないと、国王に叱られるのは彼女だけではない。従者たちにも責任が及ぶ。運が悪ければ、叱られるどころでは済まないかもしれない。それほど、国王とは冷酷で権力のある人間である。

メアの赤くて長い髪が綺麗に編み込まれていく。今日は三つ編みをお団子にした髪型らしい。実にパーティらしい髪型だ。

普通、ヴィーヴィオの属している地域の髪色は金髪なのだが、才能を象徴しているかのように、カペル家の人間は皆、赤毛で生まれてくる。音楽学校に通っていた時、友達は皆金髪だったので羨ましかったのを覚えている。一人だけ赤毛で目立つのが嫌だった。髪が赤いというだけで王族なのが分かるため、距離を置かれることが辛かったな、と彼女は過去の記憶を掘り起こした。そしていつの間にか準備終了の合図が出た。

部屋に戻り、彼女は数あるアクセサリーの中からインペリアルトパーズの耳飾りとピンクダイヤモンドのネックレスを身につけた。インぺエリアルトパーズの耳飾りは父と会う時や大切な式典の時などには必ず身につけるようにしている。ちなみに、インペリアルトパーズとはシェリー酒のような色をしていて、普通のトパーズよりも希少性の高い宝石である。

「お嬢様、国王様が外にいらっしゃいました」

パメラが親切に教えてくれたので、急足で入口へと向かう。入り口に行く途中にある柱時計に目をやると、もうすでに三時間近く経過していた。おそらく、髪を纏めるのに結構な時間がかかったのだろう。

父から何を言われるのかと考えたら憂鬱になったが、母と弟に会うことができると考えると楽しみになってきた。最近忙しかったので、会うのは久しぶりなのである。メアが扉の前に着いたところで、大きな扉がゆっくりと開けられた。

「姉上!」

父と母を押し切って走ってきたのは、彼女の弟であるフラムだった。普通なら、身分が上である国王と王妃の前に出ることは非常識だが、彼がまだ五歳であることと身内しかいないということで許されたらしい。

「フラム!元気だった?」

「はい!僕、ピアノが弾けるようになったんです!」

ニコニコ無邪気な笑顔で話してくるフラムが愛おしく、彼女は頭を撫でながら話を聞く。昨日の夕食は何だったのかとか、母と出かけたところが楽しかったので次はメアと行きたいだとか。このまま純粋無垢に育ってくれればいいのだけど、と彼女はただただ願うだけだった。

「メア」

弟と楽しく話しているところに低い声で近づいてきたのは、国王である父だった。彼女に向ける冷たい目はいつ見ても変わっていない。

「おはようございます。お久しぶりでございます」

手を前で重ね、少し深めに頭を下げて挨拶をした。彼女にとっては父であっても、この国のトップであることに変わりはない。後ろにいる母にこっそり視線を向けると、いつもと変わらぬ穏やかな目が優しく微笑んでいた。もちろん、旦那には気づかれないように。

「わかっているな」

彼女はたった一言で、その裏に隠されている全ての意味を理解した。

「はい。国王陛下の恥にならないよういたしますので、ご安心ください」

父は何も言わず、会場の方へと歩いて行った。ふっ、と肩の力が抜けた。ここからは、ただただ母と弟との幸せな時間が流れるだけだ。父は冷酷な人だが、母は温かく優しい人である。この国の王妃である母はやはり美しい、と彼女は改めて思う。青の大きな宝石の耳飾りをしているが、それにかき消されないほどの雰囲気と美しい顔を持っている。あの国王には勿体無いほどの。

「メア、元気だった?」

旦那が視界からいなくなったところで、メアに穏やかな声で聞いてきた。

「はい。屋敷に顔を出せず申し訳ありません」

「本当よ、心配するじゃない…でも、元気そうならよかった。今日もとても素敵ね」

いくら娘とはいえ、自分の方が身分が上なのに褒めてくれる母は、やはり優しいと彼女は思う。

「ありがとうございます。お母様もお綺麗ですね。その耳飾りは…」

「この前、エリオットに行った時に貰ったのよ。そういえば、今日はフリードリヒくんは来るのかしら。彼から何か聞いてる?」

エリオットとはヴィーヴィオの隣にある大国で、別名『騎士の国』とも言われている。フリードリヒとはその国の皇太子であり、彼女の幼い頃からの知り合いである。二人はたまに文通もしている。

「ええ、出席するようです。ご丁寧に手紙まで添えられてきました…」

彼にも、もちろん式典の招待状を送り、ちょうど先日返事が返ってきたところだった。


『メア・カペル様

招待状ありがとう。ぜひ、出席させてもらおうと思う。メアとは久しく会っていないので楽しみだ。一緒にシャンパンでも飲もう。

王妃は元気にされているか?相変わらずお綺麗なのだろう。弟とも話したい。きっと身長が伸びているな。

ピアノの演奏も楽しみにしておく。

フリードリヒ・ベンダー』


などという内容だった。

相変わらず丁寧な人だな、と彼女は思う。しばらく会っていない彼と会うことがすごく楽しみなのである。お互い王女と皇太子という似ている立場なので、馬が合うのだ。ピアノの演奏に関しては聞かないでくれ、と心の中で呟いた。

「姉上、ピアノを弾きに行きませんか?」

話が終わるのを待っていたかのように、フラムが話しかけてきた。そういえば弾けるようになったと言っていたな、とメアは先ほどの会話を振り返る。

彼女は小さな弟に微笑んで、ピアノのある部屋へと向かうことにした。

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金緑石の指輪 南条氷翠 @Hisui-Nanjo_shosetsu

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